終章
あの事件が終結してから一週間が経った。
今日は十一月三日。すでに季節は秋から冬へ移ろうとしていた。
この一週間は怒涛だった。本当に、色々なことが。
まず、俺の話。
パトカーが駆けつけてきたあと、俺はそのまま救急車を呼ばれ、病院へ担ぎ込まれた。
左脚の傷は出血の割に大したことはなく、簡単な処置だけで済んだ。一日だけ検査入院もしたが、その次の日には無事退院して、日常生活に戻ることができた。
警察の人に事件のことをしつこく聞かれるかと思ったが、事情聴取は案外すんなりと終わってしまった。むしろ「信じていた先生に裏切られて、辛かったね」と気遣われる始末だった。面倒がなくて良かったが、そんなに悲愴な表情をしていたのだろうか。
海法の話。
岸川の足止めを文字通り必死にやってのけた海法は、本人が言っていたよりも重症で、あばらを二本折っていた。全治一ヶ月半、だそうだ。
そのため二週間の入院を余儀なくされて、今も美鶴ヶ丘病院に入院中だ。最近、美人の看護師と仲良くなったとか言って浮かれていたので、まぁ、元気と言えば元気なんだろう。
神達の話。
神達は特に目立った怪我もしていなかったので、翌日から普通に登校していたらしい。
痛ましい姿の俺よりも話を聞きやすいと思われたのか、岸川や俺たちのことでクラスメイトや先生、果ては警察にまで質問攻めにされていた。だが、持ち前の淡白なクールさで突っぱねて、難なく切り抜けたと聞いている。
唯一無事だったのが神達で良かった、と少しだけ安堵したのは秘密だ。
部長の話。
結局、部長は家族揃ってこの街を去った。いつ引っ越したのか誰も知らず、気がついたら家は空家になっていた。
部長が今どんな状態なのか。新しい街でちゃんとやっていけるのか。気にならないといえば嘘になるが、気にしてもしょうがないことだ、とも同時に思う。
せめて彼女が心安らかに生活できる場所であることを、俺は願わずにはいられなかった。
岸川の話。
あの日、岸川は駆けつけた警察官によって逮捕された。俺と海法に暴力を振るった現行犯だった。
翌日、学校で岸川の免職が発表されたらしいが、罪状など詳細は誤魔化されていた、と神達は教えてくれた。きっと学校側はあまり事件をおおごとに、そして明るみに出したくないのだろう。学校なんてそんなものだ。特に興味もなかった。
岸川は今も警察署で取り調べを受けている。
しかし、どれだけ質問しても牧谷優奈の名前を呟くばかりで、ほとんど会話にならない状態らしい。狂気は解けたが、正気は失ったままだった。
もう一度エンジェルアプリを作る気力も湧かないのだろう。先日面会に行ったとき、岸川はこの一週間で十歳は老けたように見えた。
そのときも、娘の名前を念仏のように繰り返していた。ただの一度も、俺を見ようとはしなかった。
さて。
あと語るべきは、今回の発端となった、例の裏サイトについてだろう。
結論から言うと、裏サイトはある日突然、消滅した。
いつ消えたのかわからないくらい忽然と。それはもう、綺麗さっぱり。
もちろん俺は何もしていない。海法や神達、きっと部長も同様だろう。岸川だって、あんな状態で何かができるとは思えない。
だとすると、警察が消したのだろうか。だけど、どうにもすっきりしない。神達はしきりに不思議がっていた。俺が「きっと天使の置き土産だよ」と言うと、ますますわけがわからないというように首をかしげていた。
……とまぁ、色々な人に、色々なことがあった一週間だった。
それはさておき。
十一月三日は文化の日だ。祝日を文化的に過ごすため、俺は分厚い小説を引っ張り出し、自宅で読書を嗜んでいた。
ベッドに腰掛けながら本を読み、きりのいいところで手を止めて大きく伸びをする。
そのとき、ふと机の上に鎮座する四角い箱が視界に入った。
デスクトップパソコン。高校入学時に買ってもらった、大事な宝物。
それに住み着いた、人工知能の電脳天使。
彼女が現れてから、まだ二週間。彼女が去ってからは、一週間しか経っていない。
だというのに、彼女の顔を思い出すと、もう何年も前の出来事のように懐かしく感じる。
「……アンジュ」
言って、自分で驚いた。無意識に彼女の名前を呼んでいた。
我が身を犠牲にして、事件を食い止めようとした彼女。
しかし、彼女の活躍を知る人は少ない。海法も、神達も、部長も知らない。岸川もあんな状態では、知っているとは言い難いだろう。
はっきりと覚えているのは、俺だけだった。
それが、悲しかった。寂しくって、切なかった。
「……アンジュ……」
もう一度、名前を呼ぶ。だけど当然、返事はない。
岸川の携帯電話は、あのあと警察に回収された。データの復元作業も行われたらしいが、状況は芳しくないらしい。それも当然だろう。ウイルスに冒されていた上に、粉々に砕けてしまったのだから。
彼女は消えた。もう二度と、会うことすらできない。
「アンジュ……!」
「――そう何度も呼ばなくても聞こえてるよ、初」
ふと。
澄んだソプラノボイスが、耳に届いた。
今この部屋には俺以外、誰もいない。
だったら――!
