表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
GOING UNDER  作者: 古蔦瑠璃
9/17

-9-

 翌日は雨だった。美奈子が朝、隣家のチャイムを鳴らすと、インターフォン越しに琴子の母親が出て応対した。少し風邪気味のようなの。熱は高くないんだけど、雨も降っていることだし、きょうはお休みするわ。ごめんなさいね。

 言葉は丁寧だったが、声が固かった。

 梅宮紀行からかかってきた電話のこと、姉の真由子と琴子のママが交わした会話について。いろいろと相談しようと考えていたのに、当てが外れた。


 夕べ、美奈子は迷った末、昼間の出来事とさっきかかってきた電話のこと、琴子がそのことでママに叱られたことなどを、真由子にざっと説明したのだった。

 話を聞いた真由子は腕組みをしてしばらく考えて、結論を口にした。

「言っちゃえばいいのよ、本当のこと」

「本当のこと?」

「ええ。梅宮紀行って名乗るS高校の男子生徒に校門のところで声を掛けられたって、そう言えばいいの。だって、あのおばさん執念深いじゃない? たとえば今度のことで、琴子ちゃんをしばしば学校に送り迎えとかするようになって、それでもしも、その梅宮君がまた待ち伏せたりしてたら、途中でばったり鉢合わせってことになるかもよ。そうしたら、あなたが言わなくても、どうせあの人の知るところになるわ」

「そうかもしれないけど……」

 どのみち琴子のママが知ることだとしても、わざわざ自分から人の家庭に波風を立てることを口にするのはどうだろう。

 それに琴子がママに、知らない人だったと、もう言ってしまったのだ。

「でもね、お姉ちゃん、わたしが梅沢紀行の名前を出すと、琴がまた責められちゃうと思うの。ママに嘘ついたって」

「そうね。でも、時間がたってから明るみになる方が、もっとマズい状況だと思わない? それこそずーっと嘘をつきとおしてたのかってことになるのよ」

 黙って考え込んでいる美奈子に、真由子は重ねて言った。

「もともと琴子ちゃんが悪いわけじゃないんだし、自然に知れるまで待ってないで、わかっていることをこちらから話してすっきりした方が琴子ちゃんにもいいと、わたしは思う」

「うーん」

 美奈子は手にしたカップのココアを飲み干して言った。

「わかった。あした学校で琴に相談してみる」

「そうして。それで帰ったら、電話に何て答えたらいいか教えてちょうだい」

「お姉ちゃん、本当に電話、取り次がないつもりなの?」

「あたりまえでしょ。もっともその程度の当てこすりが通じる相手とも思えないんだけどね」

 自分もまたカクテルを飲み干して、空になったタンブラーとマグを手にキッチンに回りこんだ真由子は、タンブラーをすすぐ手をふと止めて、独り言のようにつぶやいた。

「あの人もねえ、嘘つきは許さないだなんて、子供を追い詰めて自由をとりあげて、嘘でもつかなきゃやってられないようにしてるのが自分だって、いいかげん気づいてほしいもんだわ。それで息子との関係が決定的に壊れてしまったっていうのに同じことを娘に繰り返して、全く学習能力がないんだから」


 雨の降る金曜日、琴子のいない教室での1日を、美奈子は落ち着かない気分で過ごした。

 休憩時間は図書室で過ごし、昼食は誘ってくれるクラスのグループに入って一緒に食べた。

 昼食後、たまたま目の前をウロウロしていた柿崎直人をつかまえて、美奈子は聞いた。

「柿崎くん、ちょっと聞きたいんだけど、梅宮紀行とあなた、どういう関係?」

「へっ?」

 柿崎は細い目を精一杯見開いて、きょとんとした顔で美奈子を見返したが、それ、誰だよ、と言いかけて思い出したらしく、

「ああ、なんだ、それ兄貴のクラスメートだ」

 そう答えた。

「なんだじゃないわよ、夕べその梅宮紀行から電話がかかってきて、うちの番号どうして知ってるんだって聞いたら、学年名簿、あなたに借りて見たって」

「梅宮さんから菊本んちに電話があったのか?」

 柿崎は不思議そうに、そう問い返してきた。

「桜井じゃなくて、なんでまた菊本のところに?」

「桜井じゃなくてじゃなくて」

 美奈子は少し顔をしかめて見せながら、

「部外者に学年名簿見せちゃだめでしょ」

「んなのおれ、知らねーよ。兄貴が勝手に見せたんだろ。てゆーか、梅宮さんから桜井のこといろいろ聞かれたのって、もう半年ほど前になるし……」

 柿崎直人の説明によると、半年前の春の体育祭のときに、梅沢紀行はたまたま柿崎の兄と見学に来ていて、琴子に目をつけたのだという。

 あの子可愛いな。ほら、あの二人三脚で後ろから2番目を走ってる、茶色っぽいおさげの子。鈍臭くて可愛いよ。さっきの借り物競争でも、貸してくれそうな人に声かけられなくてまごまごしてただろ。へー、桜井琴子っていうの。なんだ、柿崎の弟と同じクラス?どんな子? おとなしいの? 成績はいいんだ。ふーん。弟くんさ、それとなく聞いてみてよ。つきあってる奴、いるのかとかさ。写真撮っておこうかな。走ってるとこ。

