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神の使いと侠客  作者: 吾妻橋露
1861年 神無月 
100/123

神前での誓い

朱鷺は酉の市があった神社へふたたび来ていた。

しかし今回は主と一緒だった。


「朱鷺」

「はい、宮様」


朱鷺が横をふり向く。

和宮は扇で顔を半分隠し、長椅子に腰掛けている。


「今日の私は変ではない?」

「変とは?」

「この着物のことです。外に出るのに、あの長い(うちき)をズルズル引きずるわけにはいかないからよって、かといって武家の小袖なんてもっとらへん。だから持ってたのを短く切って用意させたんです」


立ち上がる和宮。

薄紫に菊の(がら)を見せるように袖を広げる。


「最初の印象というのは重要です。あちらに綺麗と思わせんと。どう?この着物、私に似合うとる?」

「……宮様、目を閉じたこの状態の私に色はわかりません」

「わかってますって。形だけは見えてるのでしょう?良いか悪いかの言葉くらい、出ないのですか?」


ここで普通の女なら和宮自身を褒めるような言葉が出る。

しかし、朱鷺は普通ではない。


「動きやすそうで、良いと思います」


的外れな朱鷺の言葉に、あきらめた表情になる和宮。


「聞く人間をまちがえました。お忍びで行くから朱鷺だけを連れてきたんやけど、ほかの女官たちも連れてくればよかったです」

「ですが、それではひと目についてしまいます」

「何をゆうとるんです。この神社、さっきから全然人なんかおらへんやないの」


朱鷺と和宮以外、神社の境内には誰もいなかった。


「ご老中の脇坂様のご配慮です。安全を考え、神社からひと区画ほどを幕府の人間たちが囲んで立ち入り禁止にしてしまったそうです」

「まぁそうだったの?でも、いまひとり、入り込んで来てますえ?」


神社の参道から青年らしき若い男がやってきている。


「将軍さまではありませんか?」

「いいえ、ちがうと思いますえ。地味な紺色の小袖に羽織り、武士みたいな(はかま)もはいておらへん。護衛や(とも)の人間も連れておらへん。おおかた、町方の庶民が迷いこんでしもうたんやろ」


朱鷺が杖をにぎり、和宮の前に出た。


「追い払います」

「おやめなさい」


あせった様子で止める和宮。

彼女は朱鷺の杖が鋭い凶器だと知っている。


「ニワトリの件といい、そなたは少しやりすぎなところがあります。私があの者と話して、穏便に事をすませます。朱鷺は大人しくそこにおって」


和宮が扇で顔を隠しながら、やってきた青年に向かいあった。


「この神社は本日、限られた人間以外立ち入りが禁じられてますよ」

「はい、存じております」

「知っている?知っていて、わざと入ってきたというのですか?」


相手を警戒する和宮。

青年がハッとしたように頭をさげた。


「すいません、怖がらせてしまったでしょうか?よく考えれば、身をあかさず近づいてきた男など、女の方からしたら恐ろしいですよね?考えがおよばす申し訳ありません!」


あたふたとして必死で何度も頭をさげる青年。

その姿に悪意は感じられず、むしろ初々しい愛嬌すら感じられた。

年もそう変わらないであろう彼に、和宮は親しみをもった。

頬をゆるませる和宮。


「まあ、そないなことええですよ。それで、どうしてわざと入ってきたのですか?」

「あなたに会うため」

「え?」

「待ち合わせ場所である神さまのところとは、この神社でよろしかったでしょうか、和宮様?」


おどろいて、扇を落とす和宮。


「上さん、ですか?」

「はい。申し遅れました、私は徳川家茂ともうします」


どこか緊張したようすの家茂。

将軍というにはあまりにも普通である。


「本当に上さんですか?どうしてそのような、庶民のようなお格好をなされてはるん?」

「私はもともと江戸にある紀州藩の屋敷で生まれ育った、いわば江戸の人間です。昔からこうした格好で江戸の町を歩きまわっているんです」

「でも、だからって警護の人間くらい連れてくるべきでしょう?あなたさまは将軍なのですから」

「たしかに私は将軍ですが、その前にあなた様の夫となる男であり武士でございます。妻に会うために警護の人間など不要。いざとなれば戦って身を守れます。そして、あなた様も」


膝をついた家茂。

彼は真摯な顔つきで和宮を見上げた。


「望まぬ縁談のために故郷(ふるさと)を離れ、いたく心に負担をおかけし、この家茂も大変心苦しくおもっております。ですが、私はできる限りをつくして宮様がここで、安心して暮らせるようにしたいとおもっております」

「ここで?」

「はい、ここ江戸で」


家茂のくもりなき澄んだ瞳が和宮を見つめている。


「私の命があるかぎり、宮様を一番に想い、心から大事にし、お守りすると誓います」


家茂の真剣さは、後ろで聞いていた朱鷺にすら伝わってきた。

だが和宮にはまだ信じきれない気持ちがあるらしい。


「その言葉をもういちど、神様へと誓ってくれますか?」


朱鷺が後ろで見守るなか、和宮と家茂は本殿のまえに立った。

二人が神の前で手を合わす。

撫でるような風が吹き、鈴を鳴らす。


「生暖かい風とは、この季節にめずらしい」


不思議がる家茂。


「神様や」

「え?」

「神様があいさつをして、言葉をくれました」


その和宮の言葉で、朱鷺は託宣が無事にできたことをさとった。

婚儀に関する部分を花婿に伝える和宮。


「如月の二の月、二の(うま)の日に婚儀をあげるのが良いと。そして、それに先立って初午(はつうま)の日には神楽(かぐら)の奉納をすべしと」

「神楽?神前で神官や巫女たちがおこなう、あの舞のことですか?」

「そうです。けど、ただの神楽ではいけません。私の神楽でなければ」

「宮様の神楽?まさか、宮様がみずから舞をされるのですか?」

「はい、私が神楽を舞います」

「ですがそうなると、準備などはどうすればよろしいでしょうか?老中、いえ、寺社奉行に相談をした方が……?」

「心配いらしません。私の神楽は京でしていたのと同様、神祇官にさせます」


和宮がふり返って朱鷺をみた。


「あの子が全ての儀式を取り仕切りますえ」

「では、あの者が吉田白兎(はくと)家の者ですか……?」

「あらご存知でしたか?」

「え?ええと、そうですね。京の公家の家々はいちおう覚えています」


話をそらすように、家茂はふところから何かを取り出した。


「あの、それよりこれ!」

「お守り?」

「はい。この神社の夫婦守りだそうです。初めて二人で参拝した記念にどうでしょうか?おそろいは、いやでしょうか?」

「……いえ」


桃色のお守りを和宮は受け取る。


「こうゆうのはイヤじゃないです」


帰り道、和宮がそっと朱鷺に打ち明ける。


「朱鷺がいったこと、ほんまやった。江戸の若い男の頭は、ちゃんと髪の毛がある。半分ハゲみたいな武士の頭でもない、公家の(まげ)でもない、ふつうの髪型やった」


主人の嬉しげな声。

ずいぶんと機嫌のいいことがわかる。

それはようございました、とようやく女官として正しい返答ができた朱鷺だった。

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