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戦慄の断崖!妻が計画したゲーム

作者: Ono
掲載日:2026/03/21

 妻の淹れたコーヒーを飲みながら、リビングのテーブルでニュースアプリを眺める朝。

「ねえ直紀、晩ごはん何がいい?」

 キッチンから聞こえる美緒の声はいつも通り穏やかで、少し眠そうだ。彼女は朝が弱い。なのに俺より三十分早く起きて、朝食を用意してくれる。

「なんでもいいよ。美緒の作るもの、全部おいしいから」

「もう、適当なこと言わないでよ」

「あ、じゃあ親子丼がいい。あのレトルトのやつ、出汁が効いてて好きなんだよな」

 既婚者としては先輩である同僚が「直紀、なんでもいいだけは禁句だ。うちの奥さんが『それが一番困るんだから』ってよ」と言っていたことを思い出して慌てて付け加えた。

 美緒が嬉しそうに笑うのを見て自分が間違えなかったことを知る。一年近く結婚生活を続けてきたおかげで、相手の機嫌を損ねる前に分かるようになった。


 美緒は計画的な行動を好み、サプライズを嫌う。それが遺憾なく発揮されたのが俺たちの結婚式だった。

 大抵の女性にとっては人生の一大イベントとなるらしい結婚式は、彼女の希望で俺の母と美緒の母がすべてを仕切ることになった。普通なら自分の結婚式について母親が、ましてや夫の母が口を出してきたら最悪だと思うんじゃないだろうか。でも美緒はそれで満足そうだった。

『結婚式なんて親族への顔見せ儀式でしょ? だったら親がやりたいようにやれば効率的じゃない』

 和風の神前式からチャペル風の会場で大々的な披露宴。俺たちの門出の主導権は完全にお母さんズが握っていた。二人の女性が「自分の時にやりたかったこと」を存分に取り入れたカオスな式次第だったが。

『全部やってもらっちゃったー。楽だったね』

 その楽という感想に、美緒の性格が詰まっていた。

 以来両家の母親たちは仲良くなってそれぞれの夫を放ったらかしで旅行に出かけたりして円満な関係が続いている。美緒は結婚式を使っていわゆる義実家との付き合い問題を事前に回避したわけだった。


 そう、美緒は合理的な計画を好む。

 誕生日にケーキを隠しておいて「ジャーン!」なんていうのも嫌。「先に言っておいてくれたらごはんを調整したのに」と。もちろんサプライズプレゼントも渋々としか受け取ってくれない。「欲しいかどうか確認したほうが相手に配慮してない?」と。

 これらは付き合い始めの頃に俺がやらかしたことだった。ぐうの音も出なかった。

 突然のプロポーズなど以ての外だ。二人で恋愛リアリティ番組を見ていた時に「相手が断りたいかもしれないってことを考えてないよね」と真顔で言った。だから俺は事前に「来年の春に籍を入れるのを目安に同棲を始めよう」と提案し、美緒は「いいよ。また一から結婚相手を探さなくて済むね」と笑った。

 俺たちは学生時代からの付き合いだ。友人期間が長かった分、色気には縁がないが、お互いの価値観への理解度は高かった。


 俺の向かいで一緒に朝食をとりながら、美緒はスマホの家計簿アプリをつけ始める。

「今月ちょっと食費オーバーしちゃったね」

「まあ、新婚だもん」

「新婚は関係なくない?」

「そんなに贅沢してないから大丈夫だって。俺の小遣いで足しとくよ」

「やったー、ありがと」

 平日の夜は一緒に夕飯を作って、一緒に風呂に入って、一緒に寝る。土日はスーパーの特売めぐりをして、一緒にドラマを見て、たまに図書館。たまに映画館。たまに近所のファミレスでちょっと豪華なデザートを頼んでみたり。

 人に語れるようなドラマチックさはどこにもないが、俺はその日々をわりと気に入っていた。


 殺風景と言えば殺風景、それでも美緒は満足そうだ。美緒が嬉しそうなら俺も嬉しかった。

 ――たぶん、これで正解なんだ。

 そう自分に言い聞かせながらも心のどこかに未練が残る。カレンダーを見て、「結婚記念日」の赤丸が近づいてくるのを見ると、奇妙に焦る。

 俺だってべつに過度のロマンチストじゃない。バラの花束に隠した指輪とか、夜景の見えるレストランで乾杯とか、クリスマスにはおしゃれなバーを貸し切ってお客は実はみんなフラッシュモブで、とか。そんなことを求めているわけじゃない。断じて。