 今年の体育祭は土曜日だったから、琴子のパパは、確か仕事があって来られなかった。柿崎直人は、偶然梅宮が琴子に目をつけたみたいに思っているみたいだが、本当は梅宮は以前から琴子のことを知っていたのだろうと思う。それで、わざわざ見に来たのかもしれない。

 しかし、目の前の、のんきそうな顔をしたこの少年に、そういった事情を説明してもしょうがない。美奈子は肩を竦めて言った。

「琴子のうちにも夕べ電話したみたいよ。クラスメートのふりをして柿崎くんの名前で電話したのに、ママに取り次いでもらえなかったのですって」

「ああ、そうか、それでか」

 柿崎直人は腑に落ちた顔で、つぶやいた。

「夕べ突然、桜井のおふくろから電話かかってきてさ。何だろうと思いながら電話に出たら、『間違いでした』って言って切られちまったんだよな」


 家に帰ってから美奈子は、真由子が大学から戻ってくるのを待って、琴子が学校を休んだことを告げた。2人で相談して、きのうのできごとについては、最低限のことを、ごく簡単に伝えるだけにしようと決めた。きのうの下校途中、見知らぬ高校生から声をかけられた。中背中肉でこれといった特徴もない普通っぽい学生だった。電話番号は聞かれてないし、こちらも聞いてない。以上。

 名前とか、何か手がかりになることを言ってなかったかと聞かれたら、適当にとぼけて受け流すから。真由子はそう請け合った。美奈子は直接電話に出ちゃだめよ。嘘をつくのも嫌でしょうし、といって、琴子ちゃんの了解を得ないでその異母兄弟の名前を出すこともできないでしょ? とにかくわたしに任せておいてね。

 手ぐすね引いて真由子は待ち構えていたが、その晩琴子のママからの電話はなかった。こちらから電話をかけて琴子の風邪の様子を聞きたかったが、もう少し待ちなさいよ、と、真由子に止められているうちに、電話できる時間を逃してしまった。

 琴子のママからの電話がかかってきたのは、さらにその翌日の土曜日の夕方だった。


 雨は夜半過ぎまで降り続いていたようだったが、夜明け前には止んでいた。朝10時ごろ、美奈子が隣家の車庫を覗いたとき、琴子のママの車はすでに無かったから、琴子を塾に送っていったのだと思った。

 午後になってなんだか騒がしいのでもう一度外を覗いて見ると、桜井の門の前に軽トラックが止まり、大学生ぐらいの若者が2、3人、庭に入り込んで、なにやら重そうなダンボール箱を幾つも運び出しているところだった。

 何をしているんだろうと思っていたら、家の中から兄の知明が出て来て、ダンボールを抱えた男たちと話を始めた。ちょうどそのとき、琴子のママの運転する車が戻ってきて、そのあと言い争いが始まった。いや、言い争いというよりも、ママが一方的に知明に詰め寄っているような感じだった。

 いけません。パパが許さないって言ったわ。どうやって……つもりなの? 切れ切れに言葉が耳に飛び込んできた。きのう知明の高校時代の話を聞いたばかりだったこともあって、自然に注意がそちらに向いてしまう。それでも、盗み聞きをしているのはあまりいい気分ではなかったので、美奈子は自分の部屋の窓際をそっと離れ、階段を降りてパパの書斎に移動した。


 平日は自分のもののように書斎に入り浸っている美奈子も、土曜日はいつもパパがいるので遠慮していたが、きょうは両親揃って休日だったため、2人でどこかに出かけている。

 真由子もアルバイトだかで出かけ、一人だった。

 課題のワークを済ませ、ヒアリングマラソンのテープを聞きながら、ゆっくりと本を読みふけっていたが、窓の外が茜色に染まる頃、居間にある電話の呼び出し音が聞こえてきた。

 コール音は4回鳴って、留守番電話に切り替った。両親も姉も、まだ戻ってきていない。

 美奈子はヒアリングのテープを止めて、パパのデスクの肱掛椅子から立ちあがった。誰もいないのなら、そろそろ夕食の支度を始めた方がいい。少なくとも米ぐらいは研いでおいた方がよさそうだった。


 カーテンを引いたままのほの暗い居間に、留守録のランプが点滅していた。気は進まなかったが、美奈子は再生のボタンを押した。

 琴子のママの声だった。

「隣りの桜井です。琴子が行方不明なの。もしも何か心当たりがあるようだったら、すぐに連絡をください」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