まき
浅草寺から北東にある浅草新町というところに一色親分の家はある。
白い壁にかこまれた家で、小さいながらも屋根のついた門がある。
その家の壁に辰次は手をついていた。
「つ、つい、た……」
辰次はもう片方の手で脇腹をおさえながらゼーゼーと息切れをしている。
「大丈夫ですか?」
「おま……おまえ、なんで……」
息が乱れ汗も噴きでている辰次とは対照的に、めくら娘は涼しい顔をしていた。
「いっしょに、走ってきたよな?」
「はい」
「途中、休んだりしてないよな?」
「はい」
「尼さんは、山走りの修行でもあんのか?」
「わたしは尼ではありません」
「ああ、そうだったな……」
辰次は珍妙なものを見る目つきになった。
尼のような暑苦しい格好をして、余裕で走りこみするめくら娘はおかしい以外の何者でもない。
「変なの拾ってきちまったな……」
「変な拾い物?道中そのようなもの、ありましたか?」
「……おまえさぁ、話、通じないっていわれないか?」
「話が通じない……?わたしの言葉、通用していませんでしたか?江戸の人間と同じ言葉を使っているつもりだったのですが?」
「……」
やはりおかしなものを拾ってきてしまったと、辰次はやや後悔した。
「もう、いいや」
辰次はめくら娘との意思疎通をあきらめた。
家に入ろうと門へ手を伸ばすと、内側から門が開かれた。
鉄ノ進が出てきた。
「それじゃ姐さん、俺はここで失礼します」
鉄ノ進は、後ろにいる提灯をもった中年の婦人に軽く頭をさげた。
婦人はタレ目で優しげな顔立ちである。
彼女が一色親分の女房まきだ。
まきは慈愛に満ちた笑みを鉄ノ進へむけている。
「今夜はお疲れさま。明日でいいから、ゆっくりご飯食べにおいで。ほかの子たちにもそういっておいてね……って、あら?辰次?」
辰次をひとめすると、まきは浮かべていた笑みを一変させた。
まきは眉間にシワをよせて辰次につめよる。
「もう、あんたって子は!鉄に聞いたわよ!お侍さま相手に喧嘩したんだって!?」
「母さん……」
小柄なまきに見あげられながら叱られ、辰次は弱った顔になる。
「一人で逃げたって聞いて、どんなに心配したか!怪我はないかい?」
「あー……うん」
「そう。なら良かったわ」
ほっとした表情になったまき。
そして、彼女は辰次のうしろに誰かいるのにようやく気づく。
「ところで、そちらの方は……えぇと、尼さま?」
「え!?」
鉄ノ進がギョッとしておどろいた。
「まさか、その子、さっきいすみ屋さんにいた尼さんか!?」
「えっ!?まさか、うちの子が尼さんを喧嘩に巻き込んだの!?」
まきからさらに怒られそうになり辰次は焦る。
「違う!こいつが勝手に首突っ込んできたんだ!」
「まあ!尼さんにむかってコイツなんて」
まきは辰次をふたたび叱る。
「失礼な口を聞くんじゃないの!」
「だから違くて!コイツ、尼じゃないんだってば!」
「何いってんの。その子の格好」
まきはめくら娘を頭からつま先までながめた。
「どっからどうみても尼さんじゃない」
「確かにどっから、どうみても尼だけど!格好だけそう見えるだけで、中身はちげぇんだよ!」
「中身?」
「ただのめくらの女だよ、コイツ!」
鉄ノ進が顔をしかめた。
「ただのめくら女……?まさかおまえ、その子を買ったのか?」
この時代、売春商売をする盲目の女はいた。
その女を買ったのかと、まきと鉄ノ進から疑いの目をむけられる辰次。
「違う!」
辰次は存外にも初心な青年であった。
耳を赤くさせ、鉄ノ進へ必死に身の潔白を訴えはじめる。
「俺は買ったことも、買おうと思ったこともねーよ!つか、コイツは普通の女だっつうの!」
「ふーん。じゃあ普通の、めくらの女の子を口説いてきたのか」
「なんでそうなる!?」
「喧嘩してる最中、妙に話してんなとおもったら、女引っかけてたのか。あきれたというか、感心したというか」
「ちげぇっつってんだろ!コイツが親父に頼みごとあるからっていうから、話聞いて、連れてきてやっただけだ!」
「ああ、そういうこと」
鉄ノ進はニヤニヤとしていた。
どうやら彼は辰次をからかっていたようだった。
「親父なら入ってすぐいるぞ。それじゃ、俺はこれでな」
鉄ノ進はまきから提灯を受け取ると、さっさと帰っていった。
「もう、そういうことなら早く言いなさい」
まきが辰次へと小言をこぼす。
「アンタが女の子連れてくるなんて、今までなかったんだから。ろくでもないことだと思ったでしょう」
「だからって、なんでそうゆうふうに考えんだよ」
「ごめんなさいねえ、うちの子が」
まきはすでに辰次を聞いていなかった。
彼女はめくら娘の手をとって、門のなかへと導いている。
「ウチの子、失礼なことたくさん言わなかった?ごめんなさい、あの子は口が悪くてねぇ。でも、根は優しくていい子なのよ?だから気にしないであげてね」
「はい、わかりました」
辰次は聞いていて恥ずかしかった。
せっかく家に帰ってきたというのに、なかへ入りたくなくなっている。
「ほら辰次。何してるの?さっさと中に入って、門を閉めなさい」
まきにうながされ、辰次は渋々とした様子で家の内側へ入って門を閉めた。