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黒澤家の人々


大きな大理石張りのホールが二人を迎えた。

緒凛が暮らすマンションより遥かに広く、天井も吹き抜けになっているためか開放感がある。

高級ホテルのラウンジのようだと言えばまだ納得できるだろうが、これが個人住宅なのだから驚きだ。

ホールを行きかう使用人が緒凛の姿を見つけて、足を止めては深くお辞儀をする。

緒凛の偉大さを改めて痛感させられた真織は、とにかく口をしっかりと閉ざして、覚束ない足取りで緒凛の隣を歩いた。


「兄さん」


突然掛けられた声に、緒凛は足を止めた。

緒凛に腰を抱かれて歩いていた真織の足も自然と止まる。

ふと声をしたほうに視線を向ければ、穏やかに微笑みながらも少し困った表情を浮かべ、緒凛を見つめている少年が立っていた。


「遅いじゃないか兄さん。皆待ちくたびれているよ」

「ああ、済まない。少し準備に戸惑ってね」

「準備って……会社から退社したのは夕方だって聞いていたよ」

「まあ俺にも色々あるんだよ」

「色々あるって……」


そう言って、少年は言葉を詰まらせ、ようやく緒凛の隣に並ぶ真織の姿を見つけ、目を見開いた。

真織もどうしたのだろうかと少年を改めて見ると、その顔に見覚えがあったため、素直にギョッとした。


「二宮!?」

「高本君っ!?」


互いに見つめ合いながら指を差し合うと、緒凛は驚いた表情を見せて二人を交互に見る。


「なんだ(ちがや)。真織と知り合いか?」


緒凛の言葉に、茅と呼ばれた少年はハッと顔を上げて、ものすごい形相で兄の緒凛を睨んだ。


「知ってるも何も、同じ学校のクラスメイトだよっ」


慌てるように言った茅の言葉に、緒凛は言葉を失って真織を見る。

視線を向けられた真織は、緒凛を見上げながら、驚いた表情のまま勢いよくコクコクと頷いた。


「驚いたな……二人が知り合いだったなんて」


ようやく状況を飲み込めたのか、緒凛が納得したようにそうつぶやけば、茅は慌てながらもはっきりとした口調で緒凛に問い詰めた。


「驚いたのはこっちだよ。何で二宮と兄さんが一緒なのさ?」

「何でって……」


茅の勢いある責め口調の質問に、緒凛は少しだけ戸惑ったように再び真織に視線を向ける。

真織も緒凛と茅を交互に見つめ、それから茅に静かにたずねた。


「高本君こそ……なんでここに?」


真織の言葉に、茅はばつの悪い顔をして、真織を見ると、観念したようにつぶやいた。


「俺の実家なんだよ……。ちょっと色々不都合があって、学校では母方の姓を名乗ってるけど……。本当の俺の名前は黒澤茅(くろさわちがや)。正真正銘、凛兄の弟だよ」

「えぇえぇっ!?」


茅の告白に、真織は素直に驚いた。

高本茅改め、黒澤茅は真織と同じ学校の同じクラスに通うクラスメイトだ。

温厚で優しい性格の茅は、容姿も上の中ほどで、男女共に好かれるような好印象の持てる少年だった。

写真部の部長を務め、写真をこよなく愛する普通の少年だと思っていた茅が、まさか緒凛の弟だなんて思ってもみなかったのだ。


「次はこっちの質問に答えてくれる? 何で凛兄と二宮が?」


落ち着きを取り戻したように再び尋ねてきた茅の言葉に、真織はようやく我に返り、おずおずと緒凛を見上げた。


「真織は俺の恋人だ」

「――はぁ?」


ケロッと言ってのけた緒凛の言葉に、茅は思わず声を上げた。

それからその真相を確かめようと真織を見つめるも、真織は茅から受ける疑いの視線に、ひどく怯えながらも小さく頷いて見せた。

その瞬間、茅の口から盛大なため息が漏れた。

額に手を当て、ちょっと待ってくれと空いているもう片方の手の平をこちらに向けてみせる。


「マジかよ……冗談じゃなくて?」


茅のもらした言葉に、真織は眉間に皺を寄せた。

それほど自分と緒凛が付き合っているというのが信じられないなのだろうか。

むしろその言い方は歓迎されていない様子だ。

緒凛と付き合うという形が例え嘘にしろ、自分の身分があまりにも低すぎることを指摘されたようで――真織の胸がズキンッと鳴った。


