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売られて買われて人生転機?!

 冗談はこの多額の借金だけにしてくれよ。

 怒り狂いながらもその怒りをぶつけられないでいる真織(まおり)に、無精ヒゲを生やした父は、ゲヘヘッとえげつない笑みを見せて言った。


「真織のこと売っちゃった。ごめんねぇ?」

「言ってることの重要さと発言の軽さの比率が合わん!」


 キレるものかと思っていたけれど、父のどうしようもない言葉に、真織はとうとう堪忍袋が爆発した。

 それはもう、緒が切れるを通り越すほどの腹立たしさ。

 元々真織が持ち合わせた堪忍袋などたかが知れているのだが。

 今時ちゃぶ台を使ってる家庭なんてありはしないけれど、真織の家は昔の名残を残したちゃぶ台食卓。

 粗大ゴミから拾ってきたという余談はまた別の機会にさせていただくが、そのちゃぶ台を漫画みたいにひっくり返して父を罵倒した。


「何っ!? どういうこと!?」


 真織が声を荒げて言えば、父は怯えながらも言った。


「うん……だからね、真織を売ってくれたら、借金の全額負担してくれるって人が居たから――売っちゃった」

「売っちゃったじゃないわよこの馬鹿親父!」

「ひーっ! 真織落ち着けっ!」

「落ち着いてられるかっ!」


 真織の怒りはとどまることを知らず、もともと半崩壊だった小さな木造の家の天井から、パラパラと埃が落ちてくる。

 擦り切れた畳はミシミシと音を立て、半透明の窓はピリピリと真織の怒りを見事に表現してくれている。

 喜怒哀楽がはっきりと家に反映されるのは、耐震偽造ではない。

 多分、昔の建築基準法ではちゃんと基準を満たしていたのだと思うし、まあ言わせてもらえば古家なのだ。

 ――建築基準法なんて知らないけれど。

 鼻息が荒いまま真織が父親を睨み続けると、父親はヘコヘコと平気で娘に土下座を繰り返していた。


 真織の父はどうにもならないほど落ちぶれた人間だった。

 酒癖が悪いとか、家族を省みないとかはないのだけれど、社会的にまるで駄目人間で、趣味が借金作りの大馬鹿者。

 母も父が作った借金を苦に逃げだしてしまった。

 母が出て行った当時、真織は小学生で、一人娘なのにもかかわらず、母は真織を置いていった。

 定職にもつかず、毎日借金を作って帰ってくる父の代わりに、真織は小学生ながら働いた。

 毎朝の新聞配達とか、牛乳配りだとか、それでこそバイトと言えるほどのものはなかったけれど、小さなお手伝いをしてはお小遣いをもらって来た。

 父にそのお金を手渡せば、あっという間に娯楽に消える。

 スズメの涙ほどのお給料を父に渡した際、すぐにご馳走だと食べきれないほどの食材を買ってきた時には心底飽きれた。

 食にそれほど困っていたわけでもないのに、真織に美味しいものを食べさせたいと勝手な理由をほざいて、あっという間にお金を物に変えてしまう父親は、マジシャンでもなんでもなく、ただの金遣いの荒い人だ。

 真織は小さいながらもお金の有り難味を嫌と言うほど痛感し、自分が生きるためだけにお金を稼ぎ始め、自分でお金の使い方を学んでいった。

 せめて高校までは卒業して、安定した職業に就けたらそれでいい。

 自分のために目標を掲げ、今までコツコツとがんばってきた。

 勉強が出来なといい就職先にはありつけないと、バイトの合間に勉強をし、遊び歩く父を放置して自分が生きるために、それでこそ必死だった。

 おかげで頭の良さは、学年で十位以内に入るほどにまでなった。

 努力を惜しまない真織を、ただ頭がいいというだけで羨ましがる人も居たけれど、だったら努力しろよと言いたい。


 むしろ真織は親の金で学校に通っているアンタ達が羨ましいよとさえ思った。

 他の学生は高校生活を十分に――いや、十二分に満喫している。

 バイト三昧の真織は遊ぶことも、おしゃれすることも知らないまま高校生活を送ってきている。

 時々うらやましいと思う反面、お金がもったいないという貧乏性の考えが働いて、それほど興味もなかったが。

 自分のことで手一杯になっていたが、父の世話も忘れているわけじゃない。

 ご飯の準備はいつも真織がしているし、洗濯、掃除など家事全般も全てそつなくこなしている。

 毎日父が作ってくる借金の説教もその世話の一環だ。

 莫大な金額に膨れ上がった借金の返済を取り立てる、こわーいお兄さん方がこのボロ屋に殴りこみにくるけれど、父の代わりに顔を出す羽目になる真織とはどういう理由かは知らないが友好的だ。

