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苦労を買う金はない

作者: 武田花梨

 テーブルに座る少女を見て、エルナはつい妄想をしてしまった。

 ギャンブルをやりにくるには幼い。子供というわけではないが、この場所にはふさわしくない。ではなぜ、ここに来たのか。

 この国では、賭け事が公には認められていない。隠れるように作られた、地味な外装のカジノだ。その分、内装には少々金がかかっている。

 エルナはディーラーとして、七枚のカードを白のテーブルに置いた。同じ幾何学模様が並んでいるが、その裏には一枚一枚、七色に分けられた色がついている。テーブルには、同じように七色に分けられた薄い板が置かれていた。その板の上の好きな色に金額を置く。チップではなく、現金のみだ。エルナが引いた色と同じものにかけていれば、賭け金は三倍となって返ってくるという簡単なもの。

 テーブルについているのはその少女と、老紳士といった風情の男、若い男の三人だけだった。

 非合法ながらも、金持ちの道楽として固定の常連客はいた。

 エルナは少女を観察する。

 薄汚れた服と、乱れた金色の髪をしていた。握り締めてくしゃくしゃになった紙幣を熟考の末に赤に置く。ずいぶんと少ない金額だ。

 それを見て、老紳士はその十倍の金を緑に置く。そして、若い男も同額を黄色に置いた。

 エルナはそれを見て、心が揺れ動いた。

 勝たせてあげたい。この少女を。でも、それは……。

 迷いながらも、一枚のカードに手をやる。慣れた手つきで裏返すと、そこには赤い丸が描かれていた。

「うそ、当たった……!」

 少女は立ち上がって、目の前の光景が信じられないかのように何度も瞬きをしていた。七分の一なのだから、そんなに驚くことでもないけれど。

 金額を計算し、エルナは少女に賭け金の三倍を渡し、他の二人の金額を回収する。

「おや、お兄さん。今日はずっと当たっていたのに残念だったね」

 外れたことをさほど重く受け止めていない老紳士が、若い男に声をかけた。今日、この若い男は当たり続けていた。

「まぁ、ずっと当たるわけではないですから。これは賭け事です」

 柔らかく笑い、男は余裕ぶった口調で老紳士に答える。

「それでは、本日はここまで。ありがとうございました」

 女性にしては低めの声で、エルナはお開きを告げる。


 客のいなくなった店内では、エルナが食器を洗う音だけが響いていた。朝方になり、窓の外は薄ら明るくなっている。

 ここの従業員はエルナただ一人。それでまかなえるほど、ここは狭かった。客は五人で精一杯。賭け事ができるのは、先ほどの『色当て』のテーブルだけだからだ。賭けを始める前に軽食の注文を聞き、提供する。もちろん、閉店後の掃除もエルナだけだ。これで家に帰って、ある程度の家事をして眠れば、また営業のために起きる。それの繰り返しだった。

「エルナ」

 幾分怒気をはらんだ声だが、エルナは手を止めることなく返事をした。

「何」

「何で勝手に、一見の客に当てさせてんだよ」

 やはりそのことか。半ばうんざりしながら振り返ると、先ほどの若い男がいた。しかし、客ではない。ここの経営者だ。

「あの子の格好を見ていたら……つい当ててあげたくなったの。いいじゃない。当たり続けていたら兄さんが怪しまれるだけでしょ。そのために、たまに常連さんにだって当てている。賭け金も少なかったし、兄さんが賭けた金はどうせそのまま戻ってくるんだから、損はしていないでしょ」

 兄のベネディクトがテーブルについていたのは、うら若き妹を心配してではなく、一般客を装ってギャンブルに勝つためだ。

「あたしの力のおかげでここが経営できているんだから、多少のわがままは許して欲しいものね。色当てなんて、普通にやれば胴元が損をしかねない単純なゲームなんだから」

 井戸から汲み上げた水で食器を洗い、乾いた布で拭いていく。しかしベネディクトは一切手伝おうとはせず、不服そうに頬を膨らませた。二十歳にもなって幼児みたいな真似を、とエルナは取り合わなかったが、まだ収まらないらしい。

