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「アイ、改めてさっきはありがとう。私、あのまま死ぬんじゃないかってすごく怖かった。だから助けてくれて涙が出そうなほど嬉しかったんだ」
隣に腰掛けるアイの吐息を感じながら、私はびっくりするほど素直に自分の感情が溢れ出していた。私は、怖かったんだ。美雪に足を引っ張られて、足が動かなくなって。生まれて初めて溺れる経験をして。このまま空気が吸えなくなるんじゃないかって、本当に怖かった。
「どういたしまして。でも本当は自分もさ、すごい怖かった。助けられなかったらどうしようって、一瞬頭をよぎったんだ」
アイは、私の方を見ずに、保健室の窓の外を眺めていた。体育の授業でサッカーをしている生徒が、あちらこちらへと駆け回る。「そっちパス!」「ナイス!」などという微笑ましい掛け声が聞こえてきて、私は泣きそうになった。
私に優しい声をかけてくれるのはきっと、後にも先にもアイだけだ。
アイだけが、私を孤独の海から引っ張り上げてくれる。
「そっか。怖かったのに、助けてくれて本当にありがとう。アイのおかげで、私は今生きてる」
大袈裟かもしれないけれど、あのまま溺れていたら命だって危なかったかもしれない。
そう思うと、アイはただの友達ではなくて、私の命の恩人だった。
「……助けられなかったことが、あるんだ」
「え?」
アイの囁くような声に、後悔の色が滲んでいる。
驚いて見たアイの横顔は、あの美しい瞳に鈍色の光を宿す。
「両親が、事故で死んで。自分が、大雨の日に喧嘩して家を飛び出して。一級河川がある町に住んでたんだ。雨で川が氾濫していて、大雨洪水警報がずっと鳴り止まなかった。そんな日に家を飛び出した自分は、川に流されかけた。あとで追いかけてきて自分を助けてくれた両親が、身代わりになって流された。自分は無我夢中で両親を助けようとしたけど、手が届かなくて……そのまま。それから親戚の家に引き取られて、この学校に転校してきたんだよ」
アイの心を巣食う大きな後悔の塊が、一気に吐き出される。
まさか……まさかそんな。
アイが、ご両親を失っていたなんて。
強くて、綺麗で、いつも凛としているアイ。
みんなの憧れで、性別問わず告白され続けるアイ。
そんなアイに、これほどまでに壮絶な過去があるなんて、知らなかった。
私は、震えているアイの身体にそっと触れて、ぎゅっと抱きしめた。アイの身体がぴくりと反応する。驚いているのだろうということはすぐにわかった。心臓がバクバクして止まらない。こんなこと、今まで一度だってしたことがない。恥ずかしい気持ちはあったけれど、それ以上にアイの心を少しでも慰めたかった。
「彩葉……」
アイが、私を求めるように、胸の前に回された私の腕をぎゅっと握る。
アイと初めて、繋がれた瞬間だった。
「ねえ、アイ。辛かったね……。でも、アイは強いよ。そんなに大変なことがあったのに、いつもきらきら輝いてる。私は……空っぽだった私は、アイと出会って、毎日心が満たされてくんだよ」
アイが息をのむ音が、アイの身体の中で脈打つ心臓の音が、私にはすべてはっきりと聞こえていた。アイの身体は温かくて、晴れた日に干したばかりのお布団みたいだと思った。
私はしばらく、お互いの体温を感じながら、無言の時を過ごした。
言葉はなかったけれど、決して気まずくはない。
ふたりぼっちで胸がぎゅっと締め付けられそう。普通の女子高生と同じ趣味を持たない自分が、こんなふうに誰かと心を通わせられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
私は、アイの身体からそっと自分の身体を離し、最初みたいに隣に腰を下ろした。
「アイ、一個聞いていい?」
「なに?」
「アイはどうして自分のことを『自分』って言うの?」
私は、アイが転校してきてからずっと気になっていたことを聞いた。
「ああ、それは、ちょっと込み入った話になるんだけど……。自分には恋愛感情がないんだ」
「え?」
一人称の話を聞いたのに、アイの口から突如恋愛感情がないという言葉が出てきて、私は目を丸くする。
「恋愛感情がない……異性を、好きにならないってこと?」