7070・時の盗人
西暦7070年、人々の「時間」が奪われる事件が起こった。それは人々が精神の恒久的な安らぎを得て、世界が安定した平和を勝ち得た時代の物語。
犯人の動機は単純だった。「人々の『時間』を奪い、それをエネルギーにして『夢』を叶える」。警察や国家機関の数々に送られた犯行声明文にはその旨の内容が書かれていた。
関係者はそれが実際にどんな意味を持つのか、どんな形を取るのか把握しきれなかった。犯行声明文には小さく「西條時人」とサインがしてあった。
警察や国家機関は西條時人なる人物の行方を追った。だがどんな組織にもどんなデータにも西條時人の名前を見つけることが出来なかった。「愉快犯」。警察や関係者の脳裏にそんな言葉が過った。
人々の「時間」が奪われる。それは具体的にどんな事柄を指すのか、関係者は見守った。西條時人なる人物に「時間」を奪われた人々は文字通り「時間」を西條に奪われていた。
被害者は西條の作った音楽、言葉、映像、アートに心酔し、溺れきっていた。彼らは夢遊病者のようにそれらに熱中し、夢中になり、「時間」を忘れ、「時間」を奪われた。
彼らの時間は電子マネーに換算され、西條の懐に入った。その膨大な電子マネーを手にして西條時人なる人物が何を引き起こすのか関係者は畏怖した。
そんな中「時間奪取事件」の特別捜査班が立ち上げられた。その名も「特殊七課」。エリートの武装集団、高度なハッキングの技術を持ったプログラマーなどで構成されたグループ。
リーダーになったのは齢38を重ねる特別警察叩き上げの人物、剛掌宗則。彼は早速チームを統率し、西條時人なる人物の特定を急いだ。
捜索技術に抜きんでていた特殊七課の面々はすぐにとある人物を、西條である疑いで浮上させた。その人物の名は、出崎真司。近代アート「モグルミッシズム運動」の旗手である人物だ。
「モグルミッシズム」とは「潜る」と「ミス」を合わせた造語であり、未来社会に適応する、「潜る」ことを「ミス」したアウトサイダーの集団の思想であった。
「モグルミッシズム」は反権威、反文明、反科学、反管理社会を掲げていた。それは丁度人々の「時間」を奪うために、西條が作ったアートや思想、言葉と一致した。
特殊第七課は早速、捜査令状を取り、出崎真司の邸宅に向かった。豪勢なブルジョア風の出崎真司の邸宅。その門を、剛掌を先頭とする第七課は叩く。
だが出迎えたのは出崎真司でもなく、その家族でもなく、近親者でもなく、就労ロボット「Rタイプ0825」、通称「ギガ」だった。
7070年の現在、一般家庭に万遍なく普及した「ギガ」は言葉通り、「機械的に」第七課の面々に応対した。
「ミスター・剛掌。あなたの訪問をマスターである出崎真司は心待ちにしておりました」
そして朴訥として、同時に慇懃に、礼節正しくこう伝える。
「マスター・出崎真司が『時の盗人』西條時人であるのは最早揺るぎない事実。マスターは逃げも隠れもしません。これを……」
そう言ってギガは一枚のメッセージカードを差し出す。そこには1000年前、「バイオエネルギーハザード」という未曽有の大惨事を引き起こした「十勝研究所」への招待文が書かれていた。
「バイオエネルギーハザード」。それは「バイオエネルギー」という新規エネルギーの開発に勤しんでいたドクター・十勝正宗が精神に異常を来たし、「十勝研究所」を爆破すると、人体に有害な気体を世界中にばら撒いた事件だった。その被害者は億単位に上る。
十勝正宗の動機は今もって定かではないが、警察及び国家、そして国連は「心身衰弱による業務の逸脱」として片づけていた。
その「十勝研究所跡地」へ出崎真司、いや「西條時人」は特殊第七課を招待するという。剛掌を初め第七課の面々は不穏なものを感じた。
そして招待日の7070年5月5日。丁度1000年前「バイオエネルギーハザード」が起こったその日に第7課の面々は「十勝研究所跡地」へ向かった。
「十勝研究所跡地」。今は広大な廃墟として形を成している場所。国連に「人類の負の遺産」として登録され、保管されている場所に、彼、出崎真司、西條時人は待っていた。
西條は剛掌を目にとめると、物静かに笑みを浮かべ1枚の便箋を取り出した。
「ミスター・剛掌。『バイオエネルギーハザード』の謎。十勝正宗発狂の謎について知りたくはないか」
剛掌は頷いた。第7課の面々はいつでも武器で西條を狙撃出来る位置にいた。それでも西條の動機を聞き出すために、寸前まで武器の使用を控えた。