「俺がエルナの才能を見出したから、こうしてよーやく、超絶貧乏から抜け出せたんじゃないか。自由行動は認めません」

「お金持ちのお金をイカサマでいただくっていう、人としてどうかと思う方法だけど。それに見出したのではなく、思い出しただけね」

 皿を積み重ね、食器棚にしまっていく。

 この計画を知らされた時、エルナは反対した。

 自分には、色を感じることが出来るという能力があった。テーブルが白いのはそのため。白の上にある色は、指先が感じやすかった。

 赤ならば暖かく、青ならば冷たい。黄色と橙色は迷うが、黄色のほうが鋭く橙色のほうはほのかにまろやかな感触だ。だが説明したところで目には見えないものなので、今の今まで誰も信じてはくれなかった。

 だがある時、ベネディクトがそのことを思い出したようで「そうだ、カジノをやろう」と言い出した。

 他国にはそのような遊びがあると聞いていたが、エルナの住む国では一般的に知られていなかった。だからこその儲けが見込める、と兄は勝手に借金を重ね(その前から借金はあった)このカジノを突貫工事で作り、成功してしまった。

「父さんと母さんが生きていたら泣いているよ。まぁ、生きていたときから兄さんには泣かされていたけどね」

 二人の両親が亡くなったのは、三年前。旅行中の事故だったが、エルナには悲しむ余裕などなかった。

 この、クソバカアホな兄のせいで。

 両親が残したお金を派手に使いきり、エルナが地道に働いた金も女遊びに使う。典型的な浪費家だ。

 それで借金が膨れ上がり、着る物食べる物に困る生活から、このイカサマカジノでどうにか元の生活が出来るようになった。

 これでいいのだろうか、という思いは消せないままだったけれど。

「兄さん、帰るよ」

 こんな兄だが、放っておくことも出来ない。片付けを終えたエルナは、後ろでひとつにくくっていた黒髪を解き、頭を振った。


「ベネディクト!」

 店を出ると、金切り声がエルナの耳をつんざく。しかし慣れたもので、驚きはしなかった。この手の叫び声は週一で聞く。たいがいは、兄がろくでもないことをしたせいだ。

「先に帰ってるよ。刺されないようせいぜい気をつけてね」

 そういって兄を置いていこうとしたが、襟首をぐいとつかまれ、思わずぐへぇと唸り声が漏れる。そして、その女の前、自らの盾にするかのように立たされる。

「俺の新しい女。だから、ごめんね」

 なにがどうゴメンなのか理解するつもりもないが、どうやら自分が生贄にされたのだと気がついたころ、左頬に痛みが走った。

「人の男を寝取るなんて最低! なんでこんな小娘なんかに! 他にも女がいるのは知っているのよ!」

 確かにその女は官能的な体つきで、顔も大人っぽい。だからと言って、小娘よばわりされる筋合いもない。音を立てて、頭が沸いてくる。デカイムネ。デカイムネ。エルナは冷静な判断など皆無の状態で、その女の大きな胸をおもいっきり掴んだ。

「痛いっ」

 ぐにゅう、と指がめり込む。手首を掴まれて離させようとするが、それでもエルナは力を入れ続ける。顔は、憎悪を固めたように歪んでいた。

「おい、やめないかエルナ」

 さすがに慌てたようで、ベネディクトが手を離させる。さすがに男の力には勝てない。

「なんなの、この子!」

 開放された女は、両腕で胸を隠す。しかしエルナは目を見開き、兄の腕の中からなおも胸を掴もうと右手を伸ばしていた。

「胸デカ女はあたしの敵だぁー!」

 まだ街中は眠りについている時間。エルナの珍妙な叫び声は路地裏に響いた。


「おまえな、大きい胸への執着心どうにかならないのか」

「あんたのせいでしょ!」

 自宅に帰ってからも、エルナはぶつくさ文句を言っていた。

 狭い、一部屋しかない集合住宅の二階が二人の住まいだった。当然兄と同じ部屋で眠っている。エルナは恥じらいなどとうに捨ててしまっているので、堂々と寝巻きに着替えながらも口を止めない。

 ベネディクトは、大きな胸の女性を好む。そのせいで苦労させられていたのだ。握りつぶしたいほど憎らしくてもそれは致し方ないというもの。大きな胸には金が詰まっているとしか思えない。

