10th 羞恥の体育館
校内探索の時、校舎内部は全て目を通していたのだが、体育館だけはどうやら別棟だったらしい。
渡り廊下を化野と歩きながら、香取はちょっと反省した。
「ところで昨日、帰る時に何かあったの?」
「え?」
ふと、化野に尋ねられた。
「ううん、別に他意がある訳じゃないの。ただ……」
「ただ?」
香取は先を促す。どうせ昨日のことだろう。きちんと説明すればなんとかなるだろうか。
「なんとなく、だけどね? 健が教室に入った時に、何人かの態度が硬くなったの。だから、何かあったのかな、って」
やっぱり、昨日のことのようだ。
「それは……いろいろあったんだよ」
昨日の放課後のことを、かいつまんで説明する。もちろん、明かしていいところまでだが。
すると、彼女はなぜか嬉しそうに笑った。
「なんか嬉しそうだね。こっちは守護役の職務に引っ掛からないかビクビクしてたんだけど」
香取が意外そうに言うと化野は首を横に振った。
「能力を使った小競り合いなんてこの学園ではしょっちゅうだし、そんなに目くじらは立てないよ。それより私は、健が昔のままだった事が嬉しいの」
「……はい?」
昔のまま、とはどういうことなのか。香取は少しショックを受ける。昔の自分が嫌で、わざわざ都市まで出て変わろうとしたのに。
「すぐに熱くなっちゃうところ、昔のままだね。誰にも言わないけど絶対に譲れない一線があるのも、それを破られるまで必ず能力を使おうとはしないのも」
「っ……!」
香取はほぞを噛む。どうしようもない無力感。この十年、結局無駄だったのか。
「実は、最初は不安だったんだよ? なんていうか、すごく希薄だったもの……生気がないっていうか、どこか遠くを見てるみたいな顔ばっかりで……
でも、その話を聞いて安心した」
先導してくれていた化野は振り向いて、笑顔を見せて。
「健は、変わってない。私を助けてくれた、あの時の健のままだってわかったからね」
変わってない。その言葉が、彼女の笑顔と裏腹に香取の胸を痛める。
「ねぇ」
だから、彼は尋ねた。
「化野は、どっちがいいの?」
変わらない、あの頃のままの自分と。
変わりたい、と足掻く、今の自分と。
化野の答えは、しかし彼の予想とは外れていた。
「え!? わ、私は…… 変わっていく健のほうがいい、かな」
だって、と彼女は一息置いて。
「人間って、どんなに変わってもその『芯』は変わらないもん。健だったら、すぐに熱くなっちゃうところとか。だったら、私はもっといろんな健を知りたいな。健の、違う一面を。だからもし健が変わりたいなら、私は応援するよ」
「……そっか」
化野の答えに対して、香取は何も答えられなかった。
そして、体育館に到着。これがまた広い。ものすごい数の生徒が居なければ、もっと広く見えるだろうか。
(テニスコート三つか四つは入るんじゃないのか、これ?)
しかもこの体育館、二階建て。香取たちのクラスは一階だが、間取り図を見るに二階も構造は同じだろう。
(どうやら一般開放もしてるみたいだな)
受付があったり間取り図が貼ってあったり、器具庫もかなりいろいろな道具がそろっているようである。
「健~! こっちこっち!」
ぼんやりしていたら化野に呼ばれた。行き着いた先は壁際。そして校庭で見たような白い四角形の舞台が。
周りを見れば、河合たちも居る。ちらりと目線が合ったが、すぐに逸らされた。怯えの色が見えなかったのは幸いと言うべきだろうか。
しばらくして、チャイムが鳴った。ざわついていた生徒がゆっくりと自分たちにあてがわれた舞台の周りに集まる。
すると、正面……横長で舞台袖まである演劇用舞台に教師が何人か出て来た。守屋の姿もある。マイク特有のハウリングノイズが数秒鳴った後、教頭らしき人物がマイクの前に立った。
「えー。では、これより能力階級測定及び認定試験を行います。まずは、規定の説明を、守屋先生から」
歳相応に減衰の目立つ頭髪をきっちり固めた教頭が、守屋と入れ替わる。
「では、今回の認定試験に関するルールを説明する。疑問点のある生徒は、各自の担任に聞いて欲しい。では……」
要約すれば、
一、試合は各自の舞台で一対一で行われる。
二、道具の使用は自由。
三、流血まではいいが、それ以上は不可。試合後は怪我の程度によって保健室に行くこと。
四、勝てないと思えばギブアップは可能。但し不正を防ぐ為、最低五分はギブアップ禁止。
と、こうらしい。対戦相手はくじ引き、もしくは希望で決定しているようだ。名簿番号で呼ばれるそうな。
「……流血沙汰が有りって……」
「しょうがないよ。例えば、『自分の血液を操る』能力だったりしたら、何もできなくなっちゃうでしょ?」
「……」
納得はいかないが、規定は規定だ。どうにもならない。
「さて、ではまず一試合目の組み合わせを発表する」
そうこうしているうちに、守屋がやってきた。組み合わせ表らしき用紙を持っている。
「発表する。……七番と九番。舞台に上れ」
なぜか、全員から安堵のため息が漏れた。唯一、化野と夢見だけはそうではなかったのが気になる。
「おっしゃあ! かかって来いよ!」
そして実に楽しそうに関節を鳴らしながら舞台に上がったのは、手ぶらだが闘志が爛々と瞳に輝く、どこか粗野な印象のクラスメイトだった。
(ん……?)
その姿を見て、香取は思い出す。彼は『三人目』だ。
(……あら?)
だがしかし、その相手が出てこない。香取は河合の方を見る。確か彼が名簿番号九番のはずだ。
だが彼は、なぜかこちらを見ていた。首をかしげると、こう言われた。
「お前が転校してきたから、番号がズレてんの! 九番、お前だよっ!」
笑いが起きた。若干の熱さを感じながら、香取は黒いコートを着て舞台に上がる。
「では両者、開始位置に立て……始めっ!」
戦いの火蓋が、切って落とされた。