「この便箋はドクター・十勝正宗がしたためたものでね。なぜそれが私の手元にあるか。それはドクター・十勝正宗が私の直接の祖先にあたるからだ」
そう言うと西條時人は手にした便箋の中身を読み上げる。
「理沙。元気にしてるかい。『バイオエネルギー』の研究は順調だ。今にも実用化されるだろう。だけど僕にとって気掛かりなのは君が一向に私に振り向いてくれないことだ。愛してるよ。理沙。どうか僕の心の叫びを聴いてくれるように」
そこまで読み上げて西條は口にする。
「ここまで来れば、ドクター・十勝の発狂の原因が分かるだろう」
その理由のシンプルさ、動機の直裁さに剛掌は気味の悪いものを感じた。西條は口を開く。
「人間なんて単純なものだよ。人類に新規エネルギーでどれだけ貢献出来ようとも、文明に貢献出来ようとも、一人の女性への恋心が実らなければおかしくなってしまうんだよ」
そして西條は手を軽く挙げて付け加える。
「当時、『人類最高の叡智』と称された男もたった一人の女性の愛ですら得られなかったんだよ。これで彼の動機、『バイオエネルギーハザード』の原因が分かっただろう」
剛掌は一言厳然として零す。
「たった一人の男のロマンティシズムで億単位の人々の命が奪われたとでも言うのか」
西條は頷く。そして彼は両手を広げて自らの思想を披露する。
「西暦7070年を迎えた現在、未来社会とも呼べる時代にどうしてロマンティシズムが存在する事を許される? どうして普通に人を愛する事が許される? 結婚相手でさえDNA鑑定で決められてしまう時代にだ」
剛掌達第7課は言葉を失った。その事実は確かに失われていくヒューマニズムの象徴でもあったからだ。西條は優しく微笑む。
「だから私は人々の『時間』を奪った。人々の原始の鼓動、原初の本能を取り戻すために」
そして寂しげに零す。彼は人間の「自由な心」が奪われた時代を憂いているようだった。
「私が集めた巨額の電子マネーは私にとっての『理想郷』『楽園』を作るために必要な資金だったんだよ。だが……」
そう言って西條は話を締めくくる。彼は自らの最後を、終焉を覚悟しているようだった。
「それも儚い幻想で終わる。どこで聞きつけたか知らないが、この『十勝研究所跡地』を国連軍が包囲している。私もドクター・十勝正宗、彼のロマンティシズムとともに朽ちる」
「西條……」
そう口にした剛掌は、西條に限りないシンパシー、共鳴を感じ、知らず知らずのうちに同調していた。そして西條は褐色のコートを翻すと、その場を立ち去った。言葉もなく、足音もなく、ただ静かに、幻想的に。
「待て! 西條!」
その剛掌の言葉は西條には届かなかった。西條は軽やかに、影のように、シルエットのように「十勝研究所跡地」を後にした。
そして次の瞬間、西條時人に向けて照らされるサーチライト。光の数々。それは西條を危険視し、足取りを追った結果、配備された国連部隊のものだった。
その時ユラリと、西條は陽炎のように揺れて笑ったように、剛掌には思えた。
そしてその刹那には激しい銃撃音が鳴り響く。膨大な数の弾丸が西條目掛けて放たれ、彼は銃撃に遭った。剛掌は叫ぶ。
「西條!」
剛掌は、血を流し、息も絶え絶えになった西條のもとに駆け寄り、抱き上げた。
「西條……」
最後の時を迎え、今際の際に西條はこう零す。それは西條の思想であり、その結晶であり、遺言だった。
「人のカタチがどう変わろうと、僕は胸に仕舞った『夢』を信じているんだよ」
そう言って西條は息絶えた。国連部隊のエリート達が西條と剛掌を取り巻くように近づいてくる。それを剛掌は、西條を抱き寄せたまま制した。
「しばらく、このままでいさせてくれないか」
そして剛掌は一粒の涙を零し、青空を見上げた。そこには白い雲が透き通る「青」をゆっくりと流れていた。それは西條時人のロマンティシズム、ヒューマニズムを表しているようだった。
静かにただただゆっくり雲が通り過ぎて行く。そしてここに西暦7070年、世界を震わせた「時間奪取事件」が終わったのである。
後日、顛末書を書き終えた剛掌は軽い足取りで公園に出掛けて行く。今日は妻と子供とともにピクニックを楽しむ日だ。彼は取り戻されたささやかな日常を満喫していた。
吹き込む風はどこまでも透き通り、清々しかった。弾むような足取りで妻と子供のもとに向かう剛掌の胸には西條の言葉が今でも、そしていつまでも息づいていた。
「僕は、胸に仕舞った『夢』を信じているんだよ」




