二話 闇の中の藤色
心がひとたび闇に落ち、魔を宿すと、それはそれは厄介である。闇は心地よく、魔は刺激的だからだ。そして、それは死んだ後も同じらしい。
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「バケモンだよ!いや、ほんとだって!最初はただ、具合が悪そうにフラフラしてたんだ。でも、そいつ、"ヘンシン"したんだよ。なんかブクブク太っていっちまってよ。なんだか、こう、緑色になっちまってよ。そんで、お医者様が心配して駆けつけたんだ。大丈夫ですか?どうあるんですか?ってな。そしたらよ、そのバケモン、お医者様を喰っちまいやがった。いやーもう、たまげたよ」
「俺?いやいや、カンケーないよ。勘弁してくれ。俺はただ、街頭取材で協力してくれっつーから、それに答えただけだよ。なに?あんたしつこいな。ほら、これやるよ。あの記者の名刺だよ。それしか知らねって。じゃあ、俺、今から女と会うから」
夜の繁華街。昼間とは打って変わって、お店のネオンが自己主張を始め、欲望が街を照らす。僕は、まず昼間の現場に戻り、聞き込みを始めた。祓魔の基本は、相手への理解。これを怠ると、いざという時の判断ミスに繋がる。との教えがあっての行動だ。それに僕は、店長と違って普通の人間だから……。で、分かった事。十中八九標的は魔を宿している。しかも、姿を変え人を喰らう、人喰いタイプらしい。このタイプの厄介なところは、初期感染時に本人は自覚がないところだ。まずは、標的の確認。とは言え、危険なので、それなりの準備が必要だと感じた。僕は、以前店長に連れて行ってもらった、繁華街の地下にある、レンタルビデオ屋ヘーパイストスに足を運んだ。
「オーウ、アヒルー、ゴブサータネ」
ショートモヒカンに顎髭を蓄えた男の、黒くて、太くて、逞しい腕が、抱擁と言う名の羽交い締めで迎えてくれた。あまりの馬鹿力に骨が軋む。
「や、やあ、バルカンさん。久しぶり」
ヘーパイストスは色んなものを売っている。それこそ、歯ブラシから、違法なモノまで。ここは知る人ぞ知るブラックマーケットなのだ。そして、ここのオーナーのバルカンさん。元軍人らしく店長とは昔からの知り合いで、今でも、店長がちょくちょく顔を出しては、交友があるらしい。まあ、あの店長の目的は、合法では手に入らない、本なんだろうが。
「アヒルー、キョウハドウシタノー」
「またちょっと人喰いのお相手をするのに。武器を貸して欲しいんだ」
「ヒトクイ。キケンナシゴトネ。ミスミフネハ、シンジャッタノー」
「いや、生きてるよ。……何かないかな?」
「アヒルー、バルカンハ、カタギニウル、ブキスクナイ。デモ、ミフネノトモダチ。イイノアールヨ、ドウゾーオカマイナク」
バルカンさんは、ちょっと間違った日本語で、店の奥に通してくれた。カウンターから入り、荷物でいっぱいの廊下を抜け、ロック式のエレベーターで最上階に上がる。そこは、フェンスで囲まれた部屋だった。部屋の壁を囲う様に、棚があり、棚は見たこともない重火器でいっぱいだった。この部屋には初めて入る。
「これ全部、……凄い」
「アヒルー、サワルトアブナイネー。アー、コレナンカドデスカ。テイザー。タマガアタッテモシナナイ。デンキビリビリスルヨ」
バルカンさんが選んだのは、変わった形の銃Taser M-26。ワイヤー付きの針が飛び出し、電流が流れる仕組みらしい。単発式なので、外したら大人しく全力で逃げる様にとの事だった。銃本体はレンタルで、カートリッジ代を友情割引の20万円で店長に請求するとの事で、僕は承諾した。本よりもよっぽどいい買い物だと思う。
「アヒルー、ユウジョウワリビキ、ネ!」
僕はテイザーを腰のベルトに固定させて、バルカンさんに深くお辞儀をした。
店長から渡された地図の地点は、建設途中で放棄された、鉄骨が剥き出しの廃ビルだった。打ちっぱなしのコンクリートがところどころ不自然に欠けていて、今にも崩れ落ちそうな雰囲気だ。よく見ると、血痕の様なものも奥に向かって続いている。禍々しい雰囲気。間違いない。ここに、いる。僕は、携帯電話で依頼書の画像を再度確認した。那岐康介。47歳。某大手新聞社の記者。写真には、奥さんと二人の子供が一緒に写っている。とても幸せそうで、人の良さそうな顔だ。だけど、この人は、人を殺した。
屋内は、外よりも更に暗く、足元すらよく見えない。ザラザラとしたコンクリートの床を靴底で撫でる様に、音を立てずに歩く。階段を登り、廊下を進む。そして、各部屋を確認しながら、再び階段を登る。しばらく進むと突き当たりが鉄扉になっていた。ここが最後の部屋。鉄扉は音を殺すのが難しそうだった。僕は、覚悟を決めると、軋む扉を押し開いた。そこはまだ、部屋の区分けもされてないだだっ広い部屋だった。ぴちゃりぴちゃりと、水滴が地面に落ちる音が聞こえる。その先には人影。僕はテイザーに手を延ばし、身を低く構える。
「誰だ!いや、誰でもいい!助けてくれ!」
男の叫ぶ声が僕の意表を突く。
「え、」
必死で叫ぶその声は、おそらく依頼書の写真の男。那岐康介が放つもので、どうやら彼は、何かに追われている様子だった。自然と銃口は那岐を向く。
「ちくしょう!何で俺がこんな目に!」
よく見ると、逃げ惑う那岐を嘲笑うかの様に、黒い人影が追いかけている。ひゅん、と風を切る音。鈍い呻き。「助けてくれ」と、声。ビルの隙間から射す月明りが、もう一つの黒い人影を照らす。漆黒の濡れ髪、雪の様な白い肌、藤色の瞳。だが、その手には、不似合いな日本刀が握られていた。
僕は、その子を知っている。
「……箕輪……藤花!?」
「…………」
そこには、先月転校してきた話題の転校生、箕輪藤花の姿があった。銃口が、那岐と箕輪を行き来する。
「頼む!このバケモノをそれで撃ってくれ!」
それは一瞬の迷いだった。僕は男の声に気圧され、標準を箕輪に定めていた。男が逃げる。箕輪は僕の存在を、まるで意に介していなかった。藤色の瞳が揺らめき、影の様なモノが僕の身体に纏わり付く。僕は恐怖からトリガーに掛けた指に力が入った。僕は叫んでいた。テイザーから針が飛び出す。刹那、日本刀が、斜め下から切り上がる。それは、ほんのわずかな針を真っ二つに斬り裂き、高く上がった刃が返った瞬間、淡い光が僕の顔を掠めていた。悲鳴が上がった。いつのまにか後ろに来ていた那岐康介の血飛沫が、僕の背中を、熱く赤く染めた。
一瞬だった。箕輪藤花の放った突きが、僕の後ろの那岐康介を貫いて。彼は、音も無く崩れ落ちた。
「……なんだよ、これ」
淡い光の切先が僕の喉元に突きつけられる。
「……なんで」
眩暈がする。こんな時に、くそ。まただ。意識が、とお、の、く……。