14 フランス ユグノー戦争からルイ13世まで
「よっ!勉強してるか?」
「今まで瑞季君がその質問して私が一度でもしてるって言ったことがあった?」
「得意げな顔してんじゃねぇよ、やれよ。」
「いや、さ。どうせ瑞季君が私の部屋に招いてもないのに来るのはわかりきってるから何も自分で勉強しなくても……って思っちゃうでしょ。」
「…………。」
「え、や、ちょ、ごめん、すいません申し訳ございません平に平にお許しください!!だからその右手の国語辞典という名の鈍器を下ろしry……、」
フランス・宗教改革と絶対王政
「前回はイギリスの絶対王政だったが今度はフランスな。」
「現在進行形で瑞季君が私に絶対的な王制を揮ってるよ……。」
「あ?」
「サーセンシター。」
「まずはヴァロア朝からな。本格的に王政が始まるのは次のブルボンだが、王政の種が生まれたのはヴァロア朝、シャルル9世のときだ。それで、宗教改革中のフランス国内はどんな感じだった?」
「感じって……少なくともカルヴァン派だったのは覚えてる。」
「そのカルヴァン派だが、フランスではユグノーと呼ばれていた。ユグノーはフランス語で『同盟者』の意。カルヴァンはフランス出身の新教徒だったが、フランス全体でいうと旧教、カトリック派だった。特にシャルル9世の時代、実質的には母親のカトリーヌ=ド=メディシスが政をとっていた。で、1562年かた旧教徒がユグノー戦争を起こす。大きく言うと、 新教徒のユグノーVS旧教徒有力貴族ギーズ公 って感じだ。1572年にギーズ公によってユグノーの大虐殺、サンバルテルミの虐殺が行われる。。ちなみにこの大虐殺は、旧教徒側は三千人、新教徒側は1~2万人のユグノーが殺されたって主張していたらしい。」
「うわぁ……南京大虐殺みたい。」
「たぶん大虐殺がある度にどこの国も主張食い違ってんじゃねぇの?で、まあこのシャルル9世の14年の帝位ののち、ヴァロア朝が断絶される。次に即位したのが1589年アンリ4世だ。ここからブルボン朝が始まる。」
ブルボン朝と絶対王政
「じゃあブルボン朝から、」
「……なんかお菓子食べたくなるね。」
「某社のお菓子だろ?……まあそれは置いておいて、アンリ4世は新教徒派だったが、カトリックに改宗した。これでもうフランスは完全にカトリック一色になるかと思われたが、1598年、ナントの王令が出された。」
「なんとっ!!」
「……突っ込み待ちか?突っ込み待ちなのかこのヤロー。ナントの王令は新教徒に旧教徒と同等の権利を与え、近代ヨーロッパにおいて初めて個人の信仰の自由を認めた。」
「んん……?ちょ、ちょっと待って?1598年にナントの王令が出されたけど、1555年にアウクスブルクの和議があったでしょ。なのにヨーロッパ初なの?」
「ああ、悪くない質問だな。ナントの王令とアウクスブルクの和議は似ているようで決定的な違いがある。アウクスブルクの和議で認められたのは領主の信仰のみ、一方ナントの王令では個人の信仰が認められた。だから個人の、という点についてはヨーロッパ初なんだ。」
「なるほどー。アウクスブルクの和議は実質的な自由じゃなくて、とりあえずルター派の反発を緩和させる一手だったんだね。文句が言える立場にいるのは領主とかだからそこさえ押さえとけば反乱でも起こらない限り内政が安定するね。」
「そうそう。それにアウクスブルクの和議はカトリックとルターの二択だったしな。このナントの王令でユグノー戦争は幕を下ろした。アンリ4世の時、宗教改革でごたごたを何とかしてて、絶対王政はその子のルイ13世になってからだ。」
「ルイ13世の政治を支えたのが宰相リシュリューだ。」
「リシュリュー……言い辛っ!」
「言い辛くてもこいつは手腕を揮った。大貴族を抑え、ユグノーの政治力をくじき、ひたすら王権の絶対化に努めた。絶対王政の一歩目が三部会の招集停止だ。三部会は覚えてるか?」
「ふわふわと……聖職者、貴族、市民ってところは覚えてる。」
「三部会はフィリップ4世の時に作られた。」
「フィリップ4世っていうと、ボニファティウス8世のアナーニ事件?」
「そうそう、フィリップ4世といえば教皇のバビロン捕囚と三部会だ。ルイ13世はこの三部会を停止させることで、貴族やユグノーの勢力を抑え、蓋をした。ちなみに、この三部会は1615年に止められて、1789年のフランス革命になるまで停止されたままの状態だった。」
「確かに推し進めるなら民会っていうか王以外の議会なんて潰しちゃうのが早いもんね。」
「それと、ルイ13世は30年戦争にも介入するが、まだやってないからとりあえずおいておいてくれ。このあとすぐやるから待っとけよー。」