「あ、さては、さっきの女の子は胸が貧相だから助けてあげたの?」

「何ちゃっかり確認しているの。本当に馬鹿なんだから」

 しかし、それは否定できない。胸が大きかったらさほど同情的な気持ちにはならなかったであろう。エルナはベッドに横になりながら、話を変える。

「それよりさぁ。いい加減やめない?」

 エルナは常々口にしていることを、日課のように口にする。

 カジノでのイカサマをやめたい。それがエルナの願いであった。

「何言っているんだよ。まだ全然儲けられていないんだからこの程度じゃ……ぐぅぐぅ」

 ごろんとベッドに横になるベネディクトは、話している途中でさっさと寝息を立ててしまった。枕に頭をつけたら即眠れる。

「毎日これじゃあ、話なんか出来ないよ」

 ため息を交えつつ、エルナも目を閉じる。外は活気付き始めた時間となっていた。


 その次の日も、少女はカジノに来ていた。開店早々に、だ。昨日儲けた三枚の紙幣を握り締めて、期待に目を輝かせている。

 エルナは、自分のしたことが間違いであったと気付く。自分も貧乏だったからわかる。目の前にすがれるものがあれば、なんだってすがりたい。たとえそれがギャンブルであろうとも。他の常連のように娯楽としてやっているのならともかく、生活を賭けているとなると話は違う。

 勝たせてあげたい。少女のみすぼらしい姿に、思わず自分を重ねてしまう。だけどそれは駄目だ。この少女に、自分と同じような道を辿って欲しくない。

 だけど、救えると分かっていて突き放す強さが無かった。

「どうした、お嬢ちゃん」

 常連客がいぶかしんだように声をかけてくる。常連客も今日は三人いるので、テーブルは狭かった。だが昨日と同じ人物はいない。また少女を勝たせたところで、誰もおかしくは思わないだろう。

 今日が、最後。今日だけ……。

 兄の視線を気にしないよう、エルナは少女の賭けた色のカードを、ゆっくりと裏返した。

 少女と兄、そしてたまに常連客。怪しまれないように、なるべく兄と少女に当たるようカードを選ぶのは難しいことだった。一度ならず、何度も少女に当てさせているので、紙幣の枚数は驚くほど増えていった。兄も常連客も、その反対で枚数を減らしている。

 常連客のため息と、少女の上ずったうめき声が漏れる。

「いやぁ、なかなか勝てないな。兄ちゃんは今日調子悪いね」

 いつも勝っているベネディクトも、少女のせいでかなりはずしている。

「今までがよかっただけですよ」

 同性すらも心許してしまいそうになる、柔らかく品のいい笑顔。どうしてこのような男にそんな顔ができるのか、というくらい無邪気で可愛らしいものだった。それを苦々しく見ながら、少女に賭け金を支払う。顔が高揚していて、興奮した目で三倍に増えた紙幣を見つめていた。

「それでは、いったん休憩といたします」

 ディーラーはエルナ一人しかいないので、こうして時折休憩を挟む。その間、客は別のスペースで飲み物や軽食を楽しむ。

 今のところ、ここに来るのは成功者と呼ばれる人ばかりだ。なぜかゴロツキに目をつけられていない。経営者のベネディクトとは間逆の、品のいい大人たちの遊び場だ。

 それもすべてベネディクトの計算だ。大人の社交場として、噂を流して回った。ベネディクトの数多いる女性の中には、それなりの身分の女性も少なくない。

 テーブルの上を整理し、肩にこめられた力を抜きながら、カードをそのままにして席をはずした。そのままにしておくと、イカサマを疑ったとしてカードを見られても、何も細工をされていないという自信があるからだ。まさか、エルナに色を識別できる能力があるなどと思うまい。

 キッチンに引っ込み、自らも冷たい水で喉を潤す。イカサマをするのも気を遣う。

「お嬢さん」

 さっきベネディクトに話しかけていた人とは別の声だ。振り返ると、常連の一人が笑顔で立っていた。こちらも老紳士で、ここに来る人の中では一番気さくな男性だ。

「いかがされましたか?」

 声をかけられるといつも、イカサマがばれてしまったのではないかと穏やかでいられない。緊張を悟られぬよう、笑顔で返す。

「今日も、差し入れだよ」

 そう言って、茶色の紙袋を渡してくれる。

「まぁ……」

 中からは、滅多に手に入らないチーズに果物、燻製にされた肉などが入っている。

「エルナちゃん、痩せすぎだからもっと食べないと。家の余り物で悪いけど」

 慣れた様子でウィンクすると、仲間の元に戻っていった。そこでは「若い子捕まえようとしていたと奥方に報告してやる」「孫みたいなもんだよ。妻が用意してくれているんだから公認だ」といった会話が聞こえて来た。

