19.優しい嘘に満たされて…①
屋敷の広大な庭の片隅に建てられた小さな温室は私にとって心が落ちつく場所だ。
大好きな花に囲まれながら静かに過ごしていると幸せを感じられる。
この温室の花の手入れだけは侍女や庭師に任せたりせず、私が行っている。
伯爵夫人として花の手入れより優先すべきことはたくさんある。しかし夫であるオズワルドはどんな時も『君がやりたいのなら、それを優先して』と言ってくれる。
どんな時だって私がどう思っているのか、どう感じているのか尋ねてくる。
言葉を惜しむことなんてしない。私のどんな言葉にも耳を傾け『シャナ、君の思うままに』と優しく抱きしめてくれる。
最愛の夫であるオズワルドは私が病弱だったからか、とにかく心配性で私に甘い。
だがそれは夫だけに限ったことではない。
屋敷の者達も『奥様、無理をなさらずに』とみな気を使ってくれ、たまに会う兄夫婦も『ゆっくりと過ごせばいいから』と幼い頃から迷惑を掛けている妹に優しく接してくれる。
『もう大丈夫だから』と私がいくら言っても、皆の態度は変わらない。
昔から病弱だったうえに、私が出産後に体調を崩し生死の境を彷徨ったことが原因なのだろう。
まったく揃いも揃って過保護なんだから。
伯爵夫人としての役割も果たしたいのに、それすらさせて貰えない。
夫は『体調が完全に戻るまで社交は無理しないでいい。そばにいてくれるだけでいいんだ』と言い、真綿で包むように私を大切にしてくれる。
それではいけないと分かっている。
私も妻として愛する夫を支えていきたい。
だが彼の言う通り確かに体調は万全とは言えないのかもしれない。
普段はなんの問題もないけれど、時々…そう時々なのだが少しだけ混乱してしまうことがある。
自分の言葉や記憶にこれでいいのか…とふと感じてしまうのだ。
漠然とした不安に襲われると言えばいいのだろうか。
『身体の不調は意外なところに影響が出てくるものですから気にするほどではありませんよ』とかかりつけの医者から言われている、きっとそうなのだろう。
疑ってはいない、でも違和感を感じてしまう私もいる。
病弱だったはずなのに、幼いころ走り回っていた気がする。
兄夫婦を『お父様、お母様っ…』と呼び間違えてしまったり。いくら娘のように可愛がってくれているとはいえ、そんなことあるだろうか。
それに自分の名が呼ばれているにも関わらず、その名の人物を探そうとしている自分に気づく。
私は誰を探しているのだろうか。シャナは自分だというのに…。
いつもそう感じるわけではない。
本当にふとした時にそうなるだけ。
夫も両親も屋敷の者達も『気にしすぎだ』と言う。
確かに呼び間違いも勘違いも誰にでも起こり得ることだ。
だけど…そういう時、私はなんとも言えない不快感に襲われる。まるで自分が自分でないような気持ち悪さに吐き気を覚えてしまう。
「……っ…うう…。ち…がう、私は…」
何を言おうとしているのか分からない、その後に続く言葉も出てくることはない。
不安に心臓が鷲掴みされているようで、何も考えられなくなる。
とにかくここにいてはいけない気がして…、どうしようもなくなる。
『愛されているのは…よ、あなたは身代わりに過ぎないの。 知っているでしょう? ほら…ーナ、そこは…の場所よ。 おどきなさい、ふふふ』
頭の中で誰かが何かを言っている。
顔は見えない、でもなんだか私に似ている。
何を言っているのかよく分からない。
けれども聞こえないように手で耳を塞いでしまう。
ちがう、違うわ…。
だって私はシャナだもの。
そんな人は、…ーナなんて知らないわ。
必死に否定をする。ちゃんと聞こえていないのに…。
私は何を否定しているのだろうか。
わか…らない。
自分が何をしたいのか。