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二章 その五

 翌日。

 集中できない授業を適度に聞き流していた俺は、放課後のチャイムと同時に、部室へと急いだ。

 もちろん、一刻も早く、部長に話を聞くためだ。

 サイトに載っていた部長の犯罪歴。

 それは――援助交際。

 いわく、一年くらい前から週に一回ほどの頻度で男と会い、ホテルで体を売る行為を繰り返していたらしい。

 売春で稼いだ金額は二百万円以上、相手をした人数は十五人近くにのぼると、ページには淡々と書き記されていた。

 最初にサイトの文面を読んでの感想は、月並みだが『信じられない』だった。

 たしかに部長はスラリとして背も高く、顔立ちも美人の部類に入る。近づいてくる男は数多いだろう。

 しかし、だからといって、あの人がその体を使って春を売っていたとは、到底思えなかった。

 どちらかというと、そういうことに対してはお堅い印象すらある。当然、恋愛の噂だって聞いたことがなかった。

 それに、この半年、一緒に新聞部として活動して、部長が休むことなんて数えるほどしかなかったし、遅くまで編集作業に追われていたのも知っている。なにより、受験生だ。とてもじゃないが、他のことに時間を割く余裕があったなんて考えられない。

 だから、俺はサイトに書いてあることが嘘だと思った。

 嘘だと思いたかった。

 そう信じる、確証が欲しかった。

 だからこうして、俺は部長のもとへと、一心不乱に向かっていた。いつもなら部長は一番乗りで部室にいてくれているはずだから。

 そこで失礼なことを聞く後輩に対して、はっきりと、否定して欲しいから。

 援助交際なんてしていないと。真っ赤な嘘だと。

 そう、本人の口から、聞きたかった。

 時々ほかの生徒にぶつかりそうになりながら、俺は部室の前までたどり着いた。急いだわりにいつもより時間がかかったように感じるのは、もどかしさ故だろうか。

 部室の扉を前にして、俺は二三、深呼吸をする。

 得体の知れない焦燥感や、安心したいと願う欲求、自分のよく知る人を信じたいと思う気持ちを落ち着け、表面上はニュートラルに見えるよう装う。

「……大丈夫かぁ、初?」

 ポケットの中から、アンジュの声が聞こえてきた。大丈夫、と返そうとしたが、うまく言葉が出てこなかった。

「知人がそういう行為に及んでいて、まぁ、気にするなという方が無理なんだろうが……」

「いや、大丈夫。ありがとう、悪いな、アンジュ」

 今度はちゃんと、言葉にすることができた。しかし、案外優しいじゃないか、こいつも。

 自分の胸に手を当てながら、俺はゆっくりと、そして静かに、扉を開いた。

 部室では、女子生徒が一人、パソコンに向かっていた。

 でも、部長ではない。背が高く、髪の長い部長とは対照的な、小柄で華奢な体躯と、ショートボブの髪。

「……なんだ、神達だけか」

「うん」

 神達禮。

 小学生と言われれば信じてしまいそうなほどちびっこい、もう一人の新聞部女子部員は、平坦な声で短く答えた。

「部長と海法は?」

「知らない」神達はキーボードを打つ手を休めることなく言った。

「そっか……」

 この約半年の間、神達は誰に対しても、ずっとこんな調子だった。

 表情は変えず、常に冷静。声色は平べったく、感情の起伏を感じさせない、総じてクールな印象を他人に与えるやつだ。

 そして何より、こいつは発する言葉が極端に少なく、短い。

 もちろん話しかければ答えてくれるし、必要な時は向こうから声をかけてくれることもある。

 しかしそれは、裏を返せば、話しかけなければ答えてくれないし、必要がなければ声をかけてこないということだ。

 かといってそれで相手に不快に思わせることは少なく、コミュニケーションが苦手というより、単にそういうスタンスで他人と関わっているだけだと感じられた。

 まぁ、今は神達のことより部長のことだ。

 神達は『知らない』と言った。ということは欠席の連絡を受けたわけではないのだろう。

 なら待っていればそのうち現れるはずだ。昨日はなぜか神達ともども欠席したけれど。

 俺は落胆半分、安心半分といった気持ちで、とりあえず、適当な席に着いた。

「神達、今日はずいぶん早いけれど、どうしたんだ?」

「来月号の記事」ちらりとだけ目をこちらに向けて神達は言った。「まだ出来ていないの」

「そうなのか?」

「私、仕事、遅いから」

 そうだろうか。どちらかというと、神達は期限をきっちり守っている方だと思うが。少なくとも、俺や海法のように、締め切り通りに提出した回数の方が少ない、というほどぐうたらではないはずだ。