 それらを聞きながら、エルナはどんどんと気分が沈んでいった。

 本当に、あたし何をやっているんだろう。

 こんなにいい人たちを騙して。

 ここの客がすべて、悪いことをして儲けてきたようならば、疑問は持ってもあまり罪悪感を抱かずに済んだであろう。だけど、実際はみな努力をし、能力に見合った収入を得てきている。それを、自らの生活費にするだなんて。

 エルナは紙袋をキッチンの隅に置くと、ソファでくつろぐ少女を見つける。そこへ歩み寄ると、有無を言わさず腕を掴んで店の外に連れ出した。

「なんですかっ!」

 その声も無視し、店外に出ると漆黒の闇が待っていた。ガスランプも消え、すっかり眠った街で、エルナは店の入り口の明かり前で少女の顔を見た。まだ幼い、けれど金の魔力に取り付かれた青い瞳のまわりは、充血していた。

「もう帰りなさい。ここはあなたの来る場所ではないの」

 しっかりと両腕を掴んでエルナは懇願した。自分よりも幾分年若く、そして痩せた少女。

 少女は返事もせず、おびえたようにエルナの顔を見つめていた。少し体を震わせて。

「何か言いなさい。……あなた、名前は? あたしはエルナ」

 少女は、反射的に名前を口にする。

「コ、コーアミア」

 可愛らしい澄んだ声ながら、その弱弱しさに決心が鈍りそうになる。

「コーアミア。これ以上、ギャンブルに心を奪われてはいけない。あなた、今自分がどんな顔をしているか分かっているの?」

 コーアミアは首をひねる。ギャンブルに狂う人間は、自分を客観視することが出来ない。いくら品のよい客が多いとはいえ、時折目の色は変わる。

「だって、お金がこんな短時間で手に入るなんて……少しくらいおかしくもなります」

 自覚しているだけよかった。今ならやめさせることが出来る。腕を掴んだまま頼む。

「ねぇ、コーアミアのためを思って言っているの。帰って」

「なぜですか?」

 先ほどまでのおびえた表情は消え失せ、陶酔したような表情になる。

「あなたが経営しているカジノの客ですよ? どうして帰れなんて言うんです。わたしが儲かっているから気に入らないとでも?」

 なんとくだらない、と言った表情で笑う。違う、あなたを勝たせていたのはあたしで、もうそれが出来ない。さっき、やりたくないとはっきりわかった。だから、これ以上損をさせる前に帰って欲しかった。

 だが、真実を告げることは出来ない。どうやって納得させようかと、思案する。

 だが、その思いとはまったく違う言葉が紡がれた。

「わたし頼まれたんですよ。あの人に」

 聞き捨てなら無い言葉に、エルナは「ん?」と聞き返す。

「頼まれた、って誰に?」

 そこで少女は明らかに慌てた。言ってはいけないことなのに、口を滑らせてしまったようだ。誰だ、と無言で、掴んだ腕を力強く締め上げる。

「……あの、ベネディクトです」

 名前を知っている。ということは。

「あー、こら、それ言っちゃ駄目だって!」

 背後からの聞きなれた声に、エルナは怒りに震えながら振り返る。

「兄さん……」

 盗み聞きしていたのか、カジノへの出入り口でしゃがみこんでこちらを伺っていた。

「落ち着け。話をちゃーんと聞けって」

 ベネディクトの狼狽を無視し、コーアミアは言い訳の言葉を続けた。

「わたし、全然お金に困ってはいないんです。それを、ベネディクトが……」

「わー!」

 ベネディクトが叫ぶ。何か隠している。

 言われてみれば、コーアミアは痩せているものの、良い服を着させれば細身の体が美しいだろうと思えるものだった。ぼさぼさの金髪も、よく見ればガスランプに煌いて美しい。作られた容姿にすべて騙された。

