今日でお別れ5
律子はOL。そして粗忽者。
昨日もうっかり発言で、同僚の香が鬼刑事のように問い詰めて来たが、惚け捲って何とか誤魔化した。
と言うより、律子のあからさまなボケに、香が呆れてしまったのであったが。
そして今日は、香の代わりに真弓に詰め寄られていた。
「律子、昨日のあれ、何のつもり?」
真弓は香と違い、何か慌てた様子だ。
「見たの、もしかして?」
小声で尋ねて来る。律子が逆に驚く。
「な、何をよ?」
ボケではなく、本当に知らないので尋ね返す。
「あんた、私が藤崎君のお見舞いに行った事、知ってるんでしょ?」
「お見舞い?」
え? 藤崎君、病気?
「課長には連絡入れたみたいだったけど……。彼、高熱で魘されてたのよ」
真弓の言葉は妙に言い訳がましかった。
「藤崎君が病気だなんて知らなかったよ。もちろん、真弓がお見舞いに行ったなんて思わなかったし」
「じゃあ、どうして昨日あんな事言ったのよ?」
当然の疑問だ。でも、真相を話すと、香を巻き込んでしまうので、言えない。
あ。疑問が湧いた。
「あのさ、真弓」
「何?」
真弓は、律子の言葉に一々ギクッとしている。
「藤崎君、高熱で魘されてたのよね?」
「そうよ」
「あんた、どうやって藤崎君の部屋に入ったのよ?」
律子はしてやったりの「どや顔」で尋ねた。真弓の顔が見る見るうちに蒼ざめる。
よし、これで形勢逆転。律子はニヤッとした。
「そ、それは……」
何とか誤魔化したい真弓だったが、いい切り返しが思いつかない。
「それから、どうして藤崎君が寝込んでるって知ってたの?」
「……」
真弓は項垂れている。これ以上問い詰めるのはまずいと律子は思った。
「また後で」
律子は仕事に取り掛かった。真弓はホッとして自分の席に戻る。
(それにしても、真弓の奴、どうやって藤崎君の事を?)
真弓がお泊りしたのは事実だ。でもそれは、香と律子が想像したような事ではなかった。
多分、彼女は藤崎君を一晩中看病していたのだろう。
だから、服が一緒だった。
どちらにしても、何とも羨ましい話。律子は早速藤崎君のアパートに行く事にした。
待てよ? 真弓もまた行く? バッティングはまずい。
私が藤崎君と付き合っているのは、秘密なんだから。
あ! また思いついた。
真弓が、もし仮に藤崎君の看病をしていたのだとしても、あれほど慌てたりするのは不自然だ。
名探偵律子が「ねずみ色」の脳細胞をフル回転させる。
藤崎君の具合が悪くなった時、真弓がそばに居合わせた。
その場所が、真弓にとって知られたくない所。
わわ。それって、もしかして、ホテル?
律子は一人で興奮して来た。
仕事どころではなくなって来た。
律子は藤崎君と付き合っているとは言え、ホテルには行っていない。
まだキスして……。それはまあ、置いといて。
もう、藤崎君、どうして私に連絡くれないのよ?
今度は悲しくなって来た。
「は!」
気がつくと泣いていた。隣の席の新人女子が驚いて律子を見ている。
「先輩、どうしたんですか?」
「ああ、ごめん、何でもない。昨日見た映画を思い出して泣いちゃった」
うまく惚けたつもりだったが、新人女子は不審そうに仕事に戻った。
いかん、いかん! 今は仕事に集中!
律子は妄想を振り払い、書類に目を向けた。
そしてお昼休み。
あまり仕事をした気がしない。
「律子」
今度は鬼刑事香が来た。
「今日はお弁当?」
「ううん、社食にしようと思ってる」
「じゃ、一緒に食べようか」
何か怖い。昨日の続きの尋問だろうか? 律子は連行される容疑者のように香について行った。
「ねえ、朝、真弓と話してたみたいだけど、何?」
う。そっちか。律子は苦笑いして、
「あれえ、何だっけ。私、最近物忘れが激しくてさあ」
香の視線が冷たい。でも律子はそのまま押し切ろうと思った。
この様子では、香も藤崎君が寝込んでいたのを知らないのだ。
絶対に知られてはいけない。
「まあ、いいわ。プライベートな事なら、私が質問するのもおかしな話だから」
今日は香が鬼刑事モードにはならなくてホッとする律子。
「それよりさ」
香は声をひそめた。
「何?」
律子も声をひそめる。
「藤崎君、今日も来ていないでしょ? どうしたのかしら?」
え? 香、本当に知らないの? 藤崎君て、結構いい加減?
