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アットホームな職場

真織のそんな葛藤に気づかず、緒凛は目的の階へつくと、真織の手を引いてエレベーターを降りた。

まっすぐに続く絨毯の敷き詰められた廊下には誰の姿もなく、真織は静かに緒凛のあとをついて行く。

スモークガラスの壁の間を歩きながら、緒凛は一つのドアの前にたどり着くと、真織から手を離してドアを開いた。


「席を外してすまなかった」


緒凛が部屋の中にいる人間に、そう伝えると、真織の肩を引いて中へと招き入れる。

中に居たのは四、五人の社員で、真織の姿に仕事の手を休め、驚きの視線を向けた。


椎名(しいな)


緒凛がそう言うと、一人の若い男性が緒凛の前へ歩み出た。

緒凛は無言で真織から受け取った茶封筒を差し出すと、椎名と呼ばれた男性はそれを受け取りながら緒凛に肩を抱かれたままの真織をチラリと見る。

緒凛もそれに気づいたらしく、無表情でその場にいた全員に真織を紹介した。


「私の大切な客人だ」


緒凛がそう告げると、そこにいた誰もが「えっ?」と反応し、それから信じられないといった表情を浮かべる。

ロビーを歩いているときも思ったのだが、自分はそんなに貧しく見え、緒凛には不似合いだろうかと真織が落胆する。

すると、椎名と呼ばれた男性が真織の目の前に歩み出てマジマジと顔を見つめてきた。


「はー……黒澤専務……こんな可愛い娘さんを」

「誰が娘だ、誰が」


緒凛が容赦なくツッこめば、椎名だけでなく周りにいる人たちも「え? 違うの?」と漏らした。

と、言うか緒凛の娘にしては年齢がおかしいだろうと思わず突っ込みたくなったが。


「じゃ、じゃあこの子は一体どこのご令嬢で?」

「あ、生憎我が家は貧乏で、三食お茶漬けができればマシな人生を送っています」


こんな格好をしたご令嬢もどうだよ、と思いながら真織が即座に否定すると、椎名と呼ばれた男性は最後の選択肢なのか? と恐る恐る緒凛に振り返った。


「俺の恋人だ」

「なっ! 違……」

『えぇぇえぇっ!?』


ケロリと漏らした緒凛の言葉を否定しようと口を開いたが、それは部屋の中にいた全ての人の叫び声にかき消された。


「く、黒澤専務! ご自分のご年齢をわかっていらっしゃるんですかっ!?」

「こんな可愛い若い子に手を出したなんてっ!」

「犯罪ですよ犯罪っ! 未成年なんとか法って知ってます!?」

「ああ、君、考えなおせ! 考え直すんだっ!」

「黒澤専務は鬼ですよっ! 優男の仮面を被ったヒステリックな鬼! いや、むしろ優男もないけど!」

「むしろ悪魔と言っても過言ではないっ!」

「いやペテン師だっ!」

「いや若い女の生き血を欲するドラキュラかもっ!」

「君達が普段どういう目で私を見ているのかよーく理解させてもらったよ」


緒凛が唇の端をヒクヒクとさせながらそう言えば、「冗談ですよっ」と言って周囲はギャハハッと品のない笑いを漏らす。

どうやらここはアットホームな人達が集まった場所らしく、真織は少しだけホッとして緒凛を見た。


「紹介しよう、真織。彼らは俺の直下の部下達だ」


笑いが収まったところで、緒凛が真織にそう言えば、目の前に立つ椎名がニッと微笑んで真織に言った。


「初めまして。黒澤専務の第一秘書をしております椎名と言います」

「あ、初めまして。二宮真織です」


真織が素直にペコリと頭を下げると、椎名はにっこりと微笑み返す。

視線をそらしてその後ろに立つ気品のある女性を見れば、外観とは似つかわぬ明るい声で挨拶をした。


「初めまして、専務の第二秘書をしております尾崎(おざき)です」

「よろしくお願いします」


真織はペコッと頭を下げると、今度は緒凛よりも年上の容姿を持った、白髪交じりの男性がにっこりと笑った。


「どうも、(しば)と申します」

「に、二宮です」

「二宮さんはおいくつか聞いてよろしいかな?」

「十七歳です」


真織が素直に答えれば、周囲もどよめき「わかーい」という声が混じって耳に届く。

素直に答えてはいけなかっただろうかと緒凛をちらりと盗み見るも、緒凛は何食わぬ顔で会話を聞いていたようで、真織は胸をなでおろした。

その後も挨拶は続いた。

比較的、真織と年の近そうな若い男性は横山と名乗り、それと同じくらいの女性が嶋林と名乗る。

皆、好印象を持てる人ばかりで、嫌な視線や態度をされることもなく、真織はすんなりとそこにいる人達を受け入れた。

一通りの挨拶を終え、緒凛がみんなの視線を集めるように手を二回叩いた。


「さ、仕事に戻れ」


緒凛の一言で皆は真織と知り合いになれたという、余韻を残しながらも自分のディスクについて仕事を始める。

ふと、緒凛は真織を見て、静かに言った。


「すまないがもうしばらく相手にできない。お茶を用意するから邪魔にならないところで飲んでいてくれ」

「はい」


真織が素直にそう答えれば、椎名が気を利かせて、あいているディスクの椅子を真織に差し出した。

真織はそれを受け取り、感謝を述べるときょろきょろと辺りを見渡し、邪魔になりそうにない、印刷機の隣へ移動する。

ゴウン、ゴウンと休みなく動き続ける印刷機の隣はほかの場所より熱を帯びていて、部屋に入ってきたばかりの真織の冷えた体を温めてくれた。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


