二章 その三
「アンジュ、お前今度こそ勝手に喋ったりしたらダメだからな」
放課後、部室に向かう途中、俺は何度言ったかわからない言葉を、再度繰り返した。
というのも、アンジュは俺の言葉を清々しいまでに無視して、テンションに身を任せてはしゃぎまくっていたからだ。今日一日、誰にもアンジュの存在がバレていないだけでも、奇跡と言えるかもしれなかった。
別に隠す必要はないのかもしれない。しかし、説明を求められたら、それはそれで面倒だ。更に言うなら、この妙ちくりんな存在のせいで自分が悪目立ちするなんて、真っ平御免だった。
ところが当の本人は俺の考えなど素知らぬ様子で、呑気に口笛を吹いていた。
「イエス、イエス。約束スルヨー」
軽々しいカタコトの返事が、より一層胡散臭さを強く感じさせた。
本当に大丈夫だろうか。いっそのこと、携帯電話の電源を切ってやろうか。
もっとも、そんなことをしたとしても、ハッキング技能の高いアンジュのことだ。きっと何らかの対抗策を講じてくるに違いない。
「頼むから部活中は大人しくしていてくれよ……」
俺は諦め混じりに息を吐いて、乱暴に電話をポケットへ入れた。
部室のドアを開けると、中には海法ひとりしかいなかった。珍しい。真面目な部長や神達が遅れるなど、滅多にないことだ。日直か、掃除当番でもやっているのだろうか。
海法は俺に気づくと「よう」と片手を上げた。俺も返事の代わりに「ん」と頷いてみせる。
挨拶もそこそこに、海法は不気味なくらいにこやかな笑顔を貼り付けながら、こちらに近寄ってきた。
嫌な予感がした。こいつがこんな表情を見せるときは、大抵ろくでもない話のときだった。
「なぁ初。いま校内で噂になってるアレ、知ってるか?」
ほらきた。
相変わらず噂好きでおしゃべりな奴だ。昨日はこいつから聞いたエンジェルメールのおかげでえらい目にあってしまった。まぁ、自己責任だから海法に非はないんだけれど。
とはいえ、予想できていたからと言って、それでどうなるわけでもない。俺は心当たりがなかったので「噂? アレって?」と海法に聞き返した。
「俺もさっき聞いたんだけれどよ。でも、どうやら先輩達の間じゃ結構有名な話らしいんだわ」
「もったいつけんなよ。早く言えって」
海法は「わりぃわりぃ」と言って舌を出して見せた。身長が百九十センチ近くある大男がやると、純粋にキモい仕草だった。
「……あのな、初。学校裏サイトって知っているか?」
俺たち以外部室には誰もいないというのに、海法はまるで怪談を語るみたいに声をひそめた。一応、アンジュもこの場にいると言えばいるが、今は数に入れなくてもいいだろう。
しかし、海法が今言った言葉。
学校、裏サイト。
「……たしか、生徒や先生に対する中傷とかが書いてある、学校の非公式サイト、だっけ」
「まぁ、おおむねそんな感じだ」
「もしかして、うちの高校にもあるのか? その、裏サイトって」
「そうなんだよ」海法は興奮した面持ちで唇をひと舐めした。「それも、ほかの裏サイトとはちょっと毛色が違うんだ」
「毛色が違う? どういうことだよ」
「そこから先は、実際に見たほうが早いな」
言うやいなや、海法は手際よくパソコンを立ち上げ、ブラウザを開いた。
そして、腕時計を見るように制服の袖を少しだけまくった。見ると、手の甲にはボールペンで何やら文字列が書き込まれている。きっとこれが噂の裏サイトとやらのアドレスなのだろう。
海法は手の甲を見ながらアドレスバーに直接、文字を打ち込み、入力が終わると「いくぞ、心して見ろよ」とまたしても勿体つけて、勢いよくエンターキーを叩いた。
中腰になって画面を覗き込むと、表示されたのは、非常に簡素なサイトだった。
白地の背景に明朝フォントで「美鶴ヶ丘高校裏サイト」と大文字のタイトルが書かれている。
そのほかは、いくつかリンクがあるだけの、ひと目で素人が作ったとわかるような、お世辞にも凝っているとは言い難い、粗い内容だった。
「これが、うちの学校の裏サイトか」
俺はパソコンから目を離さずに言った。「なんていうか、素っ気無い造りだな」
「っていうか、ぶっちゃけ、しょぼい」
