一色親分 二
火鉢とは、灰に炭火をいれる暖房器具のことである。
鉢にあたる器には、壺のような陶器や、丸い土器などと色々あるが、一色家では長方形の長火鉢と云われるものを客間で使用していた。
この日も、長火鉢の銅製の炉に火はつけられており、辰次たちが入ると部屋は十分に暖められていた。
辰次はめくら娘の袖を引っ張って、一色親分の真正面へと導く。
「おまえは客だから、こっちに座れ」
めくら娘はゆっくりと膝をおって座り、朱色の杖は体に寄せるように右側においた。
一色親分が「さて」と口を開いた。
「話を聞く前に、その頭巾、とって顔をみせてくんないかい?それが話し相手への礼儀ってもんだからな」
めくら娘の箸のような細い指がゆっくりと動いた。
彼女は頭巾をつまんでめくるようにとり、素顔をようやく人目にさらした。
両眼の閉じた顔、そして髪の毛は陽に焼けたように明るく、肌は雪のように白い。
普通の若い娘の容姿であると辰次はおもった。
でもそれは、辰次が外で見た彼女の印象と違っている。
辰次は違和感をおぼえつつ、それはあの閉じた両眼のせいではないかとおもった。
実際のところ、固く閉じられたまぶたのせいで、彼女の顔立ちは良いとも悪いとも、誰にも判断ができない状態だった。
「改めてご挨拶いたします」
めくら娘の鈴のような声が鳴った。
彼女は親指、人差し指、中指をそろえて畳へつけるという、いわゆる三つ指をつく。
「名を、朱色に鷺で朱鷺と申します。失踪した兄、神崎政輔を探しに、西の京から東の江戸へとくだって参りました。本日お見知りおかれまして、さっそくのお願いで恐縮ですが、一色親分さんにはどうか兄探しのお力添えを頂きたく。よろしくお願い申し上げます」
深々と頭をさげる彼女に、一色親分は目を丸くさせた。
「これはこれは。ご丁寧な挨拶を頂いちまったな。ささ、もう頭をあげな」
一色親分は姿勢を伸ばしてきっちりと座り直した。
「ご立派なご挨拶、しかと頂戴した。申し遅ればせながら、手前もご挨拶を申し上げよう。俺の名は一色忠次。生まれも育ちも関東の江戸。生業にとりまして、ここ浅草で賭博稼業をしている、しがない博徒でございます。世間様からは、大親分、または侠客などと呼ばれておりますがー」
真面目な面持ちが一変、一色親分は顔をほぐして柔和な笑みをうかべた。
「俺は、そんな大層な男じゃあない。御法度の裏街道を歩く、社会からあぶれた、ただの無法者さ。そうやってぶらついてるおんなじ奴らを拾ってまとめてたら、ありがた迷惑なことに顔役なんてまで任されちまった。まぁなんだ。俺相手にそこまで気張るこたぁねぇってことだ」
「では、兄探しを……」
「俺にできる範囲でやってろうじゃないか」
「ありがとうございます。ご協力、感謝いたします」
朱鷺がまたもや三つ指をついて頭を深く下げた。
そんな彼女に、一色親分はすっかり感心してしまっている。
「お行儀も言葉遣いも、本当にお上品な娘さんだねえ……お兄さんの名前は確か、『かんざきまさすけ』だったか?」
「はい」
「その『かんざき』というのは苗字だな?堂々とそうやって名乗りあげるところをみると、ご実家はただの町人身分じゃねぇだろ?」
この世は士農工商といわれる身分制度のもと、武士以外、町に住む人間すべては町人と云われた。
「実家は……代々、神職を務める家柄です」
「なるほど、神職か」
しんしょく?と辰次がつぶやいた。
一色親分があきれた顔を息子へむける。
「バカおめぇ、神職が何か知らねぇのか?」
馬鹿にするなといわんばかりに辰次はむっとした。
