そば食いねェ
江戸の昼さがりの飯どき、辰次は幼なじみの鹿之介と蕎麦屋にやってきた。
「俺はざるの大盛り一枚、コイツには普通盛り一枚。で、いいよな?」
辰次は店員に注文して、念のため連れに確認をとった。
だが返事はない。
連れの鹿之介はそばよりも店内で目のあった女に興味がでたらしい。
色目を使うことで忙しそうな彼に辰次はあきれた。
「テメーはそば食いにきたのか、それとも女ひっかけにきたのか、どっちかハッキリしろ」
「しょうがないだろ?向こうから俺に目を合わせにきたんだからさ」
色男で艶っぽい美声もちの女好きというタチの悪い鹿之介。
いく先ざきで女たちの視線をひとりじめする彼だが、今回はめずらしくそうはいかなかった。
女の視線が急にちがう方向へとむいた。彼女だけでなく他の女性客も同じ方向をむいている。
鹿之介も同じ方へ視線をむけると不機嫌な顔になった。
「ああん?なんだアイツら?」
店内の女たちの視線を集めていたのは美形の男ふたりだった。
とくに亜麻色の髪をした男の容姿は神々しい美しさともいえるほどきわだっていた。
美形ふたり組は兄弟らしく、亜麻色髪の男がもうひとりを『兄』と呼んでいる。
「兄さん、混んでいるから相席になるみたいです。いいですよね?」
「仕方ないな」
美形兄弟が辰次たちの隣に座った。
「品数がいくつかあるようですね。兄さんは何を食べますか?」
「庶民の食べものはわからん。おまえにまかせる」
「わかりました。こういうときは現地の人にオススメを聞くといいんですよ。あのう、すいません」
弟がとなりの辰次へと話しかけた。
「このお店で一番おいしい品ってどれでしょうか?」
「はあ゛?」
ギロリと相手をにらんだ辰次。
そば屋でどれがおいしいか、などというのはバカげた質問だ。そんな相手にはおかまいなしにきまって辰次は凄まじい圧のにらみを返す。
普通の人間はこれでひるんで引っ込んでしまう。
しかし、今回の相手はちがった。彼は怖がっておじけづくどころか笑みを返してきた。
「僕ら江戸に来たばっかりで蕎麦は初めてなんです。どれを食べたらいいか教えてくれますか?」
キラキラとまぶしい笑みをみせる弟に、いっそう眉間のシワを深くする辰次。
こういうヤツは苦手だ、と辰次はおもってそっぽをむく。
「…ざるそばでも食っとけ」
「なるほど、ざるそばですね?わかりました、ありがとうございます」
愛想よくふるまう弟に不愉快をかくせない辰次。
さっさとここから出ていこうと、自分のそばをすすり始めた。
ふと隣へ蕎麦が運ばれていくのがみえて、なんとなしに目をそちらへやると、辰次は驚愕のあまり固まった。
「あ゛……!?」
美形兄弟がそばをすすらず、ぶちぶちと噛み切って食べていた。
江戸っ子の辰次からすれば信じがたい所業だ。
さらに彼らは二、三本のそばをつまんで口にはこんでいる。麺を食べるというより、ヒモ遊びをしているようだった。
兄弟はすぐ遊びに飽きたように箸を置いた。
「賭けに負けたからしかたなく付き合ったが…おまえ、なぜこんなものを食べようといったんだ?食えたもんじゃないぞ」
「蕎麦は江戸名物だって聞いたから、美味しいものだとおもってたんですよ。でも僕らの口には合わないみたいですね」
兄が立ちあがって懐から金を出した。
「時間の無駄だったな。これで払っておけ」
「はい。すいません、お支払いをお願いします」
弟が店員を呼んだ。
「お客さん、もうよろしいのですか?」
ほとんど手のついていないざるそばに困惑する店員。
「急用を思いだしまして。これで足りますか?おつりは結構です」
わたされた小さな銀の板いちまいに店員はさらに戸惑う。
「困りますよ、お客さん。これじゃあ多すぎますよ」
「それではおとなりの方たちの分も、ということで」
にっこりと辰次たちへ笑いかける弟。
「先ほどオススメを教えていただいたお礼です」
そして弟は店員が呼び止めるのも聞かず店を出て行った。
「お客さん、ちょっと待ってくださいって!一朱銀なんて、そば四人分でも多すぎますから!」
「それ貸せ」
「へ?」
