12 イタリア戦争からオランダ独立まで
「おっ、日向!テストそうだった?」
「死んだ……結局間に合わなかったです……。」
「ああ、だろうな。」
「せっかく教えてもらったのに、ごめんね……。」
「まあ良い、そんなにへこむな。次だってあるし、本番は入試なんだからよ。まだまだ頑張れば良いだけの話だ!」
「……ところで聞いても良いですか、瑞季さん。」
「ああ、俺にこたえられることならな。」
「……テストは終わったのに、私の部屋に来ているのはどうしてですか?」
「そりゃお前、俺がもってきたもん見りゃわかるだろう。」
「世界史の教科書、世界史の資料集、世界史のワーク、世界史の用語集……なるほど、理解しました。」
「おう、今回お前が言いだすのが遅かったから間に合わなかった。だからもうお前が泣きついてくる前に俺がお前に教えた方がはやいだろ?」
「……えっ!今から!?この前テスト終わったばっかりだよ!?」
「どうせ今回も一週間間になってから泣きつくんだろ?始めるなら早い方がいい。おら、やるぞー。」
「まじっすか。」
「まじっすよ。」
イタリア戦争と主権国家体制
「イタリア戦争の時期、だいたい15、16世紀だな、このころヨーロッパ諸国が目指したのが主権国家だ。」
「しゅけんこっか?」
「主権国家は明確な国境で囲まれた領域と独立した主権を持つ近代国家のことだ。」
「それまではその、主権国家じゃなかったの?」
「ああ、中世以降の国家は神聖ローマ帝国やローマ教皇みたいな普遍的な権威を持ったものだった。一歩皆が目指した主権国家は互いに対等な関係だ。互いに対等であるがゆえに各国の競争が生まれ、国際秩序が形成され、17世紀のドイツの三十年戦争によって確立されることになる。今からはそのドイツの三十年戦争までの、主権国家体制の過程について順を追ってやってくな。」
「はい、閣下!」
「その主権国家体制の形成は大体16~18世紀の間に展開された政治体制が絶対王政だ。王権への中央集権化の進んだ政治体制で、没落しかかった封建貴族と力をつけつつある市民階級の均衡を保持している。んで、この絶対王政の間にできた組織が二つ。一つは王の手となり足となり働く行政組織職の官僚。もう一つは戦時平時問わず組織される軍隊の常備軍。」
「要は文官の集団と武官の集団みたいな?」
「ん、大方そんな感じだ。で、この絶対王政における特徴的理論が王権神授説読んで字のごとく、国王の支配権は王の先祖が神から授かったもので、万が一、失政した場合も、国民への責任はないっていうご都合主義な理論だ。」
「うわっセコい……。雰囲気でいえば日本の天皇に似てる?」
「まあ似てると言えば似てるのか。だが天皇は神から王権を授かったんじゃなくて天皇の先祖自身が神のニニギだったし、失政すれば、国民への責任がないってわけじゃない。これを唱えた代表的な王を上げると、イギリスならジェームズ一世、フィルマー、フランスなら『国家論』をかいたボーダン、ルイ14世、ボシュエ、くらいだな。で、ひとつ大切になるのが政策なんだが、……国を強くするのに必要なものといえばなんだ?」
「うええ……強い武器を持たす?」
「強い武器を持たせるには?」
「……買ったり、作ったり?」
「そう!国力の増強にはどうしても金がかかる。それは文官も武官もしかり。どちらも多くの人間が必要で人件費がかさむんだ。だから財政資源を確保する必要があった。そこで国の取った政策が重商主義だ。国家が積極的に経済に介入してくる。で、この重商主義にも発展の過程があって、重商主義の初期は海外植民地での金銀山開発から貨幣を得る重商主義の方法。これを特に行っていた、多くの植民地持つ国といえば?」
「あー……いろんなとこに船を乗り回してたスペイン?」
