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真織ちゃんのおつかい

「……でかっ」


目の前にそびえたつ高層ビルに、真織は思わずつぶやいた。

手に持っていた地図と目の前のビルを交互に見つめても、やはりここであることに違いはないらしい。

入り口もなにやら豪華で気がひけるものがあるが、脇に抱えた茶封筒を届けなければいけないという義務があるため、真織は決死の勢いでビルの中へと進入した。

ざわめくロビーは驚くほど広い。

いや、無駄に広すぎるといっても申し分ないほどの広さだ。

真織は自分が場違いだと感じながら、おずおずと受付へ足を進めた。


「あの、すいません……」

「はい、何か?」


受付嬢はこの上ないほど美人な女性が二人並んでいた。

さすが財閥の本社ビルだけあって、人員も人並み外れている。

その美しさに真織は一瞬気後れしたものの、息を呑んでからすぐに用件を話した。


「緒凛……さん、呼んでもらえませんか?」


緒凛の名前を口にした途端、美人な顔がゆがんだ。

真織をじろじろと見て、明らかに不機嫌そうな態度になった受付嬢二人の迫力に、真織はぎょっとした。


「失礼ですがどのようなご用件で?」

「あ、えっと……書類を届けるよう頼まれまして……」


真織が戸惑いながら正直に話せば、受付嬢は顔を見合わせて、それからバカにしたような笑いを浮かべて真織に言った。


「悪いけど私情で会社まで来るのはやめてくれるかしらお嬢さん」

「は?」

「黒澤専務はお忙しいのでお引き取り下さい」


ぴしゃりと緒凛への面会を断られた。

真織は一瞬意味が分からず唖然とする。

私情? 意味が分からない。

仕事の書類を届けるよう頼まれただけなのにこの言われようはなんだと言いたい。

緒凛も緒凛だ。

部外者の自分を呼んだなら、せめて受付でこのような事態にならないように連絡の一つも入れられないのだろうか。

けれどここで簡単に引き下がる真織ではなかった。


「あのですね、私は本当に緒凛に呼ばれてきたんですけど!」

「黒澤専務を呼び捨てにして、なおかつ呼ばれただなんて大嘘がよく言えますね」

「妄想の激しいストーカーとして警察に突き出されないうちにお帰り願います」


ふんっと鼻荒く真織にそういい放った受付嬢の態度に、真織はプツンとキレた。

受付のディスクを勢いよく叩けば、ロビーにいた誰もが振り返る。

そんなことに目もくれず、真織は態度の悪い受付嬢に叫んだ。


「確認もしないうちから訪問者を否定するな! とにかく緒凛に取り次いでよ! 二宮真織が来たって言えば分るから!」


受付嬢は真織の変貌ぶりにぎょっとして、視線を真織の後ろに移した。

真織もその視線をたどるように後ろを振り向けば、入り口を警備していた警備員二人がバタバタとこちらに駆けてくるのが見えた。

それに気づいた真織は、ぎょっとして、あわてて携帯をとりだし、着信履歴の相手に素早く電話した。


「ちょっと来て下さい」


電話の相手がでる前に、警備員が真織の元へ到着した。

真織はあせりながら警備員を振り切ろうとするも、腕をがっしりと捕まえられて逃走を阻止されてしまう。

携帯が真織の耳から離れた時、ようやく電話の相手が出た。


『もしもし?』

「ちょっ、待ってよ!」


真織を引きずるように入り口に連れて行こうとする警備員に叫べば、電話の相手も異変に気づいたらしく、さきほどより大きな声で尋ねてくる。


『もしもし真織?! どうした?!』


繋がっているのには気づいているが、まともに電話できる状態ではない真織は、手につかんだ携帯に向かって叫んだ。


「緒凛助けて!」


その瞬間、ブツンッと電話が切れた音が真織の耳に聞こえた。

えっ――と、緒凛の行動に唖然としている間も、真織はずるずると二人の警備員に抱えられ、ビルの外へ追い出されてしまった。