 ただ、せめて、記念日くらいは。せめて最初の結婚記念日くらいは「二人だけの特別」を作ってみたいなと、思ったりするんだ。


 とはいえ、サプライズは厳禁だ。きっちり説明して二人で立てる計画でなければいけない。

 俺は仕事の休みを調整し、旅行会社のサイトを調べまくり、予算と日程と行き先候補を何パターンも比較検討した。そうして最終的に絞り込んだ候補をプリントアウトして、ある日の夕食後のテーブルでプレゼンする。

「美緒様。こちら結婚一周年記念の新婚旅行プランでございます」

「え?」

 東京から特急で三時間ほど。どこまでも続く青い海と断崖に立つ白い灯台。夕日が沈む岬の写真はまさにロマンチックの教科書だ。

 高すぎず安すぎもしない旅館あるいはホテル、どっちも露天風呂がついている。記念日ちょうどを含めた二泊三日。帰ってから慌ただしくならないように旅行自体は平日で、週末に帰宅する計画だ。

 美緒は「※すべてに目を通してから了承ならこちらにサインをお願いします」と、俺の手書きの注釈を見てちょっと噴き出した。


「変更したいところがあったら一緒に変えよう。余裕持たせてあるから」

「私の取り扱い説明書みたい、直紀……」

「だってほら、いきなり『結婚記念日だよ! 旅行しよう!』とか言ったら、ストレスで胃が痛くなるだろ」

「なるね」

 あっさり認めた。だけど美緒の表情は、予想していた「めんどくさい」や「困惑」ではなく、照れくさそうで、意外と楽しそうだった。

「こうやって一緒に計画立てるのは……結構、面白いかも」

「ほんと?」

「うん。へえ、このホテル露天風呂があるんだ。こっちの旅館は……ふふ、『※なお予算は直紀の新婚旅行へそくり貯金が用意してあります』って。そんなの貯めてたの」

 彼女は観光スポットをひとつひとつ丁寧に見て、「ここは行きたい」「これはパスかな」「このお土産屋さん、絶対混むから朝イチに回りたいね」「ここお義母さんが行ったことあるよ。おすすめって言ってた」など実務的にコメントしていく。


 どうやら、ちゃんと一緒に記念日を楽しめそうだ。美緒の顔を見ていてそう確信した。


 ***


 旅行当日、天気は予報通りの快晴だった。

 特急列車に乗り込む。窓の外を高層ビルの群れが流れ去り、やがて閑静な住宅街になり、さらに進むと視界が一気に開ける。遠くに見える海面が、陽の光を受けてきらきらと光っていた。

「わ、海だよ、直紀。ほんとに海だ」

「ほんとに海だね」

「パンフレットと同じだ!」

「なんかそれ褒めてないかも」

 そんなとりとめのない会話をしながら駅弁を半分こにして食べる。車内販売のコーヒーは、正直あまりおいしくはない。それでも二人で「味薄いね」と言い合いながら飲むと、会社の自販機の缶コーヒーよりも断然最高だ。


 目的の駅に着き、そこからバスに揺られてようやく辿り着いた宿は、写真で見たより幾分かこぢんまりとした旅館だった。ロビーからは海が見えない。しかし潮の匂いと畳の香りが混じった清冽な空気が非日常の始まりを告げていた。

「お待ちしておりました。結婚一周年のご記念に当館をお選びいただいて光栄です。ごゆっくり、お寛ぎくださいませ」

 女将さんにそう言われて、美緒が少し照れたように目を細めた。

「なんか、くすぐったいねー」

 記念とかお祝いとか、どう反応すれば正解か分からないんだって、前に言っていた。

「どう反応したって正解なんだよ。美緒が楽しんでくれたらそれでいいんだ」


 部屋に通されて、露天風呂の戸を開けて海を間近に見た瞬間、彼女は素直に歓声をあげた。

「すごい、ほんとに目の前! え、これ、最高じゃない?」

「最高です」

 心の中でガッツポーズを決める。俺の選択は、どうやら間違ってなかったらしい。


 夕飯は刺身の舟盛りに伊勢海老の焼き物に、なんたら牛の陶板焼きまでついた豪華なコースだった。普段の質素な食卓に慣れた俺たちはその量と見た目の迫力に若干引き気味になりつつも、軽食で済ませて腹を空かせていたおかげで最後までおいしく平らげた。

