記憶
この話は連載で書いていましたが、連載で続けるのは困難のため短編で書き直しました。
夏子が事故に遭ってから二年が過ぎた。
記憶喪失と聞いた時はもう二度と記憶が戻らないだろうと思っていたが、夏子は運が良く退院して一週間経った頃から少しずつ色々な事を思い出した。
母親と父親、それに妹と家族の事はほとんど思い出した。
現在夏子は年齢で言うと高校二年生だが、学校は中学三年で事故に遭った以来行っていない。
義務教育を過ぎたのだからもう行かなくても良いのだが、夏子本人の希望で半年後の四月から少し遠くの高校に年齢の通り三年生として行くことになった。
今日は平日なので妹の夏実は中学校へ、父の晴彦は会社に行っている。
リビングで母の郁恵と二人でお茶を飲んでいた。
「ねぇお母さん。私って野球してた?」
「野球?良くお父さんと一緒にテレビで見ていたけど、やった事はないと思うわよ」
「そっか・・・」
夏子は最近夢で自分が野球をしている夢を良くみるのだ。昔の記憶を思い出すように。
父の記憶もまず毎日の様に夢で見てから思い出した。
多分今回の夢も昔の記憶なのだろうが、家には男の兄弟もいないしバットもグローブもない。
「小学校の頃、体育の授業でやったんじゃない?」
「うーん。何かね、もっと本格的だった」
皆赤と白のユニフォームを着て、監督のような人もいて、得点版もあった。
場所は自分の通っていた小学校ではないどこかの学校のグラウンド。
「少年野球、みたいだった」
夏子は空になったカップを見つめながら、昨日の夢を思い出す。
「私は、ピッチャーで、確か八回の裏。相手が一点リードしていて、私は三振を取りたかった」
そしてボールを投げたところで目が覚めた。
「まあ、それは普通の夢だったんじゃない?だってあなた少年野球なんてしてないわよ」
郁恵の言っている事は正しい。
夏子はいまひとつすっきりしないものの、この夢を見たのは昨日だけなので、普通の夢だと思う事にした。
ところが、夏子は今夜の夢でも少年野球のピッチャーだった。
そんな夢が一周間続くと、ただの夢ではすまなくなった。
晴彦は会社を休んで、三人で病院に行く事になった。夏実も学校を休むと言ったのだが郁恵が学校に行かせた。
病院は十一時からなので今は家でのんびりニュース番組を見ている。
「では、次のニュースです。二年以上前に自殺で亡くなった男の子が、実は他殺だった可能性が出てきました。当時地元の野球チームに入っていた川崎 大輔君。VTRをご覧下さい」
そのVTRを見た夏子は声を上げた。そこにうつっている風景と全く同じものを夢で見たから。
「お母さん、お父さん!私の見た夢ってこれだよ」
赤と白のユニフォームを来た少年達。ゲームは八回の裏、ニュースで言っている男の子のチームは一点リードされていた。
そして三振を取ろうと、ボールを投げる。そこでVTRは男の子の家族に変わった。
「信じられない。夏子の言ってた事と全く同じだわ」
「でも私この男の子今初めて見た」
騒いでいる夏子と郁恵とは対照的に晴彦は静かだった。
驚きすぎて何も言えないと言った方が正しい。
「どうしたの?お父さん」
「なぁ。川崎 大輔君って夏子が心臓をもらった・・・」
病院でその事を話すと医者はとても驚いていたが、もらった心臓からその人の記憶を思い出すのは有りえない事ではないらしい。
ただ困ったのは自殺だと思われていた大輔君が本当は他殺だった事が今になって分かった事だ。
大輔君はきっと自分を殺した犯人の事を覚えているだろうから、夏子がそれを思い出す可能性があるのだ。警察は秘密事項で夏子の記憶を有力証言に加える体勢を取ったのだ。
