17th 情報の提供
そして、その夜。香取は自宅でヤカンを火にかけていた。
(しかし、どうしたものか)
湯気をたてるそれを見つめながら、香取は思索にふける。ちなみにヤカンの中味はお茶だ。懲罰用ではない。……今回は。
で、思案事項はといえば、もちろん今後の身の振り方である。
(しばらくは、一般人として過ごすとして……)
『四王』に自分が昼行灯だと宣言した以上、すぐに守護役に志願すれば彼らを逆上させかねない。ならば、しばらくは中立を保つべきだろう。
「やっぱり、こんなところか……」
とりあえずの結論が出たところで、ヤカンを火から下ろす。ティーバックのお茶はまとめ買いが効くので香取家では常備品だ。高級品だろうがどうせ、味はわからない。
「こんにちはー!」
ピンポン、とインターホンが鳴ると同時に、化野の声がした。
「健ー! 居るんでしょ! 入るねー!」
「えぇ!?」
ちょっと待った。鍵はかけていたはずだ。いやそれよりも、と体が玄関に向けて動き出すより先に、化野が玄関の戸を開けてしまった。
「うきゃあっ!」
悲鳴と、鈍い激突音。
そう。香苗は玄関のトラップを外していなかったのだ。(便利なのよ新聞勧誘とかの撃退に、とは香苗)香取が急いで玄関に出ると、案の定跳ねるように開いた扉にぶつかったらしい化野が目を回していた。
「だ、大丈夫か?」
香取が手を差し出すと、化野は若干ふらつきながらその手をとって立ち上がった。
「ごめん。玄関のトラップを外してないのを言っておくべきだった」
「ううん。私が勝手に開けたのがマズかったの。大丈夫。もう平気!」
見て見れば、化野の額の赤みは既に引いていた。
……速すぎる。この再生能力、やはり十年前が影響してしまっているのか。
香取はそう思いながら、念のためタオルを冷やしたものを手渡す。化野は気持ち良さそうに額に当てていた。
「それで、どうしたの? うら若い乙女が出歩く時間じゃないでしょうに」
しばらくして、香取はそう切り出した。厳密には、八時台。あ、今九時になった。
「何って…… その、健は『四王』に入ったのかな~って……」
心配そうな目で見つめられる。明日でもいい気もするが、彼女は特に心配だったのだろう。
「あの、健? そこで固まられると心配になるんだけど?」
シンキングタイムを不審に思ったのか、化野の顔が心配から不安に変わる。香取はきちんと明言することにした。
「入ってません。前も言ったけど、僕は昼行灯だし、あんまりそんな意欲もないよ。何より、化野と敵対したくない」
そう断言すると、化野は嬉しそうに笑った。できるなら、彼女にはこうして人間らしく笑っていて欲しいものである。そこに自分も居られればいいな、と思うのはたぶん、いけないことなのだろう。
「……ホントに良かったよ。……うん。それじゃあ、ここからは私のお仕事の話」
化野が急に真面目な顔になる。反対に、香取は緩い笑顔に。何を尋ねられるかわかっていたからだ。
「どうぞ。いくらでも、洗いざらい、教えるよ」
「ありがとう。それじゃ、まずは『四王』たちの背格好から」
守護役にとって、目下最大の敵である『四王』との接触。更に四人全員とだ。こんなレアケース、滅多にないだろう。
香取は全てを話した。性別、仮面で隠れた顔以外の容姿、などなど。
一番化野が反応したのは、唯一の女性の能力についてだった。
「……つまり、その『冥王』のペンから発生したのは高熱で、見えない壁だったの?」
「うん。何か化野の知ってることと食い違ってる?」
「う、うん。私たちの側だと、彼女のペンから出たのは、冷気だったの」
もちろん、健を疑うわけじゃないけど、と化野は付け足す。
「人は二つの能力は保てない。これは科学的にも証明されてるね」
