2nd 見学の案内
「で、携帯落として帰ってきたのね結局見つからないまま。警察に連絡はしてみたの? どうせしてないでしょう。いいわ連絡はしておくから待ってみなさい」
夕食の席で母のマシンガントークに辟易した次の日。香取はまた街にいた。もちろん、携帯電話を探すためである。いざと言う時無いと困るからだ。
(確かこの路地だったはず……)
見覚えのある駅前の路地。昨日の行動をさかのぼるように歩き回る。だが、午前中を全て費やしたのにもかかわらず携帯のけの字も見つからなかった。
(しょうがない、昼にしよう)
近くのハンバーガー店に入り、一番安いハンバーガーとドリンクを注文し適当に食べていると、何だか見た覚えがある顔が。
「あ、健!」
ガラス越しに気付いたらしい化野が香取に手を振る。こちらも振り返すと、どうやら一人らしい彼女は一直線にこちらに向かって来た。わざわざ来てもらう必要もないと思って香取が急いでハンバーガーを胃に納めようとすると、化野はとんでもない速度で近寄ってきた。
「久し振りだね! どう、この街は」
あっという間に隣に座られた。足に微妙に歪みが残っている辺り、どうやら足を変身させて走ってきたらしい。
「久し振りって言ったって、一日だけじゃないか?」
「一日千秋って言葉、知ってる?」
「なるほどね」
なんか違う、と頭が言うが、とりあえず置いておく。
「それが僕の転校するところの制服?」
化野は、なぜか制服を着ていた。夏服だろう。セーラー服というよりはブレザーに近く、モスグリーンを基調にしたチェック柄のスカートとネクタイが白地のシャツに生えて高級感を演出している。
「うん。補習とかいろいろあったから、さっきまで学校にいたんだ」
なるほど、と頷きながら、ふと気になった。
「そういえば、学校ってどこにあるんだっけ?」
頭の中の地図にあるにはあるが(携帯を探すに当たって叩き込んできた)、やはり実感が欲しい。
「……よかったら、案内してあげようか?」
「いいの?」
渡りに船とはこのことだ。と思った香取は思わず化野の手を握って感謝を述べた。
「ありがとう! 助かるよ」
だが、化野の返事がない。真っ赤になっておろおろしているだけだ。
そこでやっと香取は自分が化野の手を握っていることに気付いて、慌てて手を離す。
「っと、ごめん!」
急いで謝った。確かに、いきなり他人に手を握られたらびっくりするだろう。
「…………もうちょっと握ったままでも…………」
「何か言った?」
「ううん、なんでも!」
「?……ならいいけど。そういえば、お昼ご飯は食べた?」
もし香取が席を立たなければ聞こえただろうその声は、イスと床の摩擦音に消えてしまった。
「まだ。けど、今から食べるよ」
「了解。それなら、なにがいい? 買ってくるからさ」
「へ? いいよ、自分で買うから」
化野は鞄から財布を取り出そうとする。それを押しとどめて、香取は自分の財布を取り出した。
「おごるよ、学校案内のお礼にさ。それくらいはいいだろ」
もちろん、香取に下心はない。ただ十年前のうしろめたさを多少なりとも慰めたいだけ、言うなれば自己満足でしかない。……それを、他人がどう捉えるかはまた別の話だが。
「……それじゃ、コーラとチキン二つ」
「あいよ。僕のそれもコーラだから、よかったらあげるよ」
「ふぇっ!?」
化野が奇妙な声を出した。香取はそれを気にかけることなくカウンターへ注文を取りに行く。幸い列はあまり長くなく、すぐに受け取ることができた。
「はい、お待たせ」
持ってきたトレイを香取は化野の目の前に置く。自分も元の席について、なんとなく化野を見つめる。香取の全てを狂わせた彼女は幸せそうにチキンにかぶりついていた。
これでいいのだ、と香取は自分に言い聞かせる。償いには、ならないだろう。そう理解していてもなお、止めることはできない。責め苦という焦躁が彼の背中を焼き続ける限りは。
程なくして食事を済ませた二人は、そろって店を出た。
ジュースは、なんだか減っているような気がした。
「そういえば僕、私服なんだけど大丈夫かな?」
「うーん。まぁ、どうにかなるでしょきっと。うちはちょーっと特殊だし」
なぜ強調するのか。
「特殊って……?」
そこはかとなく嫌な気配を覚えた香取は、歯切れ悪く尋ねた。が、化野は、
「まぁ、来ればわかるよ」
の一点張り。結局何もわからないまま、学校に着いてしまった。
第一印象はとにかく大きい、だった。というか、途中から学校の外側を周っていただけらしい。曲がり角を曲がったら校門があった。
第二に驚いたのは、門だった。
警備員がいた。しかも、その腕には腕章が。右側の男は赤い布に緑の字で『火―参』と、左側の男は白地に黒で『特―五』とそれぞれ書いてある。
思わず、香取は一歩引いた。
「な、なんで?」
それぞれの意味は、『火種』と『特種』、である。都市にいた頃に見たことがあるので知っていた。数字の意味はわからないが、こんな警備員を休日、しかも夏休みに配備しているなど、どうみてもまともではない。
しかもそこに、化野は普通に入っていく。
「どうしたの? 早く来なよ!」
警備員は普通に通していたが、その圧力は恐ろしい。
異伝子が世界で確認されてから、犯罪者数は一気に減少した。それは、他人が見た目で判断できなくなったからだ。肉体的にも弱そうな老人ですら、昨日のように恐喝未遂すらできてしまう。
だからこそ、その中で更に警備員という『武力』が必要な仕事についていることが恐ろしい。
香取は立ち尽くしてしまった。普段から自分の異伝子を極力使わないと誓う身からすれば、危険極まりない。
だが、どうやら見兼ねた警備員が話し掛けてくれたことで場は解凍された。事情を説明すると、入校証を付けることを条件に許可が降りたのだ。
「ありがとうございます……」
微妙に緊張しつつも、門を通る。だが中に入ると同時にそれは吹き飛んだ。
「う、わあ……」
目の前に広がったのは、一面の庭園だった。夏らしく向日葵が何本も塀に沿うように並び、何故か秋桜と桜が上下に咲き誇る庭には煉瓦敷きの通路が。
「凄いでしょ! これ、緑化委員会が手入れしてるんだよ!」
「凄い……けどちょっと待って。なんで秋桜と桜と向日葵がいっしょに咲いてるの!? おかしいって!」
思わず香取は突っ込んだ。しかもよく見ると変だ。一応屋外なので、風もある。だが、草木は葉の一枚すらも動いていない。完全に、異常と言っていい。
「なんか全部止まってるし……」
というか、触ってみたらやけに固い。硬い、ではなく固い。まるで『時間が停止している』かのようだ。
「……なんなんだここは……」
敷地といい門といい庭園といい、あまりにも規格外過ぎる。
「大丈夫なんだろうか……」
「ぼんやりしないの! ほら、行くよ!」
波乱を含んだ学園見学会が始まった。……始まって、しまった。