「二宮、よくこんなオジサン臭い兄さんと付き合う気になったね」

「……え?」


茅の言葉に、真織はふと視線を上げた。

言っている意味が理解できず、茅を凝視していれば、茅はようやく額から手を離して苦笑いを浮かべて真織に言った。


「いや、だってさぁ、兄さん二十八歳だよ? 二宮、もっと男選ばなきゃ駄目だって」


乾いた笑いを見せる茅の言葉に、真織は唖然とした。

どうやら先ほどの言葉は、真織を中傷する言葉ではなく、実兄である緒凛を中傷した言葉だったらしい。

茅の言葉に眉を潜めた緒凛は、心外だといわんばかりに茅を睨んだ。


「後で覚えておけよ茅」

「げ。やめてよね。ほら、二人とも早く行こうよ。皆待ってるから」


ごまかすように茅はそう二人に促すと、踵を返して先にスタスタと歩き始める。

真織はきょとんとした表情を浮かべながら、どうしたものか……と緒凛を見ると、緒凛は苦笑いを浮かべながら言った。


「あれが黒澤家四男坊の茅だ。紹介の手間が省けて済んだよ」

「四男坊?」

「ああ、言っていなかったか。五人兄弟なんだ。全員男」

「えぇっ?!」


この先、少なくとも緒凛の両親を含め、五人に紹介されなければならないのかと思うと、真織はめまいがした。

もうこうなればヤケクソだと言わんばかりに、真織は気合の入った息を一つつくと、再び歩みを進める。

異様なほど気合の入った真織を嬉しそうに眺めながらも、緒凛は何も言わずに真織の横に添う。

内心はもうドキドキバクバクがとまらず、歩く足もふらつきそうになるほど緊張していた。

その緊張は招かれた部屋に居た人たちの視線がこちらを向いたことで一層高まったのだが。


「遅くなりました」


緒凛の言葉に、真織はグッと息を呑む。

めまいがするのはこの部屋の豪華さだけではない。

二人に振り返った部屋の人間達が美形揃いだったのだ。

真織はある意味直視できず、勢いよくお辞儀をして挨拶をした。


「は、初めまして! 二宮真織と申します!」


申しますだなんていつの時代の人だよ、と自分自身にツッコミたくなった。

ツッコミたくなったと同時に、何の反応もないことに恥ずかしさが一気にこみ上げ、顔を上げられないままでいる。

隣に立つ緒凛でさえも何の反応もなく、窮地に立たされた真織を助けてくれる様子はうかがえなかった。


「真織ちゃん……って言うの?」


真織の目の前に足が見え、ふとかけられた言葉に真織はおそるおそる顔を上げた。

目の前にいたのはあどけない幼い笑みを浮かべた少年だった。

柔らかそうな癖のある赤みがかった髪を、あちらこちらに跳ねさせて、やんちゃっぽい、くりくりとした大きな瞳を真織に向けている。

屋敷に不似合いな赤いパーカーを着てポケットに両手を入れて少し首を傾げてみせる少年に、真織は親近感がわき、安堵の溜息をついたときだった。


「変な名前」

「……へ?」


一瞬聞き間違いかと思った。

けれど聞こえてきた言葉は先ほどと同じ声だったし、明らかに目の前の少年が口を開いていた。


「しかもブス。凛兄趣味悪っ」


続けるように悪態吐いて、ふんっと見下したような態度を見せた少年に、真織の隣に立つ緒凛が静かに叱咤した。


「チョウ、止めなさい」

「だってさぁ、凛兄遅れてきたあげくこんなブッサイクな女連れてくるんだもん。ムカつくに決まってんじゃん」

「チョウ……」


口の減らない少年に、緒凛が再び口を開いたが、それは真織の起こした突然の行動に遮られた。

ぺちんっ! ――それほどの力のこもった音ではなかったけれど、それでもこの部屋に居る人たちを驚かすには十分だった。

真織が少年の頬を挟むような形のまま手を制止させていたのだ。

少年は突然の真織の行動に一瞬驚きの表情を見せるも、自分の頬にふれたままになっている真織の手を払いのけた。


「何すんだよ!」

「人の名前を悪く言わないで。名前って言うのは、親が産まれてきた子供に初めてあげるプレゼントなのよ。それを馬鹿にするなんて許せない。貴方だって自分の名前馬鹿にされるの嫌じゃないの? 自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないのよ」