数年前、異伝子発現タンパクの論文にあった。一種類の異伝子タンパクが起こせる効果は決まっており、二種類以上のタンパクは互いを殺しあうために二つの能力を得ることは不可能である。
「なら……別人、とか?」
「それは無いと思う。壱位クラスがそんなに多くはいないはずだよ」
香取の推論を化野は即座に否定する。なら、と香取はもう一つの思い付きを話した。
「『高温』と『冷気』じゃなくて、『温度変化』の能力かな」
「あ、なるほど」
こう考えれば筋が通る。
「『ペンで描いた線上の温度を変化させる能力』」
「そういうことか」
互いに同意。それならあのカラフルなマッキーペンの量も納得がいく。
「さて、これで、全部かな」
その後しばらく、香取はひたすら話し続けた。どれもこれも守護役には貴重な情報である。化野は全てメモを取っていた。
「……うん! これでよし。明日の定例会議の題材ができたっ!」
定例会議? と香取が尋ねる。週頭にある守護役の集会だよ、と返事が。
「そうなのか」
いつの間にか、時刻は十を回っていた。
「そろそろ帰るね。夜も遅いし」
「送ろうか?」
半ば条件反射で香取が言うと、化野はなぜか微妙な顔をした。
「どうかしたの?」
「あ、うん。何気なく思ったけど」
そこで彼女は少し声をひそめて、
「まだ、変な罠があったりする?」
香取は記憶を辿りながら首を横に振る。リビングにある他の罠は、確実に腹パンを狙うクローゼットのグローブと、ビリビリモコン、花火の仕込まれた炸裂ラジオ、明かりを調節する紐に偽装した金だらい落下装置くらいか。
「引っ掛かりそうなものは無いね。多分」
「き、気になるなぁ……」
念のため香取が玄関まで先導して、化野は帰っていった。
「…さて…」
することが無くなった人間というのは、変な気を起こしやすい。これはどこの論文だったか。数年前に心理学系の雑誌で読んだ覚えがある。
で、それに彼は全力で抵抗した。
(よし。能力の訓練でもするか)
無理矢理やることをひねり出したのだ。
彼は庭に降りる。一本だけの木が夏の季節にふさわしく葉を繁らせ、時折風にそよいでいる。
それを見上げて、香取はいつもの黒いコートを着て手を構えた。
まずは威力の把握からだ。右手指を鳴らす。パキン、と心地よい音と同時にヒュン、と何かが高速で飛ぶ音がする。
直後、木の枝が一本落ちた。
『飛ぶ斬撃』
これが『簡単に制御できるように貶めた』能力の使い方だ。刃未満のただ『斬る』だけのものを指鳴らしに連動させて放出している。
というか、そうできるよう自己暗示をかけ続けた。ほぼ六年丸ごとかけて。それでやっと、自分で自分に能力を使うことを許したのだ。
(ううむ…)
だが、今日に至ってはなぜか上手くいかない。狙いはもう一つ右の枝だった上に、落ちた枝の切断面が荒い。これでは集中ができていない。
(どうすべきか…)
右手を再度鳴らし、今度は葉だけを狙う。一枚だけのつもりが、数枚が斬れた。
(まずいな…)
目を閉じる。黒い穴をイメージする。そこに沈むように、落ちていく。深い集中。暗い視界。思考が研ぎ澄まされる。その先に染み出すのは、古い鉄剣。古代史の史料にあるような、鍔も何もない、純粋な切断道具。これが一番簡略化した概念とも呼べる彼の『剣』のイメージだ。なぜ和風かは知らない。日本人だからだろうか。
(どうにも…)
教室での一件以来、能力の制御が緩い。相手を傷付けてもいい模擬戦では問題にならなかったが、この先これではいつあの時のように暴発するかわかったものではない。
…それだけは許さない。
原因を考えてみようか、と思いながら香取は目を開ける。そして切断した枝を足で踏む快音に乗せて斬撃を放つ。重要なのは、自分の出した音、ということである。
「…よし」
今度は思い通り斬れた。刃未満の何かが小枝の先端だけを斬り落とす。
「今日はここまでにしよう」
一応満足して、香取は家に戻った。