海法は遠慮のない評価を下した。「だけどな、初。このサイトの異色さってのは、ここからなんだよ」
そう言って海法はディスプレイの一点をコンコン、と軽く叩いた。そこには、どうやらメインコンテンツらしきもののリンクが貼ってあった。
「……『私立美鶴ヶ丘高校・校内犯罪者リスト』?」
書いてある文字をそのまま読み上げる。俺が確認したのを聞いて、海法は無言でそのリンクをクリックした。
一秒と待たずに、新しいページが表示された。
出てきたのは、エクセルからそのまま持ってきたような安っぽい表。そして、一つのセルに一人ずつ、人の名前が書いてあった。
ざっと見ただけでも、百人くらいの名前があるだろうか。中には覚えのある名前もちらほら書かれている。
「……何なんだよ、これ」
自然と、言葉がこぼれた。
意味がわからない。それが、正直な感想だった。
「つまりな」マウスを操作しながら海法は俺に目を向けた。「うちの高校の裏サイトの特徴は、ただそこにあるだけなんだ」
「ただそこに……あるだけ?」
「そう。さっき初も言ってたけど、普通の裏サイトって掲示板にみんなで先生の悪口とかを書く、いわゆるコミュニティとしての側面があるんだ」
ここまでは分かるか? と海法は視線でこちらに問いかけてきた。俺は無言で頷く。それを見て、海法は話を続けた。
「だけど、このサイトには掲示板やメール、あるいはそれに準ずるコミュニケーションツールというのが、一切ないんだ」
「それじゃ、閲覧者はサイトを眺める以外、何もできないわけか」
「そうなんだよ」海法はため息をついた。「サイトの開設者が閲覧者に一方的に情報を与えるだけ。裏サイトという名の、個人サイトみたいなもんだよ」
「それで」俺はあごに手を置きながら言った。「このサイトの、一体何が噂になってるんだ?」
「勿論、この『校内犯罪者リスト』だよ」
そう言って海法は椅子の背もたれに体を預けて、座位を崩した。それに合わせて、俺は空いている椅子を引いて、海法の隣に腰掛けた。
俺が座ると同時に、海法は話を再開した。
「例えば、こいつ」
言いながらマウスを動かして、表にある適当なセルの上にポインタを置く。
セルの中には村上昌樹、と書いてあった。知らない名前だ。
クリックすると、シンプルな内容だからか、またしても一瞬で次のページは表示された。
氏名、村上昌樹。誕生日、十二月二十日。住所、美鶴ヶ丘市北区一―三―一。クラスは一年一組。部活はサッカー部。そのほか電話番号や家族構成等々。
そこには背景の白地を埋め尽くすかのように、黒い文字でびっしりと書いてあった。どこで撮ったのか、顔写真まで掲載されている。
「ちょ、これ……!」
そこから先は、言葉にならなかった。
俺は金魚のみたいに口をぱくぱくさせながら、震える指先で画面を指し示した。
「な?」海法はにやりと口角を釣り上げた。「すげぇだろ?」
「すげぇっていうか……」
確かに驚きはしたが、感心からくるものではない。
どちらかというと、そう、危機感。
「個人情報、垂れ流しじゃないか」
住所や指名といった特定材料になるものが、これでもかと世界中に向けて発信されている。
どう考えても、真っ当な手続きを経てここに記載されているとは思えない。なるほど、これは確かにアンダーグラウンドな情報。形は違うが、裏サイトと呼ぶに相応しいものだった。
「なぁ海法。これ、かなりやばいサイトなんじゃないのか?」
「裏サイトなんてやばくてナンボのもんだろ」
しれっとした態度で海法は言う。「それに、このサイトの凄いところはこれだけじゃないんだ」
「まだ、何かあるのか?」
これだけでも充分法的にアウト、間違いなくクロだというのに。俺が問うと、海法は妙に嬉しそうにマウスホイールをスクロールさせた。
「ここの記述、読んでみろよ」
海法は画面の中でポインタをくるくると回してみせた。俺はなんの装飾もなく目印もない文章を追い、該当部分を読む。
五月十三日(月)
市内のコンビニエンスストアで黒田義雅(同級生。詳しくは本人の項を参照)と結託し、万引きを決行するが、窃盗を目撃していた一般市民に声をかけられ、逃走。盗んだ品はヘアスプレー、ドリンク剤、ボールペンなど計八点に及ぶ。