すでに忙しそうに皆が働いている中、尾崎が湯気の立つ湯飲みを差し出してきた。

真織はそれを受け取りながら尾崎を見上げると、尾崎はお盆を抱えてニッコリと微笑んでくれる。

その場を動こうとしない尾崎に、真織はどうすればいいのかと視線を泳がせながら、湯飲みに口付け、それから静かに言った。


「おいしいです」

「そ? よかった」


感想を聞きたかったのか、真織の言葉に満足した尾崎は、再び部屋の端にある給湯室へと消えていく。

ふと、視線を向ければ緒凛が背広を脱ぎ捨て、垂れ下がっていたネクタイを邪魔にならぬよう肩にかけて椎名のパソコンを後ろから覗いている姿が見えた。

そこにはいつも見せる意地悪な笑みや、高飛車な緒凛の姿はなく、真面目な様子で業界用語満載の会話を繰り返している。

横顔は凛々しく、いつもより強めの口調で物事を話す緒凛がここにいる人達の上司であることを実感させられる。

専務という肩書きは決して父の七光りだけではないということを悟って、少しだけ安心した。

先ほどまで笑顔で対応してくれた緒凛の部下達も、真剣な面持ちで緒凛の言葉を聞きながら作業を進めている。

人が仕事をしている時の表情とはこんなにも違うものなのか、と真織は内心で感心しながら再び湯飲みに口付けた。


 ◇◆◇


時計の針はすでに昼過ぎを指していた。

ただひたすら仕事風景を眺めていた真織も、そろそろ飽きてしまっている。

本来ならば働くことの方が好きな真織にとって、ぼーっとすごす時間ほど苦痛なものはない。

心なしか自分のお腹が空いていることを感じ、真織はボーっとしながら小さくつぶやいた。


「昼過ぎて……お腹鳴るなり……無一文……」


とたん、そこにいた全員が動きを止め、次の瞬間にはぶっ! と盛大に噴出した。


「あっはははっ! お腹空いたの?」

「ぶはっ! 川柳にしては情緒もへったくれもないな」

「あー本当だお昼過ぎてる……気づかなかった」


椅子の上で膝を抱えながら、笑われてしまったことにカッと赤くなっていれば、緒凛は大きく背伸びをしながら真織に歩み寄ってきた。


「気づかなくて悪かった」

「い、いや……別にそういうつもりで言ったわけじゃぁ……」


あまりにも恥ずかしい自分の失態に、緒凛の顔もまともに見れないでいれば、緒凛は笑いもせずに自分の財布の中から千円札を出すと、折りたたんだ状態で真織に差し出した。


「十階に社食があるから、そこで何か食べてきなさい」


お金を貰うことは好きではなかったけれど、社食なら安いだろうし、返せない額でもない。

真織は後日改めて返済しようと心に決め、おずおずとそれを受け取った。


「ああ、そうだついでに……」


思い出したように緒凛は自分の背広を取りに戻ると、背広のポケットをあさりながら真織の前に再び立ち、探り当てたものを差し出した。


「これを持っていきなさい。部外者だと思われたら事が面倒だ」


そう差し出したのは、首からぶら下げる社員IDだった。

真織がそれを受け取りながら眺めれば、今より少しだけ若い緒凛の無表情で写る写真と、名前と役職が明記されていた。

これならば部外者だと思われずにすむだろうと、真織も納得してそれを首からぶら下げれば、緒凛はふと、残りの社員に振り返り言った。


「椎名、悪いが付き合ってやってくれ」

「あ、飯行っていいんですか?」

「ああ。俺も後で行くから」

「専務が? 社食に?」

「何か文句でもあるのか?」

「いえ、別に」


必要最低限の答えを返した緒凛の言葉に、椎名は意味ありげな笑みを浮かべながら立ち上がり、うーん、と背伸びをして緒凛の横に来て真織を見た。


「じゃ、行こうか」

「はい」


椎名の笑顔に真織が素直に頷けば、緒凛は椎名に「よろしく頼む」とだけ言って仕事に戻っていった。

それを横目で見ながら、椎名に促されるまま部屋を後にする。

横に並んで歩く椎名の歩調は遅く、真織にあわせてくれているようだった。


「それにしても驚いたな、緒凛にこんな可愛い恋人がいただなんて」


一瞬、聞き間違いかと思った。

椎名が緒凛を名前で呼んだことに疑問を持って、真織が驚いて顔を向けると、椎名はにっこりと微笑んで真織に言った。


「あ、俺、アイツの幼馴染みだから」

「そうなんですか?」


