ギャルと夢
それは、僕がまだ「自分」という存在がはっきりしていなかった頃のこと。
親に連れられて、夏の間だけ田舎の祖母の家に滞在していた。
そこは、町の喧騒も、ビルの影もない、緑に囲まれた世界だった。
土の匂い、虫の声、縁側の木の感触――
すべてが、今の僕にとっては懐かしいものばかりだ。
でも、そのときの僕はただ、不安だった。
親も忙しく、祖母も用事で出かけ、ひとりきりでぽつんと家に残された、初めての午後。
「……しーんとしてる……」
何をすればいいのか分からず、居間にぽつんと座っていた。
そのとき――
「ねえ、お兄ちゃん」
不意に、声がした。
声のするほうを向くと、ふすまの隙間から、ひょこっと顔を出した誰かがいた。
「……え?」
髪は、明るい茶色でふわふわ。
服は古めかしい浴衣だけど、そこだけ色が鮮やかに見えた。
年のころは僕と同じか、ちょっと上くらいだろうか。
「……お兄ちゃん、さっきからずっと黙ってるから、つまんないの」
その子は、少しだけふてくされたように言った。
だけどすぐに、にこっと笑って、縁側にちょこんと座った。
「わたし、ウメコ。ここの……えっと、なんだろ。うーん、見守り係?」
なんだそれと思ったが、当時の僕はうまく言葉にできなかった。
ただ、はっきりと分かったのは――
その子は、僕にしか見えていなかったということ。
親に「さっきの子は?」と聞いても、祖母に「ウメコっていう子がいた」と言っても、誰も知らないと言う。
でも僕にとっては、たしかに“そこにいた”。
それからの滞在中、ウメコは毎日、どこからともなく現れた。
「いっしょに虫探そう」
「縁側でスイカ食べよう」
「花火、やろうよ」
時には姉のように手を引いて、
時には友達のように笑って、
時には、黙って隣にいてくれた。
そして僕が帰る日、玄関先でぽつんと立っていたウメコが言った言葉を、今でも覚えている。
「また、来てくれる?」
笑っていたけど、目が少し赤かった。
「来るよ」
そう僕は答えた。根拠もなく、ただ、そう言わなきゃいけない気がして。
ウメコはうれしそうに笑って、
「じゃあ、またここで待ってるね」と言った。
――その記憶は、まるで夢のようで。
しばらくの間、僕もそれを「ただの空想だったのかも」と思っていた。
でも今、また彼女とこうして過ごしている。
あのときの小さな約束は、
ウメコの中で、ずっと守られていたのだ。
彼女は、ずっと――
僕の“帰り”を待っていた。