「……あのね、コーアミア。やっぱり、今日は帰って頂けるかしら。お店自体、閉めてしまうから」

 ただならぬ負の感情から顔を背けるように、コーアミアはベネディクトを見た。そのベネディクトも青い顔をしているのを見て、そそくさと「では荷物を取りに行ってきます」と店内に戻った。

「兄さん。話があるから、今日のお客さんを帰してくる。逃げないようにあたしの前を歩きなさい」

 微笑みすら浮かべないエルナを前に、ベネディクトは引きつった顔を浮かべた。


 コーアミアを含め、早々に客にお帰り願い、カジノの中には兄妹の二人となった。

「あたしはね、兄さんがどれほどくだらないことをしようが、どれほど家族に迷惑をかけようが、超えてはいけない線を越えていないとずっと信じていた」

 ベネディクトを椅子に座らせ、その前に立ち、見下ろす。

「別に、超えていないよ?」

 おどおどしていたのは最初だけで、今はもういつもどおりの飄々とした態度になっていた。

「いいえ。まずこのカジノ。もしここに来るお客様が悪いことをして金を稼いでいた人だらけだったら、あたしも兄さんに騙されて続けていたかもしれない」

 来る客は、みなまっとうに生きている人ばかりだ。おかげで、早く目を覚ますことが出来た。

「じゃあどうするの。全員に今まで分返してくればいいわけ?」

 その言葉にかっとなる。

「出来もしないことで誤魔化さないで! 会員制じゃないんだから、誰の家も、名前も知らないのに」

 根本的なことをわかっていない。

「……それともうひとつ。あたしをイカサマに使うのは構わない。一度は了承したことだもの。でも、何も知らない、あたしより若い子にイカサマの片棒なんて担がせないで。真実を知ったとき、コーアミアは罪の意識に苦しむ」

