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ワイルドハントと太陽  作者: 木桶 晴
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4. 鏡像と自己

「これで76番を頼む」


 銀色の特注のコイン。2枚は表、3枚は裏、2枚は手の中に表裏で差し出す。


「了解、奥どうぞ」


 賑やかな夜の酒場の、静かで薄暗い奥に歩いていく。少しは緊張するが、あの地獄よりはずっと――――ずっとマシだ。


「来たか」


「要件は?」


 この爺さんはいいのだが、隣の女は誰だろうか。愛人か何かかなのか。いや、それにしてはみすぼらしいものだ。


「コイツを連れて行ってくれ。私は帰る。あとはゆっくりしていけばいい」


 老人とは思えない動きで、みるみるうちに目の前から歩き去っていく。店のフロントに出ていくのを見送ってから少しして、食事代が机に置いてあるのに気がついた。


「あんの野郎ぉ」


 ボロボロの衣服の少女と中年一人。どうしたものか、と頭を抱えた。




「……居場所? 居場所と言いましたか?」


「ああ。お嬢さんはまだ若いし、俺の――――


「そんなものあるわけないでしょうっ!」


 ああ、そうか。この娘も『失った者』で


「こんな……こんな世界のどこに……っ!」


俺達と同じなのだ。


「……お嬢さん。聞いてくれ」


「言葉が家でも建ててくれるんですの!? もうたくさんだわ! もういいから黙ってい―――――


「聞いてくれ」


 真っ直ぐに、彼女の目を見つめる。振り乱した黒髪の中に光る、落ち着いた色の青い目は、それでも燃えるような怒りに涙を流していた。




 彼女は冷たいような、それでいて怒りを帯びているような顔で闘う。ナイフをその衝動のまま握り腕を断つほどに振りぬいて、それでもなお相手を殺そうと飛びかかる姿は、何かの猛獣を思わせた。

 衝動なのか、不安や警戒心の表れなのか。たた、彼女が何か、心の中に混沌とした何かを飼っていて、普段はそれを檻に押し込めていることだけが確かだった。人間誰しもが抱えている何かが肥大して、彼女の身を滅ぼそうとしているのだ。




「結局、あなたはなんのために殺しをしているんです?」


 ふと、彼女が問うた疑問は心の池に間抜けな音を発して落ち、小さなさざ波を作った。

 この空き家の裏にあった小さな畑。その土を少しだけ耕して柔らかくして、疲れて二人で荒れた芝生に横たわっている。

 眩しい秋の日差しが目に差し込んで、それを防ぐべく二人は腕で目を覆う。


「そうさなぁ」


 今の今まで深く考えてこなかった疑問の答えには、大きく遠くに見える大義が用意されている。実際、やっていることはこの原理に沿っているだろう。


「この国は、戦争に向かっているだろう」


「まあ、そうですわね。まさか、政府の中枢に軍が入り込んでいるとは思いませんでした。だからこそわたくしは自分の居場所を作るために、反乱分子として今こうするしかないわけですし」


「……それを止めたいからだな」


 シャーロットは、少しだけ納得のいかないように眉間に小さく力を込める。目を閉じていたせいか寝起きのような瞳が、じろりとこちらに向いた。


「聞き方が悪かったですわね。なぜ殺しをするのです」


「それはどう違うんだ」


 はあ、と彼女は一つため息をついた。瞳に続いて、上体がぐりんとこちらに向き直る。

 彼女は世間知らずなようでいて、ものをよく考え、知らないことを放置したくない人間性のようだ。


「さっきのは殺しの目的です。それに組織としての目的ではありませんか。わたくしが知りたいのは、こういうことを始めた動機です。もっとこう……感情的な原点というか……」


 感情的な理由。それは、間違いなくあの戦争の記憶に由来するものだろう。

 ――――もう正直、明確なきっかけなんて思い出せなくなっている。それとも、考えようともしていないのかもしれない。考える必要もない、とも。あの長い戦争と今が、どうしても切り離せない。


「あぁー……」


 戦中と戦後、なんていう区切りがあるのはわかる。だが、どうしてもわからない。

 戦争は終わった。文字で読むから本の内容が理解できるわけではないのと同じように、その言葉が頭から、体から流れ出て、あの毎日の強烈な生存本能と、鬱屈とした現状と、身体を引き裂きたくなるような悲痛や悔恨とが今を侵食していく。


「戦争を終わらせてえんだ」


 彼女の怪訝な顔を見て、自分がもはや今を生きる人間でなくなったこと、過去を生きる亡霊であるということが、深々と心臓に刺さって抜けなくなっていることに気がついた。


「戦争は終わっています」


「違う。次の戦争がある限り終わらん」


 あの犠牲が報われる日が、平和がいつの日かと、あの塹壕を彷徨っている。ああ、もう俺という人間は死んでいるのだ。


「同じですね。……わたくしと。過去に囚われてる。だから、本名で反戦派の殺し屋などをしているのでしょう?」


 ああ、そうなんだろう。俺達は似た者同士だ。過去に妄執し、激情に駆られ、昔と変わらず。


 だが、何か違う。

 俺は真新しい鏡を見ている。新しい鏡。色々なものがはっきりと映って……痛いくらいに。自分と同じ、はっきりとした像が映る。それを見て、過去を嘆く。

 彼女は、


彼女は――――


「違うさ」

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