俺は声のする方へ素早く目を向けた。そこには変わらずパソコンが置いてあるのみだ。
鎮座するデスクトップを睨んでいると、ぶうん、と急に画面に明りが灯った。
そして、そこには。
「ただいま、初」
「……あ、ああ」
天使が、映っていた。
「アンジュ!」
「イエース!」
軽快な返事とともに、彼女はぐっ、と親指を突き立てて見せた。
「心配かけたな、初。だけどこの通り、帰ってきたぞ」
「あ、アンジュっ。本当にお前なのか!? ど、どうやって……」
助かったんだ、と訊くより早く、アンジュは得意げな顔で笑って見せた。
「警察のデータ復元で、なんとか一命を取り留めたよ。多少はウイルスのダメージが残っているけれど、問題ないレベルだ」
「で、でも、復元作業は上手くいっていないって……」
「ああ」なんでもなさそうにアンジュは言う。「そりゃあ、私以外のデータは全部消えているし」
「そ、そうなのか?」
「というか私が消した」
しれっと彼女は言った。
「今回の事件はあまり、おおごとにしたくなかったんでな。私の存在もバレてしまうし。そうなると今後、やりにくくなる部分もあると思って。……警察がデータ復元をしたあと、隙を見てこっそり逃げ出してやったよ」
「またかよ」思わず苦笑が漏れる。本当に色んなところから逃げ出す奴だ。
「それとな」
こほん、とアンジュは咳払いをした。
「あの事件、私はちょっとだけ情報提供をしたけれど、解決したのはほとんど初の力だったじゃないか」
「そんなことないよ。アンジュがいなかったら――」
「まぁ、最後まで聞け」
俺の言葉を遮って、アンジュは話を続けた。
「それでな? その……『誰がこんなサイトを作ったのか。何のために作ったのか』っていう謎も、初が自力で解いただろう?」
「それは、まぁ……」
そう言えなくもないけれど。
「だからな」アンジュはそっぽを向いて頬をかいた。「私は初の『知りたいこと』をまだ叶えていない。これはつまり、私は電脳天使としての責任を果たしていないんじゃないかと思うのだよ」
「はぁ」
「つまりその、なんていうか、私が言いたいのは――」
アンジュはちらり、と上目遣いで俺を見た。赤く上気している頬が、愛らしい。
「――私、またここにいても、いい?」
そっと囁くように、彼女は言った。
鼻血が出るかと思った。
それくらい、心に刺さる言葉だった。
「……あぁ。もちろん」
当然、俺の答えはイエスだ。そんなに可愛い顔されて、断るなんて選択肢は俺の中にはない。
「これからもよろしくな、アンジュ」
「ああ。こちらこそヨロシク、だ。初」
そうして俺たちは、画面越しのハイタッチで、久しぶりにお互いの存在を確かめたのだった。
【了】
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
感想や疑問質問、叱咤激励その他なんでもコメントして頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします!