 甘い言葉で惚れさせるのはお得意の兄だ。ギャンブルにはまるところを見ている限り、コーアミアは一途なのだろう。良くも悪くも。

「それは……」

 口ごもるが、ベネディクトは悪いことをしたと自覚しているわけではない。何か言い訳を考えているだけなのだ。

 そんな兄だけど、ずっと付き合ってやってきた。エルナだって貧乏なんて嫌だから、ついこんなことに手を染めてしまった。

 だけどもう、やりたくない。

「あたしはもう、兄さんが他人に迷惑をかけようが、どこかで野たれ死のうがもう知らない! 勝手に一人で生きていく」

 さすがにいつもとは違う迫力に、ベネディクトは顔を引きつらせる。

 今まで何があっても、エルナは兄を見捨てなかった。見捨てたら、誰かに迷惑がかかるという気持ちがあったから。でも、その気持ちもない。このまま兄と堕ちていくのは嫌だ。

「おい、待てよ。今まで一緒に頑張ってきたじゃないか」

 腰を浮かせて、ベネディクトがエルナのご機嫌を伺う。しかし、ふいと顔をそらした。

「頑張る? 何を頑張ってきったというの? 人を騙すことだっていうなら、それは違うからね」

 いちいちこんな事を言わないと分からない、この兄。情けなくて、救いようがなくて涙が出そうだった。

「あたしは出て行く。借金も全部あたしが返す。だから二度とあたしと関わらないで」

「エルナ、考え直せって」

「さよなら、兄さん」

 客に貰った食物と、自分の荷物を持ってカジノを出て行こうとした。けれど、出入り口の軽い扉を開けた途端に凍りついた。

 先ほど帰したはずの客が立っている。真夜中をすぎた街の中、ガスランプの明かりを頼りに顔を確認し、絶望する。

「どうして……」

 ばれたくはなかった。儲からないカジノのことなんて、なくなってしまえば忘れるはず。そう思っていた。この優しい人たちを悲しませたくはなかったのに。

「ごめんなさい……ごめんなさい。お金は、いずれ、必ず返し……」

 返せるはずのない額だと分かっていても、そう口にせずにはいられなかった。わなわなと口が震え、思うように動かなかった。

「知っていたよ、エルナちゃん」

 うつむいていたエルナに、驚きの声が届く。客の一人が微笑むと、周りの人間も微笑んだ。

「ベネディクトくんに頼まれたのだよ。出来る範囲でいいから、金を貸して欲しいって」

 別の客が口にする。一体、どういうつながりだ。そう思って後ろを振り向くと、いつもどおりのにやにや顔のベネディクトが、エルナの後ろに立っていた。

「とりあえず、もう一回入ってもらおう」

 な、とエルナの肩を叩く。一人だけ、あらすじも結末も知らない劇の舞台に立たされている気分だった。

 再び客をカジノに入れると、役者気取りのベネディクトは大きく手を振って演説を始める。

「人脈だけはあるんだよ、エルナ。でもそれじゃあ食べていけない。どうにか金を工面しようと頼んだんだよ、駄目元でね」

 兄は財産を持つ人間に擦り寄り、食事を食べさせてもらったり遊びに連れて行ってもったりすることはままあった。さすがにその流れで借金は無理だったようだが。老紳士はエルナの表情を見て小さくうなずく。

「さすがに、借金は別問題だ。そうしたら今度は、面白い遊びがあるからそれに金を払ってくれないか、と持ちかけられた」

「それが、このカジノ?」

 ぐるり、とカジノの中を見渡す。狭いながらも、それなりに品物を選び、高級感だけはある作りとなっていた。兄にしては趣味がいいと思っていたが、そういうからくりか。

「そ。俺の妹が、すんげー力持ってるから、それ見ないー? って誘ってみたわけさ」

 なんだと。どういうことか分からず、別の老紳士の顔を見る。先ほどエルナに食物をくれた人だ。すると、申し訳なさそうな顔になって肩をすくめる。

「それで、その妹――エルナちゃんを騙しながらだったらなお面白いかな、と。真面目だと聞いていたからね。最初はびっくりしたよ。色を識別するなんて、面白いことが出来るものなら見てみたいってね」

 ようやく、事態が飲み込めた。

 金を貰う代わりに、見世物をやったのだ。いかにイカサマをしているエルナに気付かれず、一般客の振りが出来るか。あちらもゲームを楽しんでいたということだ。

「わざとベネディクトくんに疑惑の目を向けると、エルナちゃんが分かりやすく慌てて面白かったなぁ」

 うんうん、とその場の全員がうなずく。

 うまくやっているつもりだったのに、全然騙せていなかった。エルナは肩を落とす。

「そのくせ、エルナが『あたしってイカサマ上手―』って顔し始めたから、つまらないということで新顔を投入したわけだよ」

 ベネディクトが歩いていき、出入り口の扉を開けると、そこにはコーアミアが立っていた。こっちもグルだったとは。あまりの衝撃で目が回りそうだ。コーアミアは走り寄ってきて、エルナの手をとる。

「ごめんなさい、エルナさん。わたしったら演技が下手で、ついネタばらしまでして。でも、イカサマだとわかっていてもカジノって面白い! つい夢中になってしまったわ」

 そう言って、一人の老紳士の元へ行く。

「おじい様、とても楽しかったです」

 コーアミアを見て、老紳士は顔をほころばせている。エルナはさらに裏切られた気持ちになる。家族ぐるみとは、なんという悪質さ。人のことは言えないけれど。

「そういうわけで、エルナが傷つくことはないってことさ。みんなエルナの芸が見られて、ゲームも出来て。それに金を支払っていただけだからさ」

「兄さんの交友関係が疑問だわ……」

「俺? 結構知り合いいるよー。爵位持ちに領主に、国関係も」

 当たり前のように言われても、信じられない。いくら人たらしだとはいえそこまで出来るか?

「……兄さんって何者よ」

「え? 面白いことが大好きで、人懐っこい、だけどちょっと金遣いの荒いエルナのおにーちゃんだよ」

 女の子のように、両手を頬にあてる。いろんなことがまぜこぜとなり、エルナはどの感情を爆発させていいかわからなかった。

 イカサマじゃなくてよかった。騙していたわけじゃなくてよかった。でも、あたしは騙されていた。なんなの、この状況。

「やっぱり兄さんなんて嫌い! 可愛い子ぶってむかつく!」

 その兄妹喧嘩を、老紳士たちとその孫はほほえましく見守っていた。

 とは言っても、ベネディクトは腹を膝で蹴り上げられていた。床にはいつくばってもなお、エルナから猛烈に蹴り続けられている。



  了


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― 新着の感想 ―
[良い点] けっこう、このような話すきです。次回作、楽しみにしています。
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