22th 救命の手段
手術中。
そう書かれた光る板を横目に、化野は座っていた。
「……ああ……」
先ほど見た光景に、思わず化野はまた目を覆った。覚悟ができていなければ、失神していたかもしれない。
『刻限』の時間停止(ちなみに、学園の四季の庭園を維持しているのもこの系統の能力だ)で停止させているので、抜けない剣がいくつもあるのだろう。凹凸でいびつにふくらんだ全身は包帯でくるまれている。まるでミイラのような香取の姿がそこにはあった。唯一本人だとわかる顔には酸素マスクがかけられていて、心電図だけがまだ生きていることを示していた。この手術もいわば、どこまで重症なのか測るためのものである。
「あ、あった! 健一っ!」
突然声がして、かけよってきたのは健一の母、香苗だった。顔面は蒼白だが、かろうじて冷静さは保っているようである。彼女はこちらに気づいて目を丸くした。
「って、育美ちゃん? どうしてここに……?」
責任感から、なんとか説明しようと化野は口を開く。だが、出てきたのは全く別の言葉だった。
「お、おばさんっ……ど、どうしよう……? 健が、健があっ……!」
冗談抜きで涙腺が壊れたかと思うほど、化野は一気に泣き出してしまった。泣いたらだめ、と思えば思うほど、涙は止まらない。
それを見て逆に冷静さを取り戻したのか、香苗はポン、と化野の頭に手を乗せた。まるで子供をあやすように。
「うちのアホ息子が手間をかけたみたいだね。大丈夫、こういうことはあの子、向こうではよくやらかしてたのよ。ここまでひどいのはまあ、初めてだけど……いっつも、何も言わないで、背負い込んで、挙句の果てにこうなって、悲しませて……何がしたいのかしら」
反対の手が、きつく握り締められているのを化野は見た。無力感から来る、自分への怒り。そんな感情が見て取れた。
「よりにもよって、こんないい子まで泣かせて……今回ばかりは、許してやれないね。
とっとと帰ってきな、このドあほう……!」
台詞こそ怒っているようだが、顔は泣く寸前だった。そこに、カンファレンスを終えたのか医師が一人やってくる。やはりと言うべきか、相当難しい顔をしていた。
「……それで、どうですか?」
恐る恐る、香苗が尋ねる。医師は絶望的な顔で答えた。
「……非常に言いにくいのですが……施術は相当難しいです。剣の数が多いため、摘出には時間がかかります。まず単純に患者の体力が保つかどうか。次に、出血量が多いということです。圧倒的に足りません。輸血でもギリギリで……これをなんとかしないと、どうにもなりません」
「そんな……」
香苗が悲嘆のため息をつく。香苗と健一の血液型は一致しない。肉親ですらそうなのだから、化野が一致するはずもない。
だが、化野は言った。
「……私の血を使ってください」
「無理よ! 育美ちゃんの血液型じゃあ、健一とは……!」
すかさず香苗は押しとどめた。致死量の血液を補うとなれば、相当な量の輸血が必要になる。そんな量を、いくら昔とはいえ体の弱かった化野に提供させるのは危険だった。ましてや、血液型が違うのだ。輸血は不可能である。
だが、化野は笑顔で答えた。
「忘れてませんか、おばさん。私の能力を」
あ、と香苗が一瞬茫然となった。そしてすぐに理解する。彼女は自分の血を変化させ、健一に適合させようとしているのだ、と。
「変身能力……た、確かにそれなら可能性はあるけど……」
だがそれは、相当に難しいことだ。彼女の能力は、イメージに依存する変身。
つまり、イメージできないものには変身できない。
今回の血液型などという、目に見えないものは相当難易度が高い、いや桁違いのはずだ。
「……現状、それ以外の手段は見つからないと思います。協力をお願いできますか?」
だが、化野はやる、といってのけた。医師も頷き、何事かを通りかかった看護師に伝える。
