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21.こんな幸せがあってもいい〜ニュート視点〜

13歳になった僕は明日、生まれ育った屋敷から出ていく。

王都にある学園に入学するにあたって入寮するからだ。通う事も出来る距離だが『若いうちにしか出来ない経験もあるから』という両親の勧めもあって屋敷から離れることを自分で決めた。


荷物は先に寮へ送ってあるので自分の部屋が随分と広く感じる。なんだか自分の部屋じゃないみたいだと思っていると扉を丁寧に叩く音がする。



トントンッ…。



『どうぞ』と返事をすると執事のトーマスが部屋に入って来て『ニュート様、なにかお手伝いすることはございますか?』と訊ねてくる。


執事である彼がわざわざ荷造りをする必要はない、きっと別れの挨拶をしに来てくれたんだろう。


彼は僕が生まれる前からライナー伯爵家に仕えている。

少し特殊な環境で育った僕のことをずっと見守ってきてくれた、家族のような大切な存在だ。


「大丈夫だよ、もうすべて済んでいるから。そんな事を言いに来たわけではないだろう?」


僕が明るい口調でそう言うとトーマスは『ニュート様はなんでもお見通しですね』と少し寂しげな笑顔を浮かべる。


「明日からこのお屋敷も寂しくなります。旅立ちは嬉しいことだと理解していますが、やはりこの老いぼれにはニュート様の不在は堪えます。こんなことを言ってしまい申し訳ございません。明日は笑顔でお見送りいたしますのでどうかお許しください」


彼はまるで孫を見るような温かい眼差しを向けてくれる。


「トーマス、ありがとう。でも遠くに行くわけでもないし、週末は屋敷に帰ってくるつもりだから」


何気なく言った僕の言葉に彼はすぐに反応する。


「やはり心配でございますか…?」


彼が何を言いたいのかはその言葉だけで十分だった。僕の母のことを指しているのだ。母はいろいろあって…普通とはちょっと違うから。



「いいや、心配なんてしていないよ。ここは僕の家でみんなの顔を見たいから帰ってくるだけだから」


この言葉に深い意味はないけど、トーマスはそう思っていないようだ。『奥様のことは私達にお任せください、大丈夫ですから』と僕に告げてくる。




みんな母のことを心配している、それは大切に思っているから。だけど僕はみんなとは少し違う。

大切に思っていないわけじゃない、母のことは誰よりも愛していると胸を張って言える。

ただみんなが知っている昔の母を僕は知らない。

僕にとっての母は、最初から普通ではない状態の母だった。



『自分のことを叔母であるシャナと思い込んでいる可哀想な人』が母であるニーナ・ライナーだった。


どうしてそうなったのか父は自分の罪も含め隠すことなく僕に話してくれていた。


最初はシャナだと思い込む母を元の母に戻そうとしたらしい。だがそれは母にとって受け入れ難いことで、…命の危険すらあったのだという。

だから苦渋の決断だったけど、母の心に寄り添い守る道を選んだ。


父も祖父母も屋敷の者達もみんなで母の心を守っている、なによりも生きていて欲しいから。


それぞれがいろいろな思いを抱えながらも、それを母には悟られないようにしている。

それは間違っていないと思うけど…。



僕は母が可哀相だとは思っていない。


 ほら、母上を見てよ。

 笑っているじゃないか、あんなに。

 あれは嘘なんかじゃないよっ、絶対に!



僕は母のことをみんなのように心配してはいない。


「僕は今の母上しか知らない。そして僕から見たら母上は不幸には見えないんだ。少し混乱する時もあるけれども、そんな時は父上が寄り添ってくれる。惜しむことなく言葉を紡いでいる父上に抱き寄せられ母上は凄く幸せそうに微笑んでいる。あれは心からのものだよ、僕には分かるんだ。ずっと近くで見てきたんだから」


僕は自分の感じたままを正直に口にする。


「ですが奥様は本当の御自分を失っています。本来ならもっとお幸せだったはずでした、シャナ・ブラウンさえいなかったら。そして私を含め誰かが奥様の変化に気づいていれば…」


そう言うトーマスの表情にはとても辛そうだ。

誰もが後悔をしている。父も苦しそうな顔で『ニーナがこうなったのは全て私のせいなんだ、すまないニュート…』と僕に謝り続けている。


後悔する気持ちも分かる、でもそれで見えなくなっていることもあると思う。


「人ってさ、ずっと同じなんて有りえないでしょ?今日の僕と明日の僕は違うし、十年後なんてどう変わっているか想像もつかないよ。それは母上だって同じ。確かにニーナであることをやめて、自分がシャナだと思い込んでいる。それは普通じゃないことだし、昔の母上を知っているからこそ『あの時に…』て考えてしまうんだよね。でも母上がニーナのままだったとしても、母上は昔とは違っていたと思う。どんなふうになんて分からないけど、同じではないよね、きっと」