「課長が知ってるんじゃないの? 無断欠勤なら、一番に怒り出すはずなのに、何も言わないでしょ?」
「あ、そうか」
香の反応を見る限り、彼女は本当に知らないようだ。
(私の思い違いだったのかな?)
藤崎君の本命は香だと思っていたのだが、真弓だったのか?
だとしたら、香が可哀相だ。
自分が可哀相なのはすぐに忘れる律子であった。
そしてお昼休みが終わり、仕事に戻る。
「課長」
午後は会議だと言っていた平井課長を呼び止めた香。
「どうした、香君?」
課長は時計を見ながら言った。
「藤崎さん、お休みですか?」
「ああ、そうだよ。あれ、言ってなかったかな?」
「ええ、聞いてませんが」
香の答えに、何故か課長は妙に焦ったようだ。
「あ、そ、そうか。いや、忘れてたのかな。そうなんだよ、熱が下がらないので、二、三日休ませて下さいと連絡があった」
「そうですか。ありがとうございました」
課長はまるで逃げるようにフロアを出て行った。
その不自然さに気づいたのは、名探偵律子だ。
鬼刑事香は、藤崎君が寝込んでいる事に驚き、自分に連絡をくれない事に悲しみを感じているのか、課長の行動の不自然さに気づいていないようだ。
律子は推理した。
何故課長は慌てたのか?
むむむ? わからない。慌てていたのは事実だが、理由は皆目見当がつかない。
何故課長は慌てていたのか?
これは律子の人生で三番目くらいの謎だった。
よし、重要参考人に訊こう。
そう思って真弓の席を見ると、姿がない。
「あれ、真弓は?」
「真弓先輩なら、お昼で早退しましたよ」
新入社員の須坂君が教えてくれた。
ええ? 逃げたか、重要参考人は。
それよりも。
「……」
香を見ると、とても悲しそうな顔で席に着いていた。
(ショックだろうなあ、藤崎君の事)
ああ! もしかして重要参考人は、またしても藤崎君のところに行ったのか?
真弓の奴!
そして思い出す。
あれ? そう言えば、真弓はどうして藤崎君の部屋に入れたの?
合鍵を持ってるの? 私は渡されてないのに!
改めて気づく。自分は本命ではないのだと。
悲しみがこみ上げて来る律子。
そして。
「今日は行くとこがあるから」
香は暗い表情で帰って行った。
元気づけてあげようと声をかけたのだが、そんな心境ではなかったようだ。
律子は、藤崎君の事を思い出して、行ってみる事にした。
もし、真弓がいたら、それはその時の事だ。
律子が降りる駅の一つ手前が、藤崎君のアパートがある町だ。
何故かドキドキして来た。
この角を曲がると、アパートが見えて来る。
ああ!
曲がったら、見えて来たのは、アパートと香の後ろ姿。
(うわあ。香かあ)
真弓なら、構わずに行ってしまえばいいが、香だと話が違って来る。
律子は藤崎君に会うのを諦め、回れ右をした。
(香、くれぐれも修羅場にならないでね)
律子はそう思い、駅へと向かった。
「ふう」
思わず溜息を吐く。
「ああ!」
いきなり大声を出して、周囲の視線を一斉に受ける。
電車を乗り間違えた。また会社に向かってどうするのよ、全く!
我ながらオッチョコチョイ過ぎると思う律子。
次の駅で降り、反対のホームに行く。
「あれ?」
平井課長だ。どうしてこの駅で降りるのだろう?
課長が住んでいるのは、律子の降りる駅より二つ先の駅なのに。
そして律子は驚愕の事実を知ることになる。
「ええ!?」
目を疑った。課長の後ろから、真弓が歩いて来たのだ。
二人は律子に見られている事には気づいておらず、そのまま改札を通って出て行った。
(この駅、真弓が降りる駅でもない)
答えは一つしかない。考えたくないが、不倫。
謎は全て解けた。昔読んだ漫画の名セリフが頭に浮かぶ律子。
真弓と課長なんて、全然結びつかなかったけど。
どうしよう、明日。
普通に二人と接する事ができるだろうか?
不安な律子だった。