月
じいちゃんはボケてしまった。
いつご飯を食べたか、何を食べたか、どこへ出掛けたか、何を話したか忘れてしまう。
昼間はいつも縁側で日光浴をしていて、たまにふらふらと散歩に出掛ける。
耳はすっかり遠くなり、さらに目まで悪くなった。
じいちゃんは俺を俺だと分からなくなった。俺をお父さんの名前で呼ぶといつも勝手に話始めた。
そんなある夜、じいちゃんは縁側から空を見上げていた。
そして俺に気付くと、相変わらずお父さんの名前を呼びこう言った。
「おい、聡、いつから空には星がなくなったんだ」
じいちゃんにはもう星が見えない。
あんなに星が大好きだったのに。
次の日、俺はおもちゃ屋で小さなプラネタリウムを買った。
プラネタリウムなら光が近いし、大きい。きっとじいちゃんにも見えるはずだ。
プラネタリウムの電源を入れるとじいちゃんは目を細め、おお、と笑った。
大成功だと思った。俺は嬉しくなった。
でも次の瞬間、ガッカリした。
「随分明るい豆電球だ」
じいちゃんがそう言ったからだ。
じいちゃんにはもう星が見えない。
そんなある夜、じいちゃんがいつかみたいに縁側で空を見上げていた。
そして俺に気付くとお父さんの名前を呼びこう言った。
「聡、今夜は星がきれいだ」
俺は驚いた。
じいちゃん、見えるの?
「今夜の星は、大きくて眩しい。そうだ、聡、お前にもし子供ができたら男でも女でも関係なく、星夜、なんて名前はどうだ」
じいちゃんの顔が滲んでいった。
「なかなか洒落ているじゃないか」
じいちゃんの得意気な顔を月明かりが照らした。
じいちゃんが見ているのは月だ。
でもじいちゃんにはきっと見えているんだろう。大きな一等星が。
俺は生まれて初めて心から月に感謝した。
じいちゃん、俺が星夜だよ、呟いてみた。
聞こえていない様子のじいちゃんは、にこにこしながら俺の頭を撫でた。