「知ってるよ。神社で働く神主とかのことだろ?違くて、さっき俺がおもったのは、神職の人間は堂々と苗字名乗っていいのかってとこだよ。アイツらは俺らといっしょで町人の身分だろ?」
「特別枠ってやつだよ。医者や相撲とりなんかとおんなじで、人から尊敬されるような特別な働きする人間は苗字名乗ってもいいぞって許されてんだよ」
「なんかずりィな、それ。俺ら庶民が苗字名乗れば生意気だって貶されんのによ」
「そりゃあ仕方ねぇよ。ごく一般的な普通の庶民が苗字持つなんてのは贅沢だって、大昔からの常識なんだ」
めくら娘がふと気づいたように口を挟む。
「親分さんは、一色というご立派な苗字をおもちですよね?何か特別なお働きをされているのですか?」
「博徒の俺が?はっはっ、まさか!」
一色親分は彼女の言葉を一笑にふした。
「俺のこの『一色』はな、ご先祖さまが侍働きをしたおかげだよ」
「侍働き……ということは、親分さんのご先祖さまは武士だったのですね?」
「ああ。江戸に都ができる前、300年くらい前の古い話だ。俺のご先祖は、京の方で活躍してた武士だったんだよ。戦ばかりの戦国時代も終わって、天下泰平の世になり、戦働きが華だった武士のご先祖さまは仕事に困っちまった。それで仕事を探しに江戸へ来て、武士の身分は捨てて町人へとなって……とまぁよくある話だな」
「そういうことだったのですね。では、ご親戚など京にいらっしゃるのでしょうか?」
「まあな」
その一色親分の言葉に、辰次が眉根をよせて驚くように反応した。
「は?初耳なんだけど?」
「かなり遠縁で、他人みたいなもんだ。俺自身、一度会ったきりだよ」
一色親分はあまりそのことについて話したくないようで、めくら娘の方をみて、さっさと話を次へ移した。
「今では町人になっちまった『一色家』だが、俺はそれなりに誇りに思っててな。だから、金貸しの屋号として使ってるんだよ」
「親分さんは金貸し業もなさってるので?」
「そりゃ賭博屋なんて、堂々とは名乗れねぇからなぁ。表向きは金貸しの一色屋だよ。ご実家が神職のお嬢さんにゃ、武家の落ちぶれたさまだと笑われるかもな」
「いえ、そのようなふうにはおもっていません。人の世では、様々な生き方をするのだと勉強になりました」
「こりゃ面白いこと言うお嬢さんだね。さ、俺の話はここまでにして、お嬢さんの話に戻ろう。探しているお兄さんは、つまり神社勤めの人間だったってことかい?」
「はい。兄は、ひと月前ほどに、勤めていた神社から突然消えました。江戸へ逃げたとの情報を得て来たのですが、いると聞いていた本所石原の孫左衛門長屋にはおらず、その他の手がかりもなく……」
「ふむ。本所石原の孫左衛門長屋か……」
一色親分は考えるように腕をくんだ。
「本所にゃ俺の子分どもがたくさんいる。そいつらに聞き込みさせよう。ちいっとばかし時間をくんな。何日かはかかるだろうから、その間はお嬢さん、いや。おトキちゃんは、うちで気長にゆっくり待ってな」
親しみをこめ、一色親分はめくら娘を『おトキちゃん』呼んで優しくほほえんだ。
呼ばれた本人は小首をかしげている。
「それは……こちらのお宅に滞在してもよろしいということでしょうか?」
「もちろんだ」
「では、お代を先にお支払いいたします」
「お代?」
「はい。滞在費と謝礼をふくめ、いかほどがよろしいでしょうか?言い値をお支払いたします」
「おいおい、みくびっちゃあ困るよ。この忠次、お嬢さんにたかるほど金になんか困っちゃいねぇよ」
「え?」
「金なんていらねぇよ。んなこと気にしなくていいから、好きなだけ何日でもうちにいな」
「……」
めくら娘は困惑したように言葉を発さなくなった。
そこへ、まきが小鍋を手にして部屋に入ってきた。