第七章 時の重なり
炎は、すでに夜空の半分を覆っていた。
屋根から屋根へ火が飛び、赤い火の粉が風に乗って流れていく。日本橋の上から見ても、その勢いが分かるほどだった。江戸の町は、巨大な火の海に飲み込まれようとしている。
悠人は、その光景を見ながら言葉を失っていた。
火はただ燃えているのではない。
町の形そのものを変えていた。
火の粉が屋根へ落ちる。
家が燃える。
建物が崩れる。
そしてそのあとには、空白が生まれる。
都市が、焼き直されている。
その光景を見ながら、悠人は胸の奥で理解していた。
都市とは、完成するものではない。
何度も壊れ、何度も作り直されるものだ。
江戸も、そうやって続いてきた。
巫女は静かに言った。
「見えますか」
悠人は炎の向こうを見た。
最初は煙だった。
だが違う。
煙の奥に、別の光があった。
白い光だった。
江戸の灯籠の光とは違う。
もっと強く、もっと遠くまで広がる光。
悠人の胸が強く打った。
「……あれは」
巫女はうなずいた。
炎の向こうに、赤い塔が立っていた。
東京タワー
悠人は息を呑んだ。
江戸の空に、東京が見えている。
高い建物の灯り。
車のライト。
街灯の光。
現代の都市が、炎の向こうに重なっていた。
「どうして……」
悠人はつぶやいた。
巫女は静かに言った。
「時間がほどけているからです」
「時間が……」
「江戸と東京は」
巫女は空を見上げた。
「同じ町です」
悠人はその言葉の意味を、ゆっくり理解し始めていた。
江戸は消えない。
形を変える。
名前を変える。
江戸は東京になる。
つまり、この二つの都市は別のものではない。
同じ町の、違う時間なのだ。
巫女は続けた。
「この門は」
芝の方角を見た。
「境目です」
そこには
増上寺
そして
三解脱門
がある。
「町と町の境目」
「人と神の境目」
そして巫女は言った。
「時の境目です」
悠人は炎の空を見た。
江戸が燃えている。
だが、その炎の向こうには未来の東京がある。
「あなたは」
巫女は言った。
「戻る人です」
悠人は聞いた。
「戻れるんですか」
巫女はうなずいた。
「門が開いているあいだなら」
遠くで鐘の音がした。
ゴーン……
低い音だった。
増上寺の鐘だった。
江戸にも、東京にも響く音。
巫女は言った。
「時間が閉じます」
風が吹いた。
煙が流れる。
東京の光が少しずつ遠ざかる。
江戸の炎も、ゆっくり薄れていく。
巫女は悠人を見た。
「あなたは」
「この町を覚えています」
悠人はうなずいた。
江戸の町。
団子屋。
火消し。
日本橋。
炎の夜。
そのすべてが胸の中に残っている。
巫女は言った。
「それでいいのです」
悠人は聞いた。
「あなたは……誰なんです」
巫女は少しだけ微笑んだ。
「町の守り手です」
それだけ言った。
悠人は理解した。
彼女は、人ではない。
江戸という都市の記憶。
町の魂。
その姿だった。
巫女は芝の丘を指した。
「行きましょう」
二人は歩き始めた。
坂を上る。
背後では江戸の町が燃えている。
だが、その炎も少しずつ遠くなっていく。
やがて丘の上へ出た。
門が立っていた。
巨大な門。
三解脱門
その向こうに、東京の夜が見えていた。
悠人は振り返った。
江戸の町。
炎。
煙。
人々。
すべてが遠ざかっていく。
巫女は静かに言った。
「町を忘れないでください」
悠人はうなずいた。
そして門をくぐった。