 暴れる真織から逃げ惑う父の情けない姿を見ながら、今日もまた勢いよく立て付けの悪い玄関ドアが叩かれた。


「二宮さぁーん。金返せゴラッ!」

「居るのわかってんだぞ! 出てこいやっ!」


 家がボロなのがわかっているから、あまり強く玄関を叩かないでいてくれる怖いお兄さん方に感謝しながら、真織は呆れた顔で父に振り返ると、父はいつものようにフルフルと弱々しく首を横に振った。

 真織は怒りを抑えられないままドスドスと足音を聞かせて玄関に向かい、ガラリとドアを開ける。


「うっさいっわねっ! 今それどころじゃないのよっ!」


 開口一番にそういえば、玄関ドアの向こうに居たお兄さん複数人が、ギロリと真織を睨んだ。

 スキンヘッドにサングラスをしている者や、金髪でオールバックをした人も居る。

 こういう人達は借金取りだからなのか、結構立派な服装をしているけれど、趣味はそれほどよろしくない。

 口に出しては言えないが、高い服を着たらいいというわけでもないのは彼らからよく学んだ。

 玄関から出てきたのが真織だと知ると、お兄さん方は顔に似合わない笑顔を浮かべながら真織に言った。


「よぉ真織ちゃん。お父さんは?」

「知らん! あんな奴父じゃない!」

「なんかあったのかい? 今日はヤケに腹立ててるな」


 いつものことだと言い返したかったが、真織はむぅっと頬を膨らませるだけで何も言わない。

 するとその様子を見ていたお兄さん方は、頬を赤く染めてゴツゴツとした大きな手で真織の頭をなでた。


「真織ちゃんもあんなクソ親父を持つと大変だねぇ。これ、あげるからおいしいものでも食えよ」


 そう言って真織の手に万札を数枚握らせてくれるが、真織はすぐにそれをつき返した。


「いらない。あなた達の稼いだお金よ。そんな風に使ってほしくない」


 真織がハッキリとした口調でそう言えば、真織の知らない顔のお兄さんが「あぁん?」と眉間に皺を寄せて近寄ってきた。


「このクソ女ぁ! 兄貴が好意で言ってやってんのに、なんだその態度はっ!?」

「おい、やめねぇか。真織ちゃんに手ぇ出したら俺が許さねぇからな」


 詰め寄ってくる兄さんに、お金を差し出した男は彼を阻止しながら、真織が返したお金を懐に戻していく。

 真織に反感を抱いたその男は、自分の兄貴分を見て理解できないと言ったような表情を見せたが、彼はその弟分に何も言わないまま真織に言った。


「いい加減、金返してくんねぇとさぁ、こっちも商売なんだよ。真織ちゃんのことは好きだけど、オトーサンのせいで真織ちゃん売り飛ばすには俺達としても惜しいわけだ。さっさと借金返せっつっといてくれるか?」