トーマスは黙ったまま話を聞いてくれているけど、まだ辛そうな顔をしている。


言いたいことが上手く言葉に出来ない、もどかしくて仕方がない。

でもちゃんと言っておきたかった。


「うーん、なんて言えばいいのかな。ごめんねトーマス、変な説明で…。とにかく普通じゃないといけないって誰が決めたの?僕から見れば、どんな母上も母上だ。これから先どう変わろうとそれは変わらない。

名がどうであろうと、僕を愛してくれている。惜しみなく愛情を注いでくれている。

母上が自分をどう思おうと、母上の心は母上のままだよ。シャナっていう人にはなっていない。普通ではないけど、それでも僕は今の母上を否定しない。だって幸せそうだもん、それに僕は母上が大好きだから。

こんなこと言えるのは、きっと僕が普通を知らないからかもしれないけど…。

生意気を言ってごめんね。でもねトーマス、自分をもう責めないで。昔も今も母上が優しいところは変わらないんだろう?いつまでも責めていると知ったら母上が悲しむよ」


自分の思いを誰かに伝えるのは本当に難しい。

まだ子供だから言いたいことの半分も上手に言葉に出来なかった。

でも今の母だって幸せなんだと伝えたかった。


普通じゃないと幸せになれないなんておかしい。


 母上は不幸なんかじゃない。

 ちゃんと僕を愛してくれている。

 父上を愛しているんだ。

 それに愛されているんだっ。

 

 これって幸せでしょう? 



どんな形でも偽りなんかじゃない。

だって僕と父の愛は本物で、母がくれる愛も本物なんだから。


この想いに嘘なんてない、それが僕にとっての真実だ。



僕の言葉を聞いて、トーマスは静かに泣いていた。


「ついこの間までおしめをしていたニュート様に教えていただくとは…。そうですね、…本当にその通りです。昔の事にばかり引きずられていました。今の奥様がどんな表情をしているのかという大切なことを見落としてました。奥様が旦那様やニュート様に向ける笑顔は素晴らしく輝いておりますね。あれは偽りではありません、幸せそのものです。それにニュート様という素晴らしいお子様がいる奥様は本当にお幸せですね」


トーマスが母の今を否定しないでくれたことが嬉しかった。

だからとっておきの秘密を教えてあげることにした。


「それにさ、最近母上と父上はたまに喧嘩をすることがあるんだ。まあ父上が悪いんだけど、母上はちょっと怖い顔をしてて父上に『それはだめよ』って叱っているんだ。父上は身体を小さくしながら謝っているけど、とても嬉しそうな顔をしているんだよ」


屋敷の者達には内緒だって父は言っていたけど、トーマスなら良いよね?


「それはそれは、…とても微笑ましい光景ですね」


この新情報に彼も目尻を下げて頬を緩ませる。


夫婦喧嘩なんて僕の両親は今までしなかった。それはきっとお互いに相手のことが大切過ぎて、傷つけるのを恐れていたから。


でも出来るようになったということは、良い変化だと思う。母が元に戻るといった意味ではない。

両親は今のままの形で、一緒に新たな一歩を踏み出しているんだ。


きっと二人もそれに気づいているから、あんな表情をしている。


「うん、僕もそう思う。二人とも喧嘩しながらとっても嬉しそうな顔をしているんだから。あっはは、おかしいよね、喧嘩を喜ぶなんて。でも僕もすごく嬉しくて『父上、母上がんばれっ』て二人の味方をしてるんだ」


僕が笑いながらそう言うとトーマスも目に涙を浮かべながら『…本当に、本当におかしいですね』と一緒に笑ってくれた。






そして学園の寮に入って半年後、驚くべき知らせが届いた。なんと冬には僕に弟か妹が出来るというのだ。


父も母もそして屋敷の者達も新たな命の誕生を心待ちにしている、もちろん僕もだ。口に出すことはなかったけど、ずっと弟か妹がいたらいいなって思っていた。


僕の幸せな家族に新たな命が加わるという変化に不安はない。

だって今のこの幸せは両親と僕と、そして周りの人達によって築いてきたものだから。


偽りだという人達もいるだろうけど気にしない。

僕はそんなに弱くはない、少々のことではへこたれない自信がある。それは特殊な環境で育ったからじゃなく、愛情に包まれていたから。


そして今も僕の周りには愛情が溢れている。




僕は『幸せ』に決まった形なんてないと思う。これが正しいとか誰かが決めるのはちょっと違うんじゃないかと思っている。人に決めつけられても幸せになんてなれないのだからその逆だって同じだ。


だから『こんな幸せ』があってもいいと僕は思うんだ。



(完)




最後まで読んでいただき有り難うございました。



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