しかしまだ、問題が全て解決したわけではない。
血はいいとしても、彼の体力がもつかは依然として不明だった。
皆が頭を抱える。こればかりはどうしようもない。あきらめて運を天に任せようと誰かが言おうとしたその時、階段から思いもかけない人物が下りてきた。
「……え……?」
相変わらずの黒い服に、白い肌。
コントラストも鮮やかに、夢見がそこに降り立った。
「私の力が必要かしら、育美さん?」
状況説明もなにもないはずなのに発せられる、すべてを理解しているような言葉。だが、それを詮索している余裕すらなかったのも事実だった。
同時に、先ほどの看護師がいくつかの医学書を抱えて現れる。
「先生、血液に関する本ですけど、とりあえずこれだけ見つかりました」
「了解。少ししたら香取君の手術のカンファレンスを始めるから、第三会議室の先生方にお伝えして」
「わかりました」
走っていく看護師を少しだけ見送って、医師は振り返る。
「……そちらの方は、治癒能力者、ということでよろしいのですね?」
医師の問いに、夢見はうっすらと笑って答えた。
「結果としてそうなるわね。もっとも、私のストック量にも余裕はあまりないから、頼り切られると困ります」
臆することなく、言ってのける。
「禁忌種参号、『夢魔』の夢見です。香取君とはクラスメイトで、ある意味命の恩人になるわ。だから、今回は私が……!」
助けたい、という無言の、しかしはっきりとした意思をその場の全員が汲み取った。
「……では、ご協力をお願いします」
医師は夢見にそう告げると、看護師の持ってきた本を化野に渡す。
「資料です。一応手元にあるものを全て。うまく使ってください」
そう言って、彼も去っていく。おそらく彼自身も会議に出なければならないのだろう。
そしてその場に残された三人のうち、化野がまず本を開いた。彼女が一番時間が必要なのである。それを理解したのか、香苗は何も言わなかった。そのかわり、もう一人に水を向ける。
「夢見ちゃん……で、よかったっけ。ちょっと聞いていい?」
「はい。それで、なんでしょう?」
意外と素直に夢見は答えた。その姿に、少しだけ目線を本から上げていた化野は少しだけ笑う。もともと彼女はいい人だ、と常々化野は思っていた。能力と経歴故に孤立し、あまり人と関わらないから冷たいように思われるのかもしれない。
「うちの健一があなたを助けたって言ったけど、あの子はいったい何をしたの? ……あんまり自慢できることじゃないけど、あの子は自分の能力を使いたがらない。なら、いったい何であの子はあなたを助けたの?」
「それは……」
夢見は全て説明した。老人に襲われたこと、間一髪でそこに香取が乱入してきたこと。携帯電話で芝居を打って逃がしてくれたこと。
最後まで聞いた香苗は、安堵のため息をついた。
「良かった……あの子、能力は使わなかったのね」
「使わなくて、良かった……?」
夢見が疑問を返した。
「ええ。あの子、禁忌種だもの」
「「は、はい?!」」
衝撃の事実に、図らずにも、夢見と化野の声が被った。
「あら、あの子の能力、本人から聞いてないの?」
果てしなく意外そうに、香苗は彼の能力の本当の名前を言った。
「『払ノ御魂』っていってね。有形無形、概念だろうが法則だろうが、威力も距離も関係なく斬ってのける、完全な剣。ただ、全くもって制御が効かないのが難点なのよ」
重い事実を事も無げに言って、香苗はため息をついた。その顔には濃い疲労がみえる。
その様子を見て、かつてはこんな事がよく有ったのだと二人は察した。どうやらそれは正しかったらしく、
「自分まで斬るなんて日常茶飯事で、病院もしょっちゅうだった。けど、ねぇ……」
ふと、香苗が顔を上げる。釣られて二人が目線を追うと、第三会議室の戸が開く所だった。