また、二人は今回が初犯ということではなく、中学生時代から同様の犯行を繰り返しており、被害総額は十五万円にのぼると言われている。
「これは……」
俺は息を飲んだ。
「犯罪記録」俺の言葉を引き継ぐように、海法は言った。「つまり、このサイトは、うちの生徒で悪いことをした奴をこうして実名で――ついでに他の個人情報も添えて――晒しあげてるってわけだ」
「なるほど」俺は肩を竦めた。「『校内犯罪者リスト』ね。要するに、ここに名前が載っている奴は大なり小なり、悪さをしでかした人間ってことか」
「そういうこと」
我が意を得たり、といった笑顔で、海法は首を縦に振った。
表が貼ってあったページには、少なくとも百人ほどの人名が書かれていた。つまり、それだけこの学校には悪事をはたらいたことのある奴がいるということだろう。たしか全校生徒は千人くらいだったはずだから、およそ十分の一がここに記載されていることになる。
「これ、書いてある情報に信憑性はあるのか?」
俺は頭を掻きながら海法に聞いた。ネットの情報なんて根も葉もない噂や、もっとタチの悪いものだと個人的な感情から中傷目的で書かれているものなんかも少なくない。
そう考えると、このサイトも『犯罪者リスト』ではなく、単にサイト作成者の『嫌いな奴リスト』である可能性も、十分あるように思えた。
しかし海法は「ある」と当然のように答えた。
「俺だって疑ってたよ、最初はな。で、気になって裏をとった。そしたら、ここに書いてある事件を実際見たとか、あるいは本人から聞いた、なんて奴がわんさか出てきたよ。中には、俺は悪いことやって裏サイトに晒された、って自分から言ってきたアホもいたぜ」
それは随分オープンな奴もいたもんだ。
「それに」海法は勿体つけるようにちっちっと指を振った。「過去に起きた、有名事件のことも書かれているし」
「有名事件?」
「初も聞いたことあるんじゃないのか? 『女子高生暴行飛び降り事件』って」
「あぁ」
それなら確かに聞いたことがある。
十年くらい前、当時十六歳だった女子高生に対して、同級生の男数名が数ヶ月にわたって暴行を繰り返し、自殺に追い込んだというものだ。
当時はまだ幼かったが、のどかなこの街で起きたショッキングな事件として、両親や周りの大人たちがえらく騒いでいたので、ぼんやりとではあるが覚えている。
とはいえ、あれは全国ニュースでも流れた正真正銘の事件だ。万引きなんかとはわけが違う。別に誰が知っていても、この街の住人ならばむしろ知らなくてはおかしいレベルの話だ。
「そんなもん、別に新聞でも他のサイトでも、何でも載っているじゃないか」
「そうじゃないんだよ」海法は首を横に振った。「新聞なんかじゃ犯人の高校生たちは名前が伏せられていた。少年法ってやつだな。でもこのサイトでは、犯行に関わった全員が実名で載っているんだよ」
「……それで?」
「こっちも調べてみたけど、犯人の名前はここに書かれている奴らで合っているみたいだった。……仮に嫌いな生徒を中傷する目的でこのサイトを作ったなら、過去の事件までこんなに詳しく載せる必要ないだろ」
「まぁ、そうかもな」
むしろそう思わせることが狙いなのかも、と少しだけ考えたが、どう考えても余計な労力の方が多すぎる。現実的ではないだろう。
「で」俺は海法に聞いた。「お前、この噂調べて、どうするわけ?」
「え? そりゃ、校内新聞の記事にするよ。こんなおいしいネタ、使わないのはもったいないぜ」
「いや、さすがにこれを記事にしたら怒られるだろ……」
確かに好奇心をそそられる内容ではあるが、実名や犯罪歴なんかがモロに書いてあるサイトを紹介するのはさすがにまずいだろう。生徒や保護者向けの広報誌としては、いくらなんでもセンセーショナルすぎる。
海法もその辺を理解してはいるが納得はできていないようで、ぶすっと唇を尖らせた。
「ダメかな?」
「ダメだよ」
にべもない俺の言葉に、海法は「だよなぁ」と大きく肩を落として嘆いた。
そこで会話が途切れたのをきっかけに、俺たちはそれぞれ担当記事をパソコンで作り始めた。
結局最後まで、部長と神達は部室に現れなかった。