「そう、初期は16世紀のスペインである程度発展してきて行われ始めたのが貿易差額で黒字を拡大させ貨幣を得る、貿易差額主義だ。イギリスやフランスで発展するにつれて当然、輸出用の商品が必要になる。そのおかげで国内産業も発展し、それを補助していたのが産業保護主義。」
「お金も稼げて国内の技術力も上がって一石二鳥だね。」
「まあ主権国家体制確立までの大体の考え方だ。今からは国ごとにやっていくが、その前に出発点になるイタリア戦争だ。」
イタリア戦争
「イタリア戦争のそもそもの発端はフランスと神聖ローマ二国のイタリア侵攻にあった。神聖ローマはハプスブルク家、フランスはフランス王ヴァロワ家のシャルル8世。1494年にシャルル8世が侵入し、その後フランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝カール5世の間で争われた。で、1559年にフランスはイタリア支配を断念し結ばれたのがカトー=カンブレジ条約だ。ところで今出てきたフランソワ1世とカール5世は前回のテスト範囲でも出てきていたが、覚えているか?」
「あ――……フランソワ1世はオスマン帝国とのカピチュレーションの時で、カール5世は……なんかすごい出てて来た気がする。聞き覚えはあるかな。」
「カール5世ふわっふわだな……カール5世はルターの弾圧のとき、ヴォルムス帝国議会を開いたり、アウクスブルクの和議を結んだり……あ、ルターを破門したのはカール5世じゃなくてその前の教皇のレオ10世だから気をつけろ。」
「すでに前回のテスト範囲が……。」
「一回覚えたらもう忘れんな。次に忘れていいのは受験が終わってからだ。」
スペインの全盛期
「んじゃ最初にスペインからやるな。スペインの絶対王政全盛期の手前、スペイン王カルロス1世だ。即位したのが1516年で、1519年には神聖ローマ教皇カール5世になった。」
「んん……?って待て待て待て!?カルロス1世がカール5世になっちゃったの!?同じ人!?」
「ああ、同じ人間だ。カルロス1世はハプスブルク家出身で、1493年に神聖ローマ教皇に即位した、マクシミリアン1世の孫。1519年にフランソワ1世と神聖ローマ教皇の選挙戦に勝利したカルロス1世と、スペイン王のカルロス1世と、マゼランを支援したカール5世と、ルターと対立したカール5世と、イタリア戦争でフランス・オスマン帝国と対立したのもカルロス1世であり、カール5世だ。」
「名前変えなくても良いじゃん!つかカール5世いろいろし過ぎ!!」
「ああ、丁度いろんな分野において改革発展があった時勢だからな。で、このカール5世ことカルロス1世が退位した後、王家、ハプスブルク家は息子のフェリペのスペイン=ハプスブルク家と弟のフェルナンドのオーストリア=ハプスブルク家の2つに分裂した。オーストリアについては、国家主権体制の展開のところで出てくるからとりあえず、フェリペ2世のスペイン=ハプスブルク家を先にやるな。」
「1556年のフェリペ2世のとき、スペイン絶対王政の全盛期だ。スペイン、ネーデルランド、ナポリ、新大陸の継承……と、新大陸でスペインが抑えてた場所といえば?」
「場所……?ええっと銀山?」
「おう、何銀山だ?」
「ぽ、ぽ……ポシト?ポトシ?」
「ポトシ銀山な。前まではオスマン帝国に抑えられていたが、1571年のレパントの海戦でオスマン帝国を撃破、地中海を制圧した。さらに1580年にポルトガルを併合、そして新大陸とアジアの路駅を独占した。超ノリにノってた全盛期のスペインは『太陽の沈まぬ国』とまで呼ばれていた。」
オランダの独立
「じゃ次オランダな。まあこのころはオランダじゃなくてネーデルラントって呼ばれてた。現在のオランダとベルギーあたりの領域だ。中継貿易や毛織物産業で繁栄していた。1556年以降スペイン=ハプスブルク家の領土なんだが、このときのスペイン=ハプスブルク家の王は?」
「カール5世の子供の……フェリペ2世?」