静かで、けれどハッキリとした勢いのある真織の言葉に少年はうっと息を詰まらせた。

それを見ていた緒凛は、ようやく我に返るとクスクスと笑みを浮かべて、興奮する真織をなだめるように自分の元へと引き寄せながら少年に言った。


「真織が正論だな。チョウの負けだ。謝りなさい」

「なっ――」


緒凛の言葉に少年が息を飲むのがわかった。

そんな様子を見て茅もようやく助け船を出すように、少年の両肩をガッチリとつかんで申し訳なさそうに真織に言った。


「ごめんね二宮。こいつ凛兄大好きなブラコンで。こいつ俺の弟、つまり黒澤家の末っ子のアゲハ。蝶々の蝶でアゲハって読むんだ。よろしくしてやって?」

「ちぃ兄! 俺は別にこんな女によろしくなんて――」

「よろしく、ア・ゲ・ハ・君」


蝶の言葉を遮って、緒凛の腕の中でにっこりと嫌味のこもった笑みを向けてくる真織に、蝶はぐっと言葉を詰まらせて、真織を一睨みすると、ふんっとそっぽを向いてしまった。


「茅、彼女と知り合いですか?」


ようやく落ち着いたところで新しい人が顔を覗かせた。

真織は一瞬見間違いかと首を傾げたが、見ている人はまぎれもなく脳裏に浮かんだ張本人だとすぐに察して、驚きの声をあげた。


「く、黒澤先生?!」

「……先生? 私を先生と呼ぶと言うことは……?」

「トウゴ兄さん。彼女も神高の生徒だよ。俺と同じクラスの子」


真織の代わりに茅がトウゴと呼ばれた人にそう言うと、トウゴは納得したように無表情のまま頷いた。

黒澤トウゴ――十五と書いてトウゴと読むこの人は、真織と茅が通う神市高等学校の教師だ。

理数科の生物を担当しているため、デザイン科の真織を知らなくてもおかしくはない。

けれどこの先生は真織すら知っているほどの校内では有名な先生だった。

美麗無垢、格好いいより綺麗という言葉の方が似合うビジュアルを持ちながら、無表情、無愛想、冷酷な性格から『氷王子』と言う異名までつけられた先生だ。

眼鏡と白衣を着せれば右に出る者はいないとまで言われ、性格を無視したらすべてがパーフェクトな為、女子生徒からの人気は高い。

そんな先生までが黒澤財閥の御曹司だったなんて、寝耳に水とはこのことか……と真織は驚きを隠せないままでいた。


「え? って、つまり先生って高本君と兄弟ってこと!?」


もうひとつの真実にようやく気がついて真織が声を上げると、十五と茅は顔を見合わせて、それからもう一度真織を見ると、素直にコクリとうなづいた。

高本はいつもニコニコ微笑んでいる優しい男の子だし、先生は年中無休で無愛想な男の人だ。

そんな二人に血の繋がりがあるだなんて思うことなど誰ができようか。

真織は口をパクパクさせていると、その後ろからぬぼぉっと、のんびりと顔を出してきた青年に目が行った。


「マオリってどんな字?」


突然問いかけられた言葉に、真織は戸惑いながらも静かに口を開いた。


(まこと)の織物と書いて真織です」

「……綺麗な名前だね」


先ほど貶された名前が、今度は褒められた。

けれど自分の名前を褒められたことに悪い気持ちにはならず、真織が頬を紅潮させて小さくお辞儀をすれば、青年も眠たそうに小さく会釈した。


「彼は三男の夢兎(むと)だよ。十九歳」


真織を抱きしめたまま緒凛がそう伝えると、真織は納得したようにじーっと夢兎を見つめた。

短い真っ白な髪は染めているのか、けれど痛んでいるようにも見えず無造作ヘアの形になっている。

眠たそうな表情は愛らしくもあり、ほかの兄弟より幾分かガタイがいいのはきっと気のせいではないだろう。

ガタイのよい人は厳つい印象を持つものだが、この人は繊細なイメージが強いと真織は思った。


「以上が俺の弟達だ」


真織をようやく開放しながら、緒凛が改めてそう告げると、真織は納得したように無言で頷いた。

血のつながりがあるとは言え、性格は皆バラバラで個性豊かだ。

これほどまでに個性の強い美形の五人兄弟を目の前にしてはいたが、真織は最初に持っていた緊張をほとんど失っていた。


「まぁまぁ、聞いていませんよ緒凛」


突然横からかけられた声に、真織と緒凛が同時に振り返った。