 穏やかながらもドスの聞いた言葉に、真織は素直に頷きながらも、実はもう売り飛ばされるみたい……という言葉を飲み込んだ。

 それを言ってしまうと、この人たちは本当に父を殺めてしまうかもしれないからだ。

 一連の流れから理解できるだろうが、真織に対して友好的なお兄さん達の目的は、父が作った借金返済の取立てだ。

 真織が一言告げ口するだけで、お兄さん達は怒り狂って父を古家から引っ張り出し、むしろ父が売られるだろう。

 誰がどう見ても父は役立たずな人間だから、分割してさばかれそうだ。

 いくら馬鹿親父でもそれだけは避けたい。

 真織が「ごめんなさい」と小さくつぶやくと、お兄さん方は真織を囲んで「真織ちゃんのせいじゃないよ」と言った。


「失礼。こちら、二宮さんのお宅でしょうか?」


 そんなことを玄関先で繰り広げていたら、突然静かな声が聞こえ、お兄さん方も真織も同時にそちらに振り返った。

 立っていたのは一人の青年だった。

 きっちりとした黒地に灰色のラインが入ったストライプスーツを着こなし、黒い髪をオールバックにしている。

 かっこいいより綺麗の似合う整った顔立ちと、すらっとした長身。

 すっとした切れ目が美しく、清楚で品のある男の登場に、そこに居た誰もが驚いた。


「んだぁおめぇ?」


 お兄さんの一人が、突然現れたその男に、睨みを利かせて近寄るも、男はおびえることなく静かにそこに立ち、お兄さんを見つめる。


「二宮さんのお宅で間違いありませんか?」

「だったらどうしたっ!」


 自分の質問に答えてもらえず、自分の意見ばかりを押し付けるように言ってくる男に、痺れを切らせて怒鳴ると、男は何も言わないまま懐から紙を出し、そこに何かを書き込んで、それを目の前に立つお兄さんに差し出した。