「そう、フェリペ2世。1568年にオランダ独立戦争が起きた原因はキリスト教、カトリックとプロテスタントの対立だ。」
「ってことは宗教改革の一部だね。ルター?カルヴァン?」
「カルヴァン派だ。オランダのカルヴァン派はゴイセンと呼ばれていた。ゴイセンは『乞食』っていう意味でスペイン総督がプロテスタントを罵った言葉だ。」
「罵った総督もまさか数100年後にこれだけ定着するとは思ってなかっただろうね。」
「このときの王フェリペ2世はカトリック化、旧教徒改革を行い、自治権を剥奪した。このせいで1568年からオランダ独立戦争が始まった。」
「当然だね!」
「一番最初の指導者はオラニエ公ウィレム。だがそれから10年後、1579年に南部十州、現在のベルギーはスペインの圧力に屈し、反乱から離脱した。理由はわかるか?」
「へ?普通に物理的に敵わなかったんじゃないの?」
「もちろんそれも理由の一つではあるが、そもそも南部十州は北部と比べてカトリック派が多かったんだ。だから他と比べてそこまで新教徒派がいなかった。逆に北部七州は盛り上がっていた。1579年、北部七州はユトレヒトで自由獲得のためのユトレヒト同盟を組んだ。ちなみにこの北部七州のうちでもっとも有力な州がホランド州だ。」
「なんとなくオランダ……?」
「そう、このホランドがオランダの語源になったと言われている。そして1581年に北部七州は独立宣言をする。これでネーデルラント連邦共和国が成立。初代オランダ総督は反乱の指導者だ。誰だった?」
「オラニエ公ウィレム!」
「このオラニエ公ウィレムが初代オランダ総督になった。ただこのオラニエ公ウィレムは1584年に旧教徒に暗殺された。それからはオランダ総督は代々オラニエ公の当主が世襲した。で、1609年にはスペインと休戦条約を結ぶ。」
「ってことは事実上ネーデルラントはスペインから独立したの?」
「ああ、それで1648年スペインは正式に独立を承認するウェストファリア条約が結ばれた。それからの17世紀前半はオランダの全盛期で、17世紀は『オランダの世紀』とも言われた。ところで前に『モンゴルの世紀』ってのもあったが何世紀か覚えてるか?」
「13世紀!これは確かテストに出た!」
「そう、それほどまでにオランダが発展した要因は貿易にあった。この海外進出は東洋経営でバルト海の中継貿易で栄えた。さらに1602年にはアジア貿易を独占するために東インド会社を設立。そして1619年ジャワ島のバタヴィア、今のインドネシアのジャカルタに商館を設立。ポルトガルの植民地を奪い、香辛料貿易を独占した。」
「綺麗にスペインに成り代わったね。まさにオランダの時代。」
「ちなみにインドとインドネシアは違う国だ。」
「……っ!?」
「まさかの知らなったとかふざけんなよ。インドネシアはオーストラリアの上のあたりの島国だ。……一応聞いておくがオーストラリアとオーストリアは違う国だぞ。」
「そ、それは流石に!!」
「不安だわお前ぇ……で、オランダ本土の中心都市は1588年までは現在のベルギーのアントワープだったが1588年のスペイン占領で荒廃した所為で現オランダのアステルダムに移っていった。ネーデルラント連邦共和国の経済文化の中心となり、国際金融、商業、文芸の中心都市にもなっていった。で、そんなオランダは覇権国家と呼ばれた。」
「覇権国家ってかっこいい!!すごい強そう!」
「現に強い。覇権国家は圧倒的な経済力を基盤として政治・軍事面においても並ぶもののない力を持った国家だ。17世紀はオランダ、19世紀はイギリス、20世紀はアメリカ合衆国。覇権国家はその時代の国際社会において決定的な影響力を行使した。まあ国力が大きいってことだ。まあとりあえず今日はここまでな。次はイギリスに行くから今日やったこともちゃんと覚えとけよ。」
「はーい。」




