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初めてが私でごめんなさい

「ああ、知っている。それではクラリス嬢。ここから出るためには、そ、その──」


 もごもごと口籠もってしまったシリル様の代わりに、私は口を開く。こうしている時間も勿体ない。


「口付けが必要だと書かれていますが、これは実行しなければどうにもならないのでしょうか」


「そ……そうだ。基本的に、精霊は指示を無視することを許さない」


「それでは、さっさとしてしまいましょうか」


 キスして扉が開くなら、さっさとしてしまいたい。

 シリル様とキスというのは何か悪いことをしているような気分にはなるが、相手は令嬢達に大人気の騎士だ。私のことなんて、次の日には忘れてくれるに違いない。

 しかし私の予想に反して、シリル様はまた顔を赤くして目を見開いた。


「は!? ク、クラリス嬢は口付けなど些細なことだと言うのか! まさか婚約者と──」


「そんなこと言ってませんよ!? 私だって初めてなんです!」


 真面目で地味な貴族令嬢を舐めないでほしい。今日まで浮いた経験など一切無いまま育ったのだ。これぞ、純粋培養の貴族令嬢というようなものである。


「す……すまなかった。だが、それなら簡単に異性に唇を許すのは──」


 まだ言い訳を続けるシリル様に、私は首を振って身を乗り出した。


「だって、そうしないと出られないじゃないですか! ──……あ、後から文句を言ったりなんてしませんから心配しないでください。これは事故です。ただ接触するだけですから。気にしたら負けです」


 こんな強制的にさせられるキス、回数に入れるのも馬鹿馬鹿しい。

 キスなんて、長く婚約者だったジェラルド様ともしたことがない。いや、ジェラルド様はあちこちの女性とそれ以上のことをしていたようだけれど。

 もう、全てがどうでも良いと、投げやりな気持ちになっていた。

 この夜のことは、シリル様にはさっさと記憶の彼方にやってしまってほしい。私だって、未遂とはいえシリル様の上に乗って襲おうとしていたことはなかったことにしたい。

 シリル様が眉間を軽く揉んで、そこに無い眼鏡を上げる仕草をする。


「いや。……ならばなおのこと、責任は取らせてほしい」


 その真面目な声音に、私は両手を振って否定した、


「ちょ、ちょっと。結構ですよ! 外でここのこと話したら駄目ですからね? 私、それこそ本当にお嫁に行けなくなっちゃいます!」


 いくら『精霊のいたずら』とはいえ、こんなこと一生隠し続けておきたい。

 こんなことでもなければ、地味な子爵令嬢である私とシリル様が知り合う事なんてなかっただろう。お兄様を通して挨拶程度をする関係止まりだったに違いない。

 うっかりお兄様がいないところで挨拶でもしたら、次の瞬間には私は一躍時の人になってしまう。

 婚約破棄だけでも外聞が悪いというのに。

 しかしそんな私の気持ちを知ってか知らでか、シリル様はまっすぐに私の目を見つめた。


「……クラリス嬢が婚約破棄されたというのは、本当なんだな?」


「だから何で知って……そうですけど」


 まさか精霊がそんなことまで教えてくれるのだろうか。精霊の専門家は聖騎士と聖女だと思って、その辺りについてはあまり勉強してこなかった。

 こんなことになるならば、もっとちゃんと勉強しておけば良かった。まさかこんなことが起こるなど、想像できる筈もないのだが。


「それなら問題ない。大丈夫だ」


「そんな真っ赤な顔して、何言ってるんですか!?」


 さらりと言ったシリル様の顔は、相変わらず真っ赤だ。

 どんな手入れをしているのかと問いただしたくなるほどに綺麗な肌は、シリル様の動揺を如実に私に見せつけてくる。

 シリル様はすうっと視線を逸らして、何も無い床を見た。


「……私も女性とこういうことをするのは初めてだ」


 その衝撃の告白に、私は思わず身を乗り出した。


「えっ、その顔で!?」


 これだけの美貌でかつ聖騎士などという人気職に就いていれば、私など想像もできないほど経験豊富なのだと思っていた。

 あのジェラルド様があんなに遊んでいるのだ。男の人なんて、皆そんなものだろうと思っていたのに。


「顔は関係ないだろう」


「関係あります! えー、そうなんだ……実はモテなかったりしました?」


「誘いは多い方だとは思うが、責任を取れない相手にそういうことをするものではない」


 美しい顔を持つ人間は、心まで美しいのだろうか。

 聖騎士だから、騎士道精神なのかもしれない。正直お兄様を見ていると騎士道精神なんて人それぞれだと思うが、シリル様は真面目そうだ。


「えっ純情!? ……あっ、失礼しました。その……初めてが私でごめんなさい」


「問題ない」


 短く言ったシリル様が私の両肩に手を置いて、僅かに引き寄せる。

 こうなってしまえば、照れ隠しにたくさん話していた私も、それ以上言葉を続けることなどできなかった。

 二人きりの部屋で、寝台に座っている。それだけでも限界なのに、キスまでするなんて信じられない。

 美しい顔が近付いて、胸が高鳴ってしまう。

 婚約破棄されたその日の夜なのに、浮ついているだろうか。

 それとも、これは仕方の無いことだと思っても良いだろうか。

 自問自答しながらぎりぎりまで目を開けたままでいた私は、シリル様の長い睫毛の数を数えかけ、これではいけないと目を閉じた。

 自分の唇とは違う温度の、柔らかなものが触れる。

 初めてのキスは、本で読んだような甘さも酸っぱさも無かった。ただ、胸の奥に正体不明の重石が増えた気がした。

 がちゃりと、大きな音がする。

 私はすぐにシリル様の胸に両手を突っ張って、距離を取った。


「ひ、開きました」


 慌てて俯いて、きっと赤くなっている顔を隠す。

 シリル様も同じ顔をしているのかと興味はあったが、顔を上げる勇気は無かった。


「そうだな。それで、クラリス嬢。私は──」


 それ以上シリル様の言葉を聞いていられなくて、私は立ち上がり頭を下げる。


「本当にお騒がせいたしました! 本当に、大丈夫ですのでお気になさらず!」


 素足のまま床を駆け抜け、扉の前でまた深く礼をする。


「それでは!!!」


 思い切って扉を開けて真っ白な空間に飛び込むと、そこは見慣れた自室に繋がっていた。おそらくシリル様も自室に帰ることができるだろう。

 ふらふらと寝台に歩み寄った私は、ぽすんと身体を投げ出して倒れ込む。

 全て夢だったことにして忘れてしまおう。

 布団を引き寄せて目を閉じるが、高鳴る鼓動は収まってくれない。

 私はこうして、今度こそ眠れぬ夜を過ごしたのだった。

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