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1.扉越しの会話

その会話を聞くつもりなんてなかった。でも扉越しに聞こえてくるいつもと違う夫の声音に扉を開けようとしていた私の手は止まってしまった。



『…シャナ、久しぶりだな。まさか君がニーナの叔母だったなんて…知らなかったよ』


『私もあなたが姪の夫だったなんて知らなかったわ、…オズワルド』


互いに名を呼び合う二人。

その口調は苦しげでどこか切なく感じる。



 知り合いだったの?

 そんなこと一言も言ってなかったのに…。

 


どうしてなにも言わなかったのだろうか。


私が席を外すまで、私と夫と叔母の三人で他愛もない会話を楽しんでいた。だが彼らの口から『知り合い』だと告げる言葉は一切出てこなかった。それどころか初めて会う者同士として振る舞っていた。


そんな必要などないというのに…。

言えない事情があるのだろうか。


込み上げてくる不安から動けずにいる私は扉の前で知りたくなかった事実を聞くことになる。




父の妹であるシャナは私と7歳しか歳が違わず、叔母といってもまだ25歳で姉のような存在だ。幼い頃から難病に侵され数年前から医療が発達している隣国で暮らしていたので、一年前に行われた私とオズワルドとの結婚式には参列していなかった。


だから奇跡的に発見された治療薬によって病が完治し最近になって帰国した叔母が私の夫に会うのは今日が初めてだった。



私は屋敷を訪れてくれた叔母に夫を紹介する。


『シャナ叔母様、彼が私の夫のオズワルドよ。まだ若いけれども爵位を義父から譲られているから伯爵位を継いでいるの』


愛する夫を姉のように慕っている叔母に会わせることができて素直に嬉しかった。


『…ニーナの叔母のシャナ・ブラウンと申します。病気療養のために隣国にいたので挨拶が遅くなり申し訳ございませんでした』


『ニーナの夫のオズワルド・ライナーです』


言葉少なく初対面の挨拶を交わす二人。緊張しているのだろうか、二人ともそれ以上話そうとしない。

二人が揃いも揃って、いつもと違ってぎこちない様子に自然と笑みが溢れる。


『二人とも硬くならないで、もう親戚同士なんだから』と私が笑って言うと二人とも微笑みながら私の言葉に頷いていた。


だからこの時は二人の様子になんの違和感も抱かなかった。




1年前に私は17歳で10歳年上の夫のもとに嫁いだ。政略結婚ではなく夫に望まれて婚姻を結んだ私は結婚してから大人である彼から愛というものを教わった。

互いに心から想い合い、これが幸せなんだと感じる満ち足りた日々を今日まで過ごしていた。




――それが今は揺らいでいる、愛する夫と憧れでもある叔母によって。



私達は挨拶を済ませたあと応接室で話をしていた。それは互いの近況報告など他愛もない話ばかり。

その最中、私は叔母に渡すものがあることを思い出し『ちょっと取ってくるわ、二人で待っていて』と部屋を後にした。



急いで私室に行く途中で侍女から声を掛けられる。


「奥様、これを部屋にお忘れでした。今日お渡しになると伺っておりましたので持って参りました」


そう言う侍女の手には私が取りに戻ろうとしていたものがあった。


「ありがとう。今ちょうど取りに戻ろうとしていたところなの、助かったわ」



私は礼を言いながら、行く手間が省けて良かったと思った。


私の部屋は応接室から離れた場所にあり、本来ならもっと時間が掛かっていたはずだった。けれども侍女のお陰ですぐに応接室へと戻ることが出来た。


だが応接間で待つ夫はそれを知らない。

戻ってくるまでに時間が掛かると分かっていたからこそ話していたのだろう。



私の知らなかった事実を…。





決して大きな声ではない。

でも扉の前に立ち尽くす私の耳には二人の声が届いてくる。



『オズワルド…、まさか姪であるニーナの結婚相手があなただったなんて思いもしなかったわ。隣国であなたと出会い愛を知り私は幸せだった。余命宣告されていた私に神様が最後の贈り物をくださったのだと思ったの。だから…先がない恋だと思っていたから家名を名乗らなかったし、あなたにも名乗らせなかった。

最後まで添い遂げることは叶わないけれども、本当の愛を一瞬でも知ることが出来ただけで十分だったわ。

まさか奇跡的に治療薬ができるなんて思ってもいなかったから…。薬のお陰で病気が完治し嬉しかったけど、それと同時に後悔もしたのよ。なんであなたに自ら別れを告げてしまったのだろうって。名前を聞いておけば良かったと。完治できると知っていたらあなたとの別れを選んだりしなかったのに…』


叔母は泣いているような声でそう告げていた、目の前に立っているだろう私の夫に向けて。


『だから君は他の人を好きになったと言ってあの時に私に別れを告げたのか…。だが本当は病気だったんだな。それを知らずに私は君の言葉を真に受け、君の幸せを願って身を引いたのに』


『…ごめんなさい。あの時はああするのが一番だと信じていたの。うっ、うう…まさかこんなことになるなんて。こんな形で会いたくなかった…。私はまだ…まだあなたを…』


泣いているのだろう、叔母の声は途中で途切れて聞こえない。だがその先に続けたかった言葉はきっと『愛している』だろう。



『シャナ…』


夫は優しい声音で叔母の名だけ紡いでいる。

ただそれだけ。愛を告げる言葉は口にしていない。


でも思いやるようなその声音が胸に突き刺さる。


分かっているのは事実だけ。隣国で療養していた叔母と数年前に仕事で隣国に訪れていた夫は出会い恋に落ち、…そしてお互いを思って別れを選んだ。――胸に秘めてた想いを残したまま。



そして思いを伝え合うことが許されない存在となって再会したのだ。

『姪の夫』と『妻の叔母』という形で。




 私は代わりだった…。

 愛する人に似ていたから望まれたの…。



不思議だったのだ、どうして彼が私を望んだのか。

彼は『君を愛しているから』と言っていたけれど、私は結婚の申し込みを受ける前に彼と会話を交わしたことはなかった。夜会でもすれ違ったぐらいしか記憶にない。



私はなぜ夫から結婚を申し込まれたのかを理解した。


私と叔母シャナはよく似ている。黒と深紅が混ざったような髪色と新緑色の瞳の珍しい組み合わせ、そして背丈や体形もそっくりだ。後ろ姿では間違えてしまうと家族からも言われている。

ただ儚げな雰囲気を纏った叔母のほうが私よりも大人の女性としての魅力に溢れている。



『愛している』のは私ではなく、愛した人に似ている容姿だったのだろう。

夫は昔の恋人を忘れられず、似ている私を代わりとしたのだろうか。

きっとそういうことなのだろう…。



知ってしまった事実と扉越しに聞こえてくる二人の声音から辿り着いた結論に身体が震えてくる。

知らなければ幸せなままでいられたのに…。


幸せが一瞬で崩れていく。


どうすればいいか分からず、私は扉を開ける勇気もなくただ立ち尽くしていた。



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