行動開始
「で? 内側は誰がやるの?」
蝶の一言に、今まで散々話していた兄弟達はピタリと動きを止めた。
真織を救出するために、あれやこれと相談し、必要なものを全て揃えて、あとは作戦を実行に移すのみとなった。
蝶の言う内側というのも作戦のひとつのことだが、実行者を誰か決めていなかったことに気が付き、兄弟五人はジリジリと顔を見合わせる。
ひとつ、緒凛が咳払いをすると「あー……」と気まずそうに切り出した。
「体格的に俺と夢兎は除外。十五と茅と蝶の誰かにやってもらいたい」
緒凛の言葉に、指名された三人は、自分だけは絶対に嫌だという表情を浮かべて他に指名された二人を見る。
茅はむぅっと膨れたまま、仕方ない、といってジャンケンを切り出した。
「……私ですね……」
出した手の引っ込みがつかないまま諦めモードで十五が呟けば、勝った茅と蝶は狂喜する。
それをギロリと十五が睨みながら、準備をするために移動を始めると、残りの四人も次々に準備を始めた。
「おい……お前等どうするつもりだ?」
今まで言われたとおりおとなしくしていた直弥が、五人の行動を見て思わず尋ねた。
「まさか……お前等自分達が乗り込むつもりじゃぁ……」
続けるように尋ねた直弥に、緒凛は準備をすすめながら言った。
「そうですけど?」
「何馬鹿なことを考えてんだ! お前等自分の立場わかってんのかっ!?」
「平気ですよ」
「平気じゃない! もしお前等が乗り込んで行って、それを坂上に訴えられでもしたら、それでこそ終わりだぞ!」
「そんなヘマしませんって。第一、向こうだって真織を誘拐しているのに、こっちだけを責めるだなんてできない」
ケロリと言った緒凛の言葉に、直弥は口をあんぐりと開けて絶句した。
まったく、何を考えているのかさっぱりわからない。
あくまでも彼等は黒澤財閥の御曹司なのだ。
そんな犯罪めいたことを、よくも堂々とやろうとしているものだと、呆れて何も言えない。
直弥はどうしようもなく、準備をすすめる黒澤兄弟を見ると、絃と蘇芳が静かに歩み寄り、自分の息子達に行った。
「五人一緒にお出かけするのはいつ振りかしらねぇ?」
「アレですね。夢兎が同級生複数人に暴行された時。溜まり場になっていた倉庫に殴り込みに行ったのが最後です」
「あらぁ、じゃあ緒凛も十五も現場復帰は大変ね?」
「三十路目前にして殴り込みをするなんて思いませんでしたよ」
「大丈夫、僕は今でも殴り込みしてるから」
「父さんと一緒にしないでくださいよ……。俺はこれを最後にしたいですね」
苦笑する緒凛に、絃は愉快そうにケラケラと笑う。
茅と蝶、それに夢兎は、そんな緒凛を見て「確かに……」と小さく漏らし、同情するように笑った。
真織の緊急事態だというのに、非常識に思える彼等の言動。
直弥はどうも腑に落ちないでいるが、彼等は一体何を考えているのだろう。
もはや自分の頭の悪さではついていけない領域に達しているのではないかと考え、直弥は静かにそれを見守った。
「さて、準備は整った。夢兎」
「完了」
「茅」
「完璧」
「蝶」
「バッチリ」
「先に出発した十五の合図を待ってからの行動だ。腕時計の時間は合わせとけ? 反抗する奴は片っ端からぶっ飛ばせ。怪我人出しても死人は出すな。それだけ守れば後は大いに暴れてくれ」
『了解』
「さ、お姫様の奪還と行こうか諸君」
そう呟いた緒凛の言葉に、蝶はお気に入りのブレスレットを、人差し指で回し始め、茅はネックレスを指に絡めるように器用に回し、夢兎はモデルガンを片手に持ちクルクルとまわした。
◇◆◇
真織は深くため息を漏らして、ベッドに倒れ込んだ。
あれから何を入力しても、母の宝箱は無言を突き通すかのように口を開こうとはしない。
母に通じる単語や、自分に通じる単語の全てを変換して入力していくも、それは無意味な作業にしか過ぎなかった。
第一、母親と会話した記憶などほとんど覚えていない。
実際、母は自分に暗証番号を教えていたのだろうか。
何度も思い返してみても、母親がそれらしきことを教えてくれた覚えはない。
母に教えてもらった言葉など――。
「あ……」
真織はふと思い出したように体を起こした。
あの元気のでるおまじない。
あれは母から教わったものだ。
あれを教わるとき、母は幼い真織にわかりやすいように言い換えて教えてくれたが、母は本来なんと言っていただろう。
思い返しても思い返しても、真織は自分の覚えているまじないの言葉しか思い浮かばなかった。
もし母の教えてくれた言葉を、幼児向けに真織に教えたならば、あの言葉を難しい言葉に変換すればいい。
真織はあいている紙を裏返し、歌を口ずさんだ。
「元気になるおまじない。お空に浮かぶ太陽さん、今日もニコニコ嬉しいな、泣き虫こむしも泣き止んで、今日も元気に笑うのさ」
これだけ長いとどれに重点を置けばいいのかがわからない。
真織はとりあえず単語となるひとつひとつを英語にし、それを数字に変換していった。
元気、太陽、泣く……様々な単語を英語に直し、それを数字に変換して入力するも、箱はうんともすんとも言わなかった。
何通りかやってみたけれど、結局それは全部外れ、まったく反応を示さない。
あの言葉は本当にただのおまじないであって、母が漏らした言葉とはまったく関係なかったのだろうかと真織は大きく落胆した。
とても難しい言葉だった気がする。
あの時の自分には理解できない言葉の羅列に、覚えることを最初から拒否していたような気さえする。
言葉が難しかったのではなく、母の言っている意味が難しかったのかもしれないと、真織はふぅっと天井を見上げた。