毎日、警察から電話が掛かってくるようになった。
しかし一ヶ月経っても夏子が思い出す事はなかった。
大輔君の夢は見るものの、殺害された時の夢は見なかった。
夏子からすればそんな怖い夢見たくなかった。
警察の頼みで、一回大輔君のいた町を訪れる事になった。
夏子は夏実と二人で電車に乗ってその町にいった。
ついてみると、都会と田舎が共存しているようなところだった。
「結構遠かったね」
「うん。何か不思議な感じ、初めて来た町なのに懐かしい。デジャビュかな」
「お姉ちゃんの中に大輔君が生きてるんだよ。心臓だけじゃなくて、記憶も心も」
「・・・そうだね」
警察に教えてもらった大輔君の家に行ったが家の前は警察だらけで、気が引けてしまった二人はしばらく町をブラブラ歩いた。
一通り歩いた後、夏実の「お墓に行こう」と言う言葉でお墓に行った。
もう二年も経てば誰もいないかと思っていたが、お花は新しいものがたくさんあった。
そして二人がいた間にも一人の女の子がやって来た。
「あっ」
この子は見た事がある。勿論夢、大輔君の記憶の中で。
確かバレンタインデーにチョコをくれた子。そして言えなかったけど大輔君も好きだった子。
「あの、こんにちわ。私達大輔君の従姉妹です。あなたはお友達?」
「あ、はい。そうです。伊藤 真紀です。大輔の従姉妹の方ですか?」
「ええ。あたしが夏実で、こっちが姉の夏子です」
咄嗟に思いついた嘘だが、妹も合わせてくれた。
「そうですか。大輔、バレンタインデーの返事聞かせてくれないまま死んじゃって。本当に馬鹿な奴ですよね。あ、従姉妹さんに言ったら失礼か」
真紀の憎まれ口からも本当に大輔君が好きだったと言う事が伝わった。
「大輔、自殺って聞いた時は本当、何て馬鹿な奴だって思ったんですけど、本当は殺されたかもしれないらしいんです。その時、ちょっと嬉しかった。大輔はそこまで馬鹿じゃなかったって」
真紀は墓に語りかけるように言った。目には綺麗な涙が溜まっていた。
「じゃあ、これで失礼します。私はいつでも来れるので従姉妹さん大輔と話してあげて下さい」
「あ、ねえ。伊藤さんよね?」
「はい。そうですけど」
「大輔君が昔、好きな子がいるって言っててその子の名前も伊藤さんだったの。あなたの事だったのね」
真紀は一瞬顔をくしゃくしゃに崩すと、涙を堪えて笑った。
「あの馬鹿。でも、教えてくれてありがとうございます。チョコ渡して良かった」
真紀が帰ると夏実がこっちを見た。
「本当なの?大輔君も好きだったて」
「本当だよ。言った方が良かったのかは分からないけど」
その夜、夏子は布団で考えていた。今までは殺害される時の夢なんて見たくないと思っていた。
だけど真紀に出会って思った。大輔君が自殺じゃないという事で大輔君の大切な人達が救われるなら。自分に命をくれた人の大切な人のために、自分は犯人を思い出さなければいけない。
そして夏子は夢を見た。犯人は中年の男。大輔君の、実の父親だった。
警察な夏子の証言を信じ、捜査を進めた。
物的証拠も見つかり、大輔君のお父さんは捕まった。
殺害の理由は大輔君の記憶にはないから分からなかった。
ここからは警察が頑張ってくれるだろう。
それから夏子は一回だけ大輔君の夢を見た。
生きていたら中学三年生の大輔君がその年齢の姿で夏子の家にいる。
「お姉さん、事件の事ありがとう。あと真紀に俺の気持ち伝えてくれて」
それだけ言って、夢なのにフッと消えてしまった。
こんな記憶なないから自分の勝手な夢だろうけど、これが最後の大輔君の記憶。
今日も夏子は大輔君の心臓で生きる。