「二宮さんが抱えている借金をお返しいたします」

「あ?」


 怖いお兄さんは、意味が分らないといったように男の言葉を理解しようと頭を働かせながら、差し出された紙を受け取り視線を落とす。

 そこに書かれた内容を見た瞬間、大きく目を見開いて真織たちに振り返り、慌てるように言った。


「あ、兄貴! これっ!」


 そう言って歩み寄ってきたお兄さんが差し出したものに、全員でそれを覗き込むように見つめ、驚愕した。

 それは父親が作った借金の二倍の金額が書き込まれた小切手だったのだ。

 金額は億単位を超えており、お兄さん方は顔を見合わせ口をパクパクとさせながら男を盗み見る。

 視線を向けられた男は何食わぬ顔で真織たちを見返すと、静かな声で言った。


「この金額ではご不満ですか?」


 優しい笑みを浮かべてたずねてくる男に、お兄さん達は唖然としながらも首を横に振る。

 そのうちの一人が「あっ」と思い出したように声をあげ、次の瞬間はばつの悪そうな顔をして仲間に言った。


「おい、帰るぞ」

「え? ちょ、兄貴――」

「真織ちゃん。借金は全額返済されたから、もう会う事もねぇな。またよかったら遊びに来ていいか?」

「あ、え? は、はい」


 何が起こったのかわからずに真織が素直に頷けば、お兄さん方はフッと残念そうな笑みを漏らして去っていく。

 その後姿を見届けている真織は、その場に残った男を見上げ、現状確認をしようと口を開いたときだった。

 男は静かに真織に歩み寄り、優しく微笑むととんでもないことを言ってくれた。


「二宮真織さん。今日、アナタを買うことになった黒澤緒凛(くろさわおりん)です」



◇◆◇



 ボロ屋に似つかわぬ清楚な男と、制服姿のままの真織。

 それに緊張で体を強張らせた父の三人が、丸いちゃぶ台を囲んで向かい合って座っている。

 先ほどひっくり返したはずなのに、いつの間にか父が戻したらしい。

 かれこれ数十分は無言のままこの状態が続いている。

 父がソワソワしながらも何も言わないのと、黒澤と名乗ったこの男が何も言わないので、真織も口が開きづらい。

 そんな様子を察してか、黒澤がようやく口を開いた。


直弥(なおや)さん。お宅の借金は全てこちらで返済しました。約束どおり、真織さんをいただきます」

「え、あ、は、はははははぃっ! 」

「ちょっ! お父さん! 何を勝手にっ!」


 穏やかな口調で言った黒澤の言葉に、父は恐縮だと言わんばかりに汚れた畳に額をつけて土下座をする。

 それを見た真織は酷く憤慨して父親に怒鳴った。

 黒澤はただその様子を見届けるように黙りこみ、真織は居心地の悪い視線を向けられながらも父に言う。


「この人が私を買った人なのっ!?」

「すまん真織!」

「なんでよお父さん!」

「っ――すまんっ!」


 顔を上げることもなく、ひたすら謝り続ける父に、真織はもう何も言えなかった。

 どれだけ借金生活が苦しかったとは言え、父は真織をちゃんと大切にしてくれた。

 真織もちゃんと父の優しさを知っている反面、この裏切りは酷く傷つくことになったのだ。

 一部始終を見届けた黒澤はピクリとも表情を変えずにゆっくりと立ち上がり、スーツについた埃を払うと、静かに真織を見下ろして言った。


「では行きましょう」

「ちょっと待ってください。私だってついさっきアナタに売られたことを知って――」

「関係ありません。お金を支払った段階で、アナタは私のモノです」


 強引な物言いに、真織は憤慨してちゃぶ台を殴るように叩くと、立ち上がって黒澤に詰め寄った。


「こっちにだって準備はあるのよっ!」

「衣類などのお荷物でしたら、全てこちらで用意します。アナタはその身一つで私のところへ来たらいい」

「でも父を一人にはっ――」

「お父様には生活保護のお金もお渡ししました。問題はありません」


 黒澤の言葉に、真織はこぼれそうになる涙を必死にこらえて下唇をかみ締めた。

 強引にもほどがありすぎる。

 たった一人の家族と離れるというのに、ちゃんとした別れの言葉さえ言わせてくれないのだ。

 真織はただギュッと自分の手を握り締め、ギッと黒澤を睨んだ。

 黒澤はそれでもどこ吹く風で、真織の手首をつかむと、無理やり引き連れて歩き出した。


「ちょっ! やめてよっ!」

「ここは空気が悪すぎる。気持ち悪いので早く出ましょう」


 仮にも自分が今まで住んできた家をそのように言われ、真織はカッとなり勢いよくつかまれた手を振りほどくと、彼の頬をめがけて平手打ちを試みた。

 が、真織の手は黒澤の頬に届くことなく、また彼に掴まれていた。


「暴力的な女性ですね。躾が必要なようだ」

「アンタみたいな人間に私の家を馬鹿にされてたまるもんですかっ!」


 真織がそう叫ぶと、黒澤は驚いた表情を浮かべ、それからばつの悪そうな顔をする。


「――すいませんでした。失礼なことを言ってしまって」


 すんなりと素直に謝ってきた黒澤の態度に、真織は一瞬躊躇するも、後ろで影が動いたのを感じ、振り返った。


「真織」

「……お父さん」


 悲しそうに、些か複雑そうな表情を浮かべる父に、真織は同じを表情を向ける。

 それを見ていた黒澤はそれ以上真織を束縛することなく静かに手を離し、真織はすぐさま父に駆け寄った。


「真織……黒澤さんはきっとお前を幸せにしてくれるから……だから……幸せに暮らせよ?」

「お父さんはどうなるのよっ」

「俺なら大丈夫だ。黒澤さんにちゃんと仕事を紹介してもらったし、これからは真面目に働くよ」

「でも――」

「真織……幸せにな?」


 父の決意のこもった瞳に、真織は口を閉ざし、自分も覚悟を決めなければならないな、と無理に笑顔を作ってそれを父に向けた。


「ちゃんと、自分の健康管理してね? たまには様子を見に来るから」

「ああ、わかったよ。行っておいで」

「うん……」


 父の言葉に、真織は静かに頷いて黒澤のもとへ歩み寄る。

 真織は冷静になって黒澤に小さく頭を下げると、黒澤は満足したように小さく頷き、真織の父を見た。


「それでは失礼します」

「真織をよろしくお願いします」


 父に見送られ、真織は無言のまま黒澤の車に乗った。


 ◇◆◇


 見たこともないほどの綺麗な高級車であることは違いなかったが、今の真織にその凄さを理解する気持ちはない。

 助手席に乗せられ、シートベルトを着用したのを確認すると、黒澤は運転席に座り、静かに車を発進させた。

 見慣れた景色から、見慣れぬ景色へと変わっていく車窓を眺め、決して黒澤に振り返らない真織。

 黒澤もその真織の心の内を察してか、無言のまま運転を続けた。


 車の中は静かで、気まずい雰囲気が流れている。

 沈黙は重く、それでも真織はただ今から訪れる新生活にどうすればいいのかわからないでいた。

 ――自分は売られたのだ。

 この男に性欲処理の相手でもさせられるのではないかという不安もある。

 自分が我慢さえしたら、父はちゃんと生きていける。

 それだけを心の支えにし、真織が小さくため息を漏らしながら、黒澤に振り返りもせずに零すように言った。


「――お金癖はすっごく悪かったけど……いい父だった。私のこと大切にしてくれたし、馬鹿丸出しだけど……一家の大黒柱になんて向いてないほど能天気で頼りなかったけど。私……父が、私の頭を撫でてくれる父の大きな手が大好きだったんです」


 聞いているかはわからない。

 けれど語らなければ自分が壊れてしまいそうになっていて。

 真織の言葉に、黒澤は返事をしなかった。


「お金がなくても幸せだったわ――」


 最後にそうポソリと漏らした真織の言葉に、黒澤は悲しそうに瞳を揺らしたのを、真織は知る由もなかった。


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