「はー、お腹はち切れそう……体重計に乗れなくなっちゃう」

「帰ったらしばらくカレーと納豆ご飯だな」

「あはは、贅沢のあとに節約が待ってるっていう、私たちっぽいね」

 最初の夜はただ平和で、のんびりと過ぎていった。


 ――最初の、夜は。


 二日目の朝、俺たちは観光ガイドブックに載っていた岬に向かった。断崖絶壁の上、水平線を貫くように白い灯台が立っている。夕陽が特に絶景だとかで「恋人たちの聖地」といかにもなキャッチコピーが目を引いた。

 恋人たちというには薹が立った夫婦だが、初心に返って、程度の気持ちでバスに揺られていた。

「岬かー。二時間ドラマでよく見るやつだね」

「崖の上で殴り合ったり、犯人が自白したりするやつな」

「そうそう。刑事さんと容疑者が、夕焼けの海に向かって叫ぶやつ」

「なんか昭和の青春ドラマ混じってない?」

「火曜サスペンス・ロードショー」

「混じってる混じってる」

 夕方になると混み合うようだが、朝の内は乗客もまばらで地元のご年配がちらほらいる程度。ほとんど貸し切り状態だったバスを降りると潮風が一気に強くなる。遊歩道の先に白い灯台が見えた。脇道にいくつかの看板が立っている。足元注意、強風注意、柵の外に身を乗り出さないでください――。


 俺たちは二人きりで遊歩道を歩きながら、時折立ち止まっては写真を撮った。平日の午前中を選んでよかった。

 そして灯台の手前、少し開けた展望スペースに出た時、美緒が言った。

「直紀、知ってる?」

「ん?」

「ここの岬で昔、殺人事件があったんだって」

 あつらえたように、ざざーん……と波の音がした。

「……へ?」

 柵の向こうの海を眺めながら、美緒は風に煽られた髪を押さえて片平なぎさのように呟いた。

「十何年か前だったかな……正確な年は忘れちゃった。崖の下で男性の遺体が見つかったの。警察は当初、事故だと見ていたわ。被害者は崖から転落して亡くなった。目撃者もなし。妻は『夫が写真を撮ろうとして足を滑らせた』と供述したけれど、後に被害者には多額の生命保険がかけられていたことが分かった……」

 なぜ今、そんな話をする? なんでそんな火曜サスペンス劇場みたいな芝居がかった口調で言うの?

「でも決定的な証拠は出なかった。警察も妻を追求することはできなかった。そして結局、その事件は未解決のまま」

 背筋に冷たいものが走った。そういえば先週、美緒から「保険の見直しをしておいたから、ここにハンコ押して」と言われて、内容もろくに見ずに捺印した書類があった。


 美緒が不意に俺を振り返る。

「……っていうのを、前にネットで読んだの。ね、もし本当に妻が殺したとしてさ。きっと長い時間をかけて準備してたはずで……」

 彼女がゆっくりと近づいてくる。殊更にゆっくりと。

「準備してる間、どんな気持ちだったんだろうね。隣で寝てる夫を見ながら」


 なんでそんな、なんで今そんなこと言うの? なんで新婚旅行でそんな話題チョイスなの? なにこれ、まさかの保険金殺人フラグ? 俺、殺されるの?

 特急が停まる大きな駅の近くのホテルじゃなくてバスを乗り継ぐ小さめの旅館がいいと美緒は言った。でもこの岬を勧めたのは俺だった。でも美緒もここに興味を持っていた。笑い飛ばそうとして、喉がうまく動かない。

「な、なんでそんな話を、今?」

「え? だってほら、ここ」

 そう言って美緒が展望台の隅にある小さな案内板を指した。

『この岬は数々のフィクションの舞台ともなっており、過去に起きた転落死亡事故をモチーフとしたミステリ作品も……』

 人気のデートスポットに不吉な噂が付き物なのはなぜだろう。吊り橋効果でも狙っているのだろうか。なるほど確かに“恋人たち”の聖地だ。もはや夫婦として地盤を固めているはずの俺たちには、必要ない。


「保険金殺人って、すごく冷静で実務的だよね。痴情のもつれよりも乾いてて、だからこそリアルっていうか。結婚って、そういう契約的な面もあるじゃん? 怖いけど、分かるような気もするなーって」