「でも、締め切りはまだずいぶん先だろう? 焦るほどじゃないさ。それに俺も海法も、まだ全然、記事できてないし」

「三田村と海法は焦った方がいい」抑揚のない口調のまま、神達は目を細めた。「私より遅い」

「ごめんなさい……」

 地味に注意されてしまった。しかも再三言われている内容なので、余計に決まりが悪い。

 ごまかすために視線を窓の外に逃がして、なんとなく、運動部の練習を眺める。

 神達も視線を画面へと戻し、カタカタ、と記事の続きを書き始めた。


 それから、三十分ほどだろうか。

 しばらくの間、神達がキーボードを打つ音だけが室内に響いていた。

「……遅いな」俺は誰に言うでもなく呟いた。「もう三十分くらい経つのに」

「……何が?」

 神達は手を止めて、落ち着いた声で聞き返してきた。

「部長だよ。いつもならとっくに来ている時間なのに、ちっとも来やしないじゃないか」

「そうね」神達は一瞬だけ考えるように目を伏せた。「ケータイに連絡してみたら?」

「昨日からずっとしているよ。だけどダメだ。メールも電話も」

 サイトで名前を発見した時点で、俺はすぐに部長へ電話をかけた。しかし、繋がらなかった。

 電話口からは、電源が入っていません、と機械的なアナウンスが聞こえてくるだけだった。

 その後メールで「明日、部長に聞きたいことがあります。二人きりで会えますか?」と送っておいたが、返事は来なかった。今日も朝と昼休みに電話をかけたが、やはり繋がらなかった。

「そもそも」神達は言った。「今日、部長は登校しているの?」

「分からない」俺は首を振った。「上級生の教室って、なんか行きづらいし……。だから、部室で会えれば、と思ったんだけど」

「そう」澄ました顔のまま、神達は自分の携帯電話を取り出し、電話をかけ始めた。

「誰に電話しているんだ?」

「部長」端的に答えて、神達は電話を耳に当てる。そのまま十秒ほどしてから「本当。部長、かけても出ない」と言って通話を切った。

「どうしたんだろうな、部長……」

 電話に出ないだけならまだいいが、部活にも顔を出していない。それも、二日続けてだ。

 今までこんなことはなかったし、用事で出席できないときは必ず誰かに連絡をいれる律儀な人だった。それが音信不通となれば、心配しない方が無理というものだろう。

「探す?」相変わらずの無表情で、神達は言った。「二人なら、すぐ見つかるかもしれないし」

「……一緒に探してくれるのか?」

 正直、意外だった。彼女の方から積極的な提案が出るとは思いもしなかった。

「かまわない」言い終わる前に、神達は席を立った。「何となく、私も気になる」

「……そうか」

 きっとこれは、神達なり気遣いなのだろう。こいつは無表情で無愛想だが、無情ではない。人並みに、もしかしたらそれ以上に、優しい奴だった。

「じゃあ、俺は職員室で先生に聞いてくる。神達は下駄箱に部長の靴があるか見てきてくれ」

「分かった」

 俺たちが部室から出ようとして扉を開けると、ちょうど同じタイミングで開けたのだろう、海法が中に勢いよく飛び込んできた。危うく正面衝突するところだった。

「おわっ!」海法は素っ頓狂な声で叫んだ。「なんだよ急に、びっくりしたじゃねーか!」

「それはこっちのセリフだ。お前、今までどこに行っていたんだよ?」

「そんなことより!」海法は俺の言葉を無視して威勢良く言った。「大変だぞ!」

「悪いな、海法。俺たち、少し用事があるんだ。話なら後にしてくれないか」

 どうせまた、なにか適当な噂話でも聞いてきて、誰かに喋りたくてたまらないんだろう。だが生憎、今は海法に構っていられるほど余裕があるわけではない。

 そう思い、海法の脇をすり抜けて部室から出ると「そうじゃねーんだよ!」と言って、奴は俺の肩を万力のように強く掴んできた。

「……何なんだよ」

 予想以上に強い力で静止され、仕方なく、戸惑いながら振り向いた。

 振り向いて、まじまじと見て。それで、初めて気がついた。

 海法の様子がおかしい。息は荒いし、肩を掴んでいる手も小刻みに震えている。

 なにより、奴の態度は、俺なんかよりずっと余裕のないものだった。

「部長が――」

 ごくり、と音を立てて唾を飲み込み、海法は口元を震わせながら、小さく、言った。

「部長が――首を吊った」


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