三章 その四
その後もいくつか真田さんに質問をしたが、めぼしい情報は何も出てこなかった。
彼女は弁当を食べ終わると「何かあったらまた声かけてね」と言って軽い足取りで部室から去っていった。振り返りもしなかった。
一人きりになった部室は、静かだった。椅子の軋む音さえ、妙にうるさく聞こえる。
「あんまり収穫、なかったなぁ……」
ひとりごちる。今の話で分かったことは、精々『どこにも出ていない情報が、あのサイトにはなぜか載っている』という程度のことだった。無意味だとは思わないが、有意義だったとは言い難い。
しかし、予定よりも早く『取材』が終わったのはラッキーだった。今から急いで教室に戻れば、何とか弁当を食べるくらいの時間はあるかもしれない。
「三田村? 何しているんだ?」
そんなことを考えていたら、不意に、声をかけられた。驚くと同時に、緊張が走る。
「おや、驚かせてしまったかな? ははっ、すまない」
声の主を探すと、部室の扉に手をかけている初老の男性が佇んでいた。男は胡麻塩頭をさすりながら、穏やかに謝る。
「岸川先生……」
岸川仙太郎。スマートな体型と物腰の、老紳士という言葉がよく似合う数学教師だ。昔、何やら小難しい研究で博士号を取ったとかで、話しぶりからは常に深い知識と教養を感じさせる。それでいて教え方も上手いので、保護者受けがすこぶる良いと専らの噂だった。
さらに、悪いことはしっかり悪いと言うが、かと言って頭でっかちに注意しない。砕けた話し方でお茶目に言ってくれるので、生徒にも人気がある。優良教師の見本みたいな人だった。
「先生、どうかしたんですか?」
「いやいや、若い男女が狭い部屋で二人きりだったから、何事かと思ってね」
岸川先生はおどけた調子でにこやかに笑った。なるほど。きっと過去に、その、そういう、いかがわしいことをした生徒がいたんだろう。ならば教師としては、確認しないわけにはいかない。納得だ。
「すみません。ちょっと先輩に色々聞きたいことがあって」
「色々? ……あぁ」先生は何かを察したように声を上げた。
岸川先生は椎野部長のクラス担任をしている。加えて、新聞部の顧問でもある。つまり、学級と部活、両面から部長を知っているというわけだ。当然、首吊りの件も知っているだろう。
「椎野くんのことか」先生はずばり遠慮なく、ストレートに聞いてきた。
ここまでまっすぐ切り込むということは、大体の見当がついているのだろう。誤魔化すのもおかしいと思い、俺は首を縦に振った。
「そうか」岸川は難しい顔で眉間のしわを深くした。「君たちも色々な噂を聞いてショックだろう。辛いだろうが、だが一番辛いのは椎野くん本人だ。どうか支えになってやって欲しい」
「……はい」俺は拳に力を込めて答えた。
こういった温かい言葉は、正直、嬉しい。真田さんの話を聞いて、なんだか言いようのない温度差を感じていたところなので、尚更だった。
先生は柔らかい笑顔で「ありがとう」と満足げに頷いた。
「ところで三田村、神達くんの電話番号かメールアドレスを知らないかな? 今は部長がいないからね。色々と副部長に連絡しておかなければならないことがあるんだ」
「あ、知ってます」俺は席を立ってポケットから携帯電話を出した。「よければ今、教えましょうか?」
「そうしてくれると、助かる」
そう言って岸川先生も携帯電話を取り出した。比較的新しい機種のスマートフォンだった。
「良いケータイですね。俺のより新しい」
「これの前もスマホで、まだまだ使えたんだがね。新しい物好きで、つい買い換えてしまった。ミーハーなんだよ」
先生は照れくさそうに笑った。年長者にこう言うのは失礼かもしれないが、少年のような、眩しい笑顔だった。
それから俺は、先生に神達の電話番号とメールアドレスを教えた。同時に神達にも先生へ教えたことをメールで送った。
返事はすぐに来た。「了解」の二文字だけの、寂しい内容だった。
「それじゃあ、三田村。よろしく頼むぞ、色々と」
「はい」俺は空元気ではない、本物の返事をして、先生と別れた。教室に戻ると、ちょうど昼休み終了のチャイムが響いた。
「……なぁ、初」席に座った瞬間、ポケットの中からアンジュがおずおずと声をかけてきた。
「どうした?」
「ユー、お昼を食べてないけど、いいのか?」
「あ」
そうだった。岸川先生と話していたら、すっかり忘れていた。
今から食べればギリギリ間に合うかも、と慌てて弁当箱に手をかける。しかし次の瞬間「授業を始めるぞー」と、教師が扉を開けて無慈悲に入ってきた。なんてこった。
結局、昼食を摂る余裕なんてなく、次の授業が終わるまで、弁当はお預けとなってしまった。