「全然、分かんなくていいからね?」

「もし私があなたを殺そうとしてるとしたらさ」

「待って待って待って、いらない、そのもしもいらない」

「直紀が言い出したことだし、長いこと計画してたし、お義母さんたちも知ってるし。誰も私がやったとは思わないんだろうなって……ちょっと想像しちゃうんだよね」

 さらっと、なんかとんでもないことを言う。


 風が強くなった。俺は無意識に後退って柵から離れていた。

 ここで変に動揺したら馬鹿みたいだ。そう思いながらも脳裏には妙に具体的なイメージが浮かんでしまう。

 保険の担当者と会って、実は俺に内緒で契約書にサインしている美緒。スーパーで買い物しながら「この人、あと何回この納豆を食べるんだろう」なんて冷静に数えている美緒。一緒に布団に入っている時、隣で計画に不備がないかと考えている美緒。

 だめだ、やめろ、想像するな俺。

 彼女の頬にかかる髪が、風でふわりと持ち上がる。細い体。いつも俺の腕の中で安心したように寝息を立てる彼女。

 美緒が、もし――


 俺の熱視線に気づいて美緒が微笑む。その笑顔がいつも通りに見えるのが、逆に怖い。

「直紀、写真撮ってあげよっか。海をバックにして」

「いい! 大丈夫! 次の予定に行きましょう!」

「なんで敬語?」

 それから美緒は、やたらと不穏な空気を醸し始めた。いや、俺が過剰反応しているだけだと自分に言い聞かせる。


 昼食に入った食堂で、定食のコロッケにフォークを突き刺しながら。

「昔のメロドラマでさ、夫への憎しみに染まった妻がコロッケの代わりにタワシを出すシーンがあったよね」

 それって未亡人になった女性が男を破滅させる妖婦になるドラマだろ。

 夜に宿の露天風呂に二人で浸かっている時、星空を見ながら。

「もし私があなたを殺すとしたらさ。ここで溺れさせるより、崖から落とすほうが事故っぽいかなあ」

 夕方に酒蔵巡りをした酔いが残ってる。ここで溺れたって、みんな「結構飲んでたからね」と証言するはずだ。


 なんだこの新婚旅行。


 翌日の朝食を運んできてくれた仲居さんが笑顔で言う。

「本日お帰りですか。二泊、あっという間でしたね」

「ごはんもおいしかったし、最高でした」

 美緒はにこにこと答えたあと、ふと俺を見てさらりと付け足した。

「……まだ無事に帰れるかは分からないですけどね」

「やめなさい」

 仲居さんが一瞬だけ固まったじゃないか。すぐに笑顔を取り戻すのがさすがのプロフェッショナルだった。


 なんだこの新婚旅行。なんなんだこの妻は。新婚一年目にして殺されるかもしれないスリルを味わわされている夫って、世の中にどれくらいいるんだろう。

 正直ちょっとだけ怖かった。でもそれと同時に別の感情も芽生えていた。

 ――美緒は、楽しそうだ。目がきらきらして、いつも以上に生き生きして、肌はつやつやして。

 ああ、こいつ今、すごく非日常を楽しんでるんだ。

 そう気づいたら、それだけでいいと思った。もし美咲が本当に俺を殺そうとしているならそれでもいい。美緒の心からはしゃいでる姿をたくさん堪能したし。この旅行をやり遂げてからなら、愛する妻になら、殺されてもいい。


 ***


 最終日、帰りのバスに乗る前に、もう一度だけあの岬に寄った。

「え、また行くの?」

「二回目くるって機会もなさそうだし、せっかくだから」

 本当の理由は、自分でもよく分からなかった。あの不穏な会話だけで終わらせるのはもったいない気がしたのかもしれない。やっぱり写真を撮りたかったのかもしれない。本当に美緒が俺を殺そうとしてるなら、その機会を贈りたかったのかもしれない。