追い出されたことより、緒凛が携帯を切ってしまったことの方が信じられなかった。

ビルの入り口にペタンとお尻をついて、切れてしまった携帯電話を手に持ったまま動けなかった。

警備員はすでに真織を追い払うという仕事を終え、再びビルの中に戻っていく。

なんで? どうして? と頭の中でいくら繰り返しても答えは見つからなかった。

どれくらいの間、真織はその状態のまま呆然としていたかはわからない。

ガラス張りのビルの中は、真織が騒ぎ立てていたことなどなかったかのように雑然としている。

警備員だけはいつまでも動かない真織を中から迷惑そうに見つめていたけれど。

真織は働かない思考のまま立ち上がり、ジーパンについた汚れをパタパタとはたいた。

そしてようやく気づかされた事実。

自分の格好はこの高級な場所に似合わない、ラフすぎる格好をしていた。

薄手の長そでのシャツにジーパン。

それに茶色のコートを身にまとっただけの真織の姿は、誰がどう見たって緒凛の知り合いとは思えない。

自分があまりにもみすぼらしく、緒凛に恥をかかせていると知った真織は、来たばかりの道を引き返そうとした。

ふと、視線をもう一度ビルの中に向けた時だ。

見慣れた顔の人物が、ロビーを勢いよく駆けてくるのが見えた。

ロビーにいた誰もがそれに驚き視線を向けているのがわかる。

真織もあれほど慌てているのを見たことがなく、足を止めて呆然としていれば。

入り口の自動ドアが開き、真織の姿を確認すると、言葉を発するより先に真織を抱きしめた。


「真織っ! ああ、よかった! 怪我はないか?! 誰に何をされた?!」


抱きしめたかと思えば、すぐにバッと顔をあげて、真織の頭からつま先まで、異変がないかと確かめるように視線を泳がせる緒凛に、真織は戸惑いながら首を横に振った。


「だ、大丈夫。緒凛を呼んでほしいと言ったら、会わせられないって言われたものだから……。警備員まで駆けつけてきたから驚いて……」


しどろもどろにそう答えれば、緒凛は本当に申し訳なさそうに真織に謝罪した。


「本当に済まなかった。受付には真織が来ると話を通しておいたつもりだったんだが……彼女たちは真織が“そう”だとわからなかったらしくて……」

「何て話を通しておいたわけ?」


少しだけ不愉快そうに真織がつぶやけば、緒凛は眉間にしわを寄せて真織に言った。


「その……大切な客人が来るからと……。誤解しないでくれるか? 受付にはアポのない女性客は引き取らせるように指示してあるんだ。俺目当てで来る女がたまにいるんだよ」


緒凛の言葉を聞いて、真織はようやく納得した。

それではさすがに受付嬢の対応もあんな風で仕方がないと思う。

黙っていればという条件付きだが、緒凛は男前だ。

受付嬢が言ったように妄想の激しいストーカーなんかに好かれることは確かだろうと思った反面、それに間違われたことが酷く腹立たしかった。

緒凛は一通り真織の安否を確認したあと、ふと本題に入った。


「それで、すまないが書類は?」

「あ、うん……これ」


緒凛の言葉に真織はおずおずと書類を差し出せば、緒凛はそれを受け取り、その場で中身を確認して真織を見た。


「確かに。ありがとう真織」

「うん、じゃあ……私帰るね?」


真織がそう言って踵を返そうとした時だ。

緒凛はすばやく真織の手を握り、早口で言った。


「わざわざここまで来てもらったんだ。お詫びとお礼を兼ねてお茶を入れてやる」

「でも忙しいんじゃ……?」

「忙しいのは確かだが、真織をこのまま帰すのも忍びない」


たぶん、これは緒凛なりの気遣いだろう。

真織はせっかくだから、と小さく頷けば、緒凛は安堵したようにほほえんだ。

緒凛は真織と手を繋いだままビルの中へと戻った。

手を繋いだままだなんて誤解を招くのではないかと気恥ずかしさがこみ上げてきたが、ここは緒凛の勤め先だ。

緒凛に恥をかかせるようなことはしたくないと、緒凛に手を引かれるまま歩いていく。