そこに立っていたのはモデル並みのプロポーションを持った美しい女性だ。

化粧を施された顔立ちだが、それほど濃いメイクをしているようにも見えず、女性本来が持つ肌の美しさを引き立たせているように見える。

綺麗の中に愛らしさもうかがえるその美しい女性は、目尻に出来るシワを惜しむことなく目を細めて、にっこりと微笑みながら真織を見た。

その視線で真織は直感的に思った。

彼女が彼らの母親、つまり緒凛の母親であると。

母親とは思えない若さと美しさ、意味ありげな視線に、真織はぐっと息を呑む。


あまり歓迎されていないのだろうか? 

真織は忘れていた緊張を再び取り戻そうとしていたとき、突然、彼女は真織を抱きしめた。


「きゃー可愛いっ! 柔らかくて小さくてっ! やっぱりこの子達とは違うわね!」

「あ、ああああ、あのっ!?」


嬉しそうに声を上げる母親の突然の行動に、真織が戸惑っていると、彼女は真織の両肩に手を置いたままにっこりと真織に微笑んだ。


「初めまして真織ちゃん。私、この子達の母親の蘇芳(すおう)と言いますの。うふふっ」


そう言って真織を離さないまま緒凛に振り返った蘇芳は、緒凛に親指をぐっと立てて言った。


「でかした緒凛」

「任せてください」


ふんっ! と鼻息荒くも機嫌良く言った蘇芳に、緒凛も同じように親指をつき立てて母親に言う。

いやいや、どういう会話だよ、とツッコミたくなるネタ満載の会話だったが、真織はあえて言葉をつぐんだ。


「本当だよ、緒凛にこんな可愛らしい恋人が居たなんて聞いていなかったね」


蘇芳の陰から新しい声が聞こえてきた。

真織はその若々しい声の主を探ろうと当たりをきょろきょろとすれば、蘇芳はクスクスと微笑んで真織を開放すると、真織の目の前を指差した。


「あははっ、視界に入らなかったかな?」


指を差された場所を見れば、可愛らしい少年が白いスーツを着てたっていた。

他の兄弟とは似ても似つかぬほど愛らしい容姿をした少年は、ウサギのヌイグルミなんかが似合いそうだ。

真織よりほんの少しだけ低い身長を持ったその人を見て、真織は素直に首をかしげた。

さきほど、緒凛の兄弟は全員紹介してもらったはずだ。

ではこの少年はいったい……。


「真織、この人が俺たちの父親、黒澤財閥総帥の黒澤(いと)だよ」

「――っお父様!?」


天地がひっくり返るほど驚くとはこのことだろう。

目の前に立つ少年が、黒澤財閥を一代で築き上げた偉人だなんて誰が想像できようか。


「ちなみにこれでも年は四十四だ」

「四十四? 緒凛……さん? なんだか計算が合わないんですが……?」

「あははっ、緒凛は僕が十六の時に生まれた子だからね?」


戸惑いがちに真織が質問すれば、緒凛の代わりに絃がそう答えた。

恐ろしきことかな黒澤家。

一体他にどんな驚きが待ち構えているのだろうか。

正直、ここまで驚かされれば後は怖いものなしな気がするが。

真織は瞬きを数回繰り返し、ようやく我に返った後、ふと浮かび上がってきた疑問を蘇芳に投げかけた。


「あの、お母様」

「いやん、蘇芳って呼んでくれていいわよ」


どんなキャラだよこの人。


「あの、蘇芳さんは……失礼ですがお幾つですか?」


真織がおそるおそる尋ねれば、蘇芳は一瞬真顔になり、すぐにてへっと舌を出して人差し指を口元に当てた。

つまり、内緒ということらしい。

唖然とする回答を頂いた真織は、その驚きからまだ抜け出せないでいると、蘇芳はようやくそろった家族に振り返って二回手をたたいた。


「さあさあ、食事にしましょう」


それを合図にするかのように、家族は素直に食卓につく。

緒凛は真織の背中をそっと支え、同じように食卓に歩みよりながら真織の耳元でささやいた。


「実は俺たちも母さんの実年齢知らないんだよ。適当にあしらわれて、しつこく聞くと逆ギレするんだ。母さんの年齢知ってるのは父さんだけなんだよ」


正真正銘年齢不詳らしい。

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