辰次が店員から銀一枚をひったくった。
そのまま彼は表へ飛び出した。
「テメェら待ちやがれ!」
立ち止まってふりかえった美形兄弟。
辰次はにらみつけながら、とくに弟の方へむかって吼えた。
「テメーはどこの田舎もんだ?そば食っただけで銀一朱なんてバカみたいな大金、フツーはださねェぞ。しかも俺たちの分まで払うだと?ふざけんなよ。こっちはテメーらからほどこしを受ける義理なんぞねェぞ!」
手にする銀を彼らへつきだす辰次。
「わかったらとっととこの銀をふところに戻しやがれ!」
辰次の啖呵をぼう然と聞いていた兄弟は、たがいの顔を見合わせる。
「この男の言っている意味がわからん」
「僕もです。江戸の人間は不思議な話し方をしますね」
「まったくだな。まともに相手にするのも面倒だ。おまえがどうにかしろ」
「承知しました」
弟がまえに出てきて辰次とむきあった。
「理由はわかりませんが、何やらご不快な思いをさせてしまったようですね。申し訳ありません。その銀は、その謝罪とゆうことで」
突き返された銀を辰次の方へとおし返す弟。
「どうぞお納めください」
「ぜんっぜん、わかってねェなテメェ!」
ますます激しい剣幕でにらみつける辰次。
「見ず知らずの野郎に金をめぐんでもらうほど、俺は落ちぶれてねーってこっちはいってんだよ!」
「うーん、やっぱよくわからないなぁ。ところでさっきからおもってたんですけど…」
じっくりと辰次の顔をみる弟。
「君、すごく強烈な顔つきをしてますね」
「ああ゛!?」
「これほど凄まじく悪い目つきは初めて見ました。もはや見ごたえがあっておもしろいですね」
目つきが悪くて顔がこわい。
そう人にいわれるのを気にしている辰次にとって、弟のその言葉は禁句に近かった。
「こんの意味不明のタコ助野郎が!」
弟の胸ぐらにつかみかかった辰次。
「さっきから喧嘩売ってんのか?!だったら、かってやるぜ!」
辰次は殴ろうと拳をふりあげた。
が、できなかった。
いつのまにか辰次の両手首は弟にガッチリとつかまれていた。すぐに振りはらおうとするが、辰次の馬鹿力をもってしてもびくともしない。
動揺する辰次にたいし、弟は不思議そうに首をかしげていた。
「あのー、タコすけって、どういう意味ですか?」
「ハァ!?」
「初めて聞いた言葉です。江戸特有の言葉ですか?」
舌打ちをする辰次。
「テメェみたいな馬鹿野郎のことだよ!」
手がダメなら頭だ、とおもった辰次が頭突きをくり出した。
だが、それもあっさりと避けられた。
ならば足だと辰次が足技をかけようとするが、これも見切られかわされていく。
弟は童を相手にしているかのように辰次をあしらっていた。
そばで傍観していた兄があきれたように声をあげた。
「哉朱仁、人間相手に遊んでいるヒマなんて俺たちにあるのか?」
「あ、そうでした。ちょっとお待ちください、いま終わらせますね」
そう言い終わるやいなや、弟は辰次の胸ぐらをつかんで軽々と持ちあげ、そのまま前方へ突き飛ばすように投げた。
辰次の体は吹っ飛んで蕎麦屋の壁へたたきつけられた。
痛みよりもおどろきでぼう然として動けない辰次。
美しすぎる弟が遠くから辰次へとほほ笑んでいる。
「ご縁があれば、またどこかでお会いしましょう」
美形兄弟はさっさと姿を消した。
喧嘩を遠巻きに見守っていた鹿之介があ然としていた。
「ウソだろ?おまえが、あんな優男野郎にやられるとか」
信じられないといわんばかりに鹿之介は辰次の顔をのぞき込んだ。
「しかも初めてじゃねぇの?おまえが同世代っぽいヤツに真っ向勝負の喧嘩で負けるとかさ」
鹿之介は自分の言葉を後悔して、幼なじみの顔から目をそむけた。
「さすがの俺もそれは怖よ」
辰次の形相はまさに鬼となっていた。
眉間にはこれ以上ないくらい深いシワがきざまれ、瞳孔は開ききってギョロギョロとし、頬は怒りで紅潮してる。
負けた、という言葉は辰次にこれ以上ない屈辱を感じさせていた。
「あのヤロウ、絶対ゆるさねェ。必ず見つけ出してあのキレイな顔ぶん殴ってやらァ」
地の底から這いあがってきたような声で相手への復讐を誓う辰次だった。