そんな二人を見た警備員が絶句したように真織を見て、次の瞬間には帽子を取り勢いよくお辞儀をした。


「申し訳ありません! 黒澤専務のお知り合いとは知らず無礼な振る舞いをしてしまい……」

「あ、き、気にしないで下さい。私も悪かったので」


真織が慌ててそう言えば、緒凛は足を止めて警備員を睨んだ。


「今後、彼女が出入りするようなことがあれば然るべき対応を」

「し、承知しました」


威圧感のある声に、警備員は顔を上げることができず、震える声で言う。

警備員の態度に満足したのか、緒凛はふんっと鼻を鳴らして再び真織の手を引きながら歩き出した。

緒凛と並んで歩けば、ロビーにいた誰もが足を止めて二人を見つめる。

意外だと、どういうことだと目を白黒させて真織を見つめる数々の視線。

緒凛は慣れているのか、そんな視線を気にも止めずに歩いていくが、真織はそうも言っていられない。

これだけ多くの人に注目されることなど今までになかった体験だった為、真織は緊張してゴクリと生唾を飲んだ。

受付の横を通り過ぎようとすると、先ほど真織に対応していた受付嬢の二人が信じられないといったように真織を見つめる。

その視線に真織が萎縮していると、緒凛は再び足を止めて受付嬢の二人に振り返った。


「君達も彼女が来たことをちゃんと私に伝えるべきだったな」

「し……しかし専務……、彼女は……その……あまりにも……」


緒凛の鋭い視線から逃れるように、受付嬢が真織をチラリと見る。

言いたいことはわかっているけれど、緒凛の前でそんなことを言わなくても……と、真織が悲しげな表情を見せた時だった。


「君達は彼女に酷い言葉を投げかけたようだ。私の大切な客人を傷つけたことにどう責任をとる?」


威圧感というものじゃない。

むしろそれは脅迫に近い、怒りを露わにした低い声だったことに、受付嬢の二人は背筋をぞっとさせた。


「君達は受付嬢には向いていないようだな。今日中に人事部へ連絡を入れておこう」

「そんなっ――」

「この期に及んでまだ彼女への謝罪の言葉が聞けないのが残念だ。人事部からの通達を待ちたまえ」


問答無用とばかりに緒凛がそう言えば、受付嬢はわっと泣きだし、けれど緒凛はそれを無視して到着したエレベーターに向かった。

真織は何もできないまま緒凛に手を引かれていく。

たった一度の失敗で、何もそこまでしなくても……と言いたかったけれど、今の緒凛の機嫌をこれ以上損ねるような真似はできなかった。

緒凛は黒澤財閥の次期跡取りだ。

今まで一緒に居たけれど、そんな風には微塵にも思えなかった。

けれど会社での緒凛の態度や行動を見ていると、それを実感せざるを得ない。

今まで身近に居すぎたから彼が大物だということを忘れていた。

真織は自分と緒凛があまりにも不釣り合いなことに笑え、そんなことを考えてしまう自分に腹が立った。


 ◇◆◇


エレベーターに乗ったのは緒凛と真織だけだった。

二人きりの空間は重苦しく、沈黙が二人を包む。

手を繋ぐ指先が熱い。

緒凛の手は大人の男らしくゴツゴツとした大きな手で、何と頼もしいのだろうか。

それに比べ自分の頼りない小さな手。

家事のしすぎでカサカサに荒れてしまっている。

美しい緒凛の手を汚してしまうのではないかとさえ思う。

なぜ自分はこんなに切ない気持ちになっているのかわからない。

繋ぐ手の平から、暴れ出す心臓の音が伝わってしまうのではないかとすら危惧してしまう。

しっかり整えられた服装をしている緒凛。

ボロボロで一般市民よりも遙かに貧乏くさい格好をしている自分。

恥ずかしくて、情けなくて、消えてなくなってしまいたい。

けれど――繋いだこの手を離したくないと思うのは我侭なのだろうか? 

何も言わない緒凛の手を、真織は先ほどよりも強く握りしめた。

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