 昨日と同じ遊歩道を美緒と手を繋いで歩く。太陽の位置が少し違うだけでも景色の印象はずいぶん変わる。海が昨日よりも明るく見えた。

 展望スペースまでくる。柵の向こうには、相変わらずの断崖絶壁。

「美緒、やっぱり写真撮ってよ」

 俺のスマホを受け取って、カメラを起動した美緒は俺の腕をとって、自撮りモードでツーショット写真を撮ってくれた。写真の中の俺は人生で一番の笑顔を浮かべていた。


 俺にスマホを返すと、美緒はバッグの中に手を入れた。

「……直紀」

「はい」

 そして彼女が突き出したのは、凶器ではなかった。綺麗にラッピングされた小さな箱だった。

「はい?」

 俺が呆然としていると、美緒は少し照れくさそうに「結婚一周年記念へそくり貯金で買ったの」と微笑んだ。そんなの、貯めてたのか……。

「私からの“サプライズ”。あなたがずっと欲しがってたヴィンテージの時計よ」

 俺は腰が抜けそうになりながら、箱を受け取った。


「ドキドキした?」

「へ? ど、どういう意味」

「直紀って、ほんとはロマンチックなサプライズとか好きでしょ」

「うっ」

 図星すぎて言葉に詰まる。

 ああ、そうだ。俺は彼女がサプライズ嫌いだから自分の演出欲を抑えてきた。でも本当は誰かを、とりわけ愛する人を驚かせて喜ばせたいという気持ちが、たぶん人一倍強いほうだと思う。

 バラの花束に隠した指輪とか、夜景の見えるレストランで乾杯とか、クリスマスにはおしゃれなバーを貸し切ってお客は実はみんなフラッシュモブで、とか。本音ではとてもやってみたかった。

 俺が美緒を理解してるように、彼女も俺を分かってくれていたようだ。


「だからね、今回は私が頑張ってみちゃった。直紀をドキドキさせたくって」

「…………」

 うん。俺が求めてるのは、そういう“ドキドキ”じゃなかったんだけど。

「私さ、サプライズとか、正直言うとやっぱりあんまり得意じゃないな。驚くのって、つまり心の準備ができてないってことだし。でも……ハッピーエンドって分かってるなら、“サスペンス”は楽しめるでしょ? 安全なスリルは楽しいもの」

 この旅行中、ずっと心拍数は高めだった。彼女の不穏な一言一言にいちいち振り回されて、妙な想像までしてしまった。それらすべてを含めて一生忘れない旅行になったのは間違いない。


「ドキドキしたよ」

「ほんと? やったー」

「もっとこう、キャンドルとか花火とか、そういう方向性のドキドキが良かったけどね。正直言うと」

「だよねー、あはは」

 美緒があっけらかんと笑うから、俺も笑ってしまった。

「私、ロマンチック偏差値すごく低いからさ。いきなりは無理かなって。だから今回はサスペンス偏差値のほうを上げてみました」

「もう上げないでいいよ、その数値」

「次までにもうちょっとロマンチック勉強しとくね」

「テキストとかあるの、それ?」

「とりあえず二時間サスペンスだけじゃなくてラブコメも観る」

「勉強方法が独特だな」


 そんなやりとりをしながら、ふと気づいた。

 次までに、か。次があるんだ。美緒はいつも先々までちゃんと計画を立てる。そこに、当たり前の顔をして俺が組み込まれている。

「……美緒、ありがとう。サプライズプレゼント、すごい嬉しい」

「うん。どういたしまして」

 美緒は、ふわりと微笑んだ。


 柵の向こうには、相変わらず深い海と断崖が広がっている。保険金殺人の代わりに浮かぶのは、来年も、その次の年も、そのまた先も。同じような日常を少し変化しながら一緒に過ごしていく、二人の未来のイメージだった。

「直紀。来年の結婚記念日は、あなたがこっそり全部計画して、サプライズしてよ」

「それサプライズになるの?」

「なるよ。ドキドキしながら待ってるから」

 びっくりするのは確かに苦手だけど、と美緒は唇を尖らせながら続ける。

「そりゃちょっと機嫌悪くしたりはするかもしれないけど。直紀のやることだから、私を喜ばせたくてやってるんだって分かってるし。私はその気持ちを嬉しいって思うよ」

 だからあなたのサプライズなら嬉しいよ、と。

「……もし気に入らなくても、保険金かけて殺さないでね」

「それはー、考えとく」

「考えないで。断言して」


 帰りのバスの時間が近づいていた。

「そろそろ行こっか」

「うん。……まだ、無事に帰れるかは分からないけどね、私たち」

「最後まで貫くんだ、そのキャラ」

 俺たちは笑いながら岬をあとにする。サスペンスフルな新婚旅行は、こうして穏やかなハッピーエンドを迎えたのだった。

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