多分、百以上の単語は変換して入力しただろう。
けれど何一つ反応しなかったということは、もしかして自分には関係のないことではないかと思う。
真織は落胆しながら箱を小さく揺らし、中身の存在を確かめた。
この箱の中身を、真織は知っているような気がした。
とても大切なものだということは、箱が開かない時点でよくわかっている。
まったく、研究医だかなんだか知らないけれど、頭のいい母親の考えていることなど、凡人の自分にはわかるわけがないと真織は酷く腹を立てた。
丁度その時だ。
善一しか出入りのしないドア付近で、ボソボソと誰かが会話をする声が聞こえた。
あのドアの向こうにはSPが二十四時間体制で見張りをしていて、真織も善一が出て行くときにその存在をチラリと確認はしていた。
見張りをしているSPの話し声が聞こえてくることなんて今までなかったのに、何かあったのだろうかと、真織は静かに耳を傾けていれば、それまで口を閉ざしていたドアがゆっくりと開いた。
入ってきたのは善一ではなく、美しい女性だった。
この屋敷に連れ去れてから、善一や小部屋に居る女性以外の人間に会うのは、これが初めてだ。
潤んだ美しい桃色の唇に、大きな波の掛かった背中の位置まである漆黒の髪。
瞳には大きめのサングラスが掛けられていて、彼女の様子をうかがうことは出来ない。
けれどチャイナードレスから浮き出る体は、見事なプロポーションを映し出しており、真織はゴクリと息を呑んだ。
その美しい女性は、ベッドの上に真織の姿を確認すると、何も言わないまま静かに歩み寄ってきた。
まるで獲物を狙うかのような、ゆっくりとした、けれどなぜか威圧感のある足取りに、真織は動けないまま彼女の到着を待つ。
彼女はベッドの淵に腰掛ける真織の目の前に静かに立つと、グロスの光る唇にシッと人差し指を当てて真織に言った。
「決して声をあげないでくださいね」
「……え?」
真織は聞き覚えのあるその声に、ふと視線を向ける。
彼女は笑いもせずに、ただ真織の視線を感じながら静かにサングラスをはずした。
「――っ!?」
叫びそうになった口を、真織は必死に塞いだ。
それから目の前に立つその人物の耳だけに届くよう、声を潜めながら尋ねたのだ。
「くっ……黒澤先生!?」
「そうです」
真織の驚愕の質問にも、その人はアッサリと認めて答える。
美しい女装をしたその人は、間違いなく緒凛の弟、黒澤十五だったのだ。
正直、サングラスをはずされても、一瞬では十五とわからなかった。
化粧の施された十五の姿は、普通の女性よりはるかに美しかったからだ。
十五は辺りをきょろきょろと見渡しながら、未だに驚きを隠せない真織の前に跪いた。
「助けに参りました」
「助けにって……お一人で?」
「まさか。凛兄さんも、夢兎も茅もチョウも全員でです」
さも当然だと十五が声を潜めながら答えれば、真織は混乱する頭の中でひとつひとつを整理しながら尋ねた。
「よ、よくここに入ってこれましたね?」
「坂上家の男は女好きで有名ですから。美人の女一人、屋敷の中をうろついているところで怪しまれることはありません。さすがにこの部屋の前にいるSP達には戸惑いましたが」
無表情で淡々と語る十五の言葉に、真織は一瞬唖然とした。
女装しているとはいえ、自分のことを美人と言える十五の言葉が、あまりにも黒澤家の血筋だと思わざるを得なかったからだ。
真織はその可笑しさから、今まで張り詰めていた緊張がほぐれるように笑いながら涙をこぼし始めた。
「お……緒凛は……緒凛は無事ですか……?」
自分でもなぜ泣いているのかが理解できないまま、真織は誤魔化すように尋ねる。
いつもは無表情な十五も、この時ばかりは真織を落ち着かせるためか、穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
「大丈夫ですよ。俺達の兄さんがそんな柔な奴なわけないじゃないですか」
十五の言葉に、真織はもっともだと思いながら、もう一度涙をぬぐって笑った。
真織の笑顔に十五はほっとし、それからすぐにいつもの無表情に戻って静かに尋ねる。
「二宮さんも、無事のようでよかった。脱出するために着替えさせて頂きたいのですが……」
そう言いながら十五はゆっくりと立ち上がり、部屋の中を見渡した。
真織はその言葉の意味を理解し、自分も立ち上がって十五に言う。
「私、バスルームの方に行ってますので、ここで着替えてください」
「助かります」
真織の言葉に、十五は安堵した表情を見せ、真織も微笑みながらパタパタとバスルームへ移動する。
パタンッと静かにドアを閉め、そこに背を押し付けると、こみ上げてきた感情を抑えるかのように、下唇をかみ締めた。
――助けに来てくれた。
十五が来てくれたことも確かに嬉しいのだが、その中にちゃんと緒凛の存在があったことの方が真織の喜びを倍増させる。
早く会いたいと願いながら、ふと思い出したことに眉をひそめた。
あの別室に居る女性。
あの人も一緒に連れてはいけないだろうか。
催眠状態に掛かった彼女を連れ出すのは、きっと大変なことだとわかっていても、彼女を残していくのは気がかりでならない。
十五に提案をすれば、なんと答えてくれるだろうか。
どういう状況にしろ、彼等が助けようとしているのは自分だけだ。
他の人まで助けるとなると、足かせになってしまうのではないかとすら思う。
真織は酷く戸惑いながら、十五の着替え終わるのをひたすら待った。