緒凛の意外な友好関係に、驚きの表情を見せると、椎名は何がおかしかったのかわからないけれど、くすくすと笑った。


「幼馴染みってことは……」

「ん? まあアイツの実年齢もちゃんと知ってるよ。性格も昔っからあんなだから、ホント、やんなっちゃうよなぁ」


どういう意味かはわからないけれど、ため息混じりにもらす椎名の気持ちが、なんだか汲み取れたようで、今度は真織が笑みを漏らす。

それを見た椎名は満足したように真織の顔を覗き込んで、ニカッと太陽のような笑みを浮かべて真織に尋ねた。


「ねね、真織ちゃんって呼んでいい?」

「はい、構いませんよ」

「よかった。って思ったんだけどさ、真織ちゃんって年の割りに落ち着いてるよね? 今時の女子高生って感じがしないよ」

「そうですか? ……そうかも知れません」

「ははっ、今理解したって感じかな?」

「そんなことは……。周りの友人と比べてしまえば、私はオバサン臭いそうです」


むぅっと真織がそのときの状況を思い浮かべながらそう言えば、椎名はぎゃははっと笑う。

嫌味のない、まっすぐな人だな、と真織は椎名の性格を少しずつ理解しはじめると、椎名はとたん、穏やかな笑みを浮かべて前を見据えた。


「緒凛は優しい?」

「とても意地悪ですよ? セクハラするし傲慢だし我侭だし……けれど優しいときはとても優しいです」


静かな口調で、素直にそう伝えれば、椎名は満足したように笑った。


「よかった。真織ちゃんには素直に甘えているみたいで」


甘えている? ――と、真織は疑問いっぱいの表情で椎名を見つめると、椎名は真織の方を見ることなく、到着したエレベーターホールでボタンを押し、エレベーターの到着を待った。


「緒凛は昔から自分の気持ちを表に出さないんだよ。社会人になったら少しは変わるかと思ったけれど全然。口数が多いのは結構だけど、笑いもしないし我侭も言わない。さっきみたいに楽しいムードの中でも一人だけムッツリしていて、ホント、何考えてんだかわからない」


椎名が寂しそうな表情をしたのは気のせいではないだろう。

この人は長年、緒凛のことを見てきている。

たった二週間ほどしか一緒に過ごしていない真織とは歴史が違う。

この人は知らないのか……と、真織は直感的にそう感じた。

我侭な緒凛も、悪戯っぽく笑う緒凛も見たことがないのだと。

そう考えたとき、なぜ自分には見せてくれるのだろうかという疑問が浮かび上がってきた。

借金を理由に買い取られてきた自分。

本来ならば死ぬほど扱き使われてボロ雑巾のように捨てられてもおかしくない。

それなのに、緒凛は自分を甘やかしてくれている。

今までにないほど感じる暇さも、のんびりした空間も、全て緒凛が作り出してくれたものだ。

今まで生きていて暇だと感じる時間なんてなかった。

朝から晩まで働いて、時間があけば勉強をしていたあのころの自分。

今と比べてしまえば本当に比べ物にならないくらい優遇されている自分の生活は、正直嫌ではない。


大切に……されている? 


ようやくたどり着いた結論に、真織はまだ確信が持てず、戸惑いの表情を浮かべていれば、エレベーターが到着し、二人は無言のままそこに乗り込んだ。


「真織ちゃん」


考えふけっていると、急にかけられた声に、ハッと顔を上げれば、椎名は目を細めて微笑んだ。


「緒凛は真織ちゃんのことすごく大切にしてると思うよ。アイツが女性を会社に入れ込むなんて初めてのことだから」

「……そう、なんですか?」


真織は信じられない、といった表情を浮かべると、椎名は真剣な声で言った。


「緒凛は自分のくつろげる場所を見つけたんだよ。真織ちゃんは自信を持っていいと思う。あいつも色々あるけれど、信じてやってほしい」


まただ……と、真織は目を細めた。

以前、緒凛の母親に言われたことと、まるで同じことを言われた。

それほどまでに緒凛が自分を必要としているようには思えないし、真織自身、そんな大それたお役目をお願いされるのは――とすら思う。

けれど真織はその気持ちをひた隠し、真っ直ぐに自分を見つめてくる椎名に対し、真織は静かに頷いた。


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