なんとなく分かっていた
「──……!?」
硬直した私の前で、巨大な花束を持った男性がもぞもぞと動いている。こちらに向かってこようとしているのに、薔薇の花壇に阻まれているようだ。
その異様な光景から、目が離せない。
「今の言葉は──っ、待ってくれ。今そちらに行く。すまないが通してくれ」
言葉と共に、薔薇の木の間が割れていく。そこにはまるで最初からそうであったように、自然な通路ができていた。
私は花束を抱えた男性に心当たりがあった。
というよりも、他の人であるはずがない。
「そんな、嘘……」
聖騎士団の騎士服も、大きすぎる花束も知っている。
こんな無茶苦茶なことをする知り合いは、一人きりしかいない。私の前まで歩いてきたその人は、片膝をついて私に持てるか怪しい大きさの花束を差し出した。
ようやく現れたのは艶やかな銀髪と、空と同じ群青色の瞳だ。いつもの眼鏡も掛けている。
やはりシリル様だった。
感動に震えた私は差し出された花束を受け取って、ずしりときた重さにすぐに横に置いた。長椅子の上に置かれても鮮やかな薔薇の花は、丁寧に摘まれていて、棘も取ってあるようだ。
思わず花弁に触れてしまうのは、シリル様のその気持ちがとても嬉しいからだ。
この空間での時間の流れがどうなっているかは分からないが、それでもこんなにたくさんの薔薇を私のために選んでくれたことが嬉しかった。
「嘘ではない。クラリス嬢こそ、先程の言葉は本当か?」
シリル様は真剣な表情で私の瞳を覗き込んだ。
そこで私は、ようやくシリル様が私の独り言をはっきりと聞いていたことを知った。あっという間に頬は熱を持ち、恥ずかしさに俯きたくなる。
聞かれるなんて思っていなかった。
伝えるつもりではいたが、心の準備も何もできていない。
「私は」
それでも必死で顔を上げてシリル様の瞳を見つめ返す。
綺麗な群青色の瞳の中に、私がいた。
シリル様の瞳の中の空に映る私は、相変わらず華やかな美女でも、特別な人間でもない。精霊と話せるようになったとはいえ、聖女としてはまだまだこれからだ。
それでも、そんな私をまるごと好きだと言って愛してくれるシリル様に、どうしても対等に向き合って、伝えたかった言葉があった。
「私はシリル様のことが好きです……! どうか、私とけっこ──」
言葉は強い抱擁によって途切れた。
引き上げられた身体は中途半端な姿勢になってしまっているが、シリル様がしっかりと抱き締めてくれているお陰で不安はない。
「ありがとう、クラリス嬢。私と結婚してくれっ!」
シリル様の声は、嬉しくて仕方がないというように弾んでいる。
「はい……!」
返事をすると、腕の力が強くなった。
幸せだ。幸せで、心がとても温かい。
シリル様は今どんな表情をしているのだろう。
目の前の胸を手で軽く押すと、ようやく少し隙間ができた。姿勢を直し、シリル様の顔を見上げる。
「嫌だったか?」
「いいえ、違います!」
頬が赤く染まっているのは、私だけではなかった。シリル様の顔も、赤い。
胸がいっぱいになった私は、今度は自分からシリル様の腰に腕を回した。
「シリル様の顔が、見たかったんです」
胸板に顔を埋めて頬ずりをすると、シリル様が小さく笑う。
私の背中に回され抱き締める腕は、先程よりもずっと優しい。それでも逃げられないと思わされるのは、腕がしっかりと私を閉じ込めているからか、私に少しも逃げるつもりがないからか。
きっと、どちらも正しい。
「私もクラリス嬢の顔が見たい。こちらを向いてくれるか?」
今度は見られるのが恥ずかしかった。
それでも、シリル様に頼まれて断れるはずがない。
「はい……」
おずおずと顔を上げる。
きっと今、私の顔はさっきよりもずっと赤い。
耳元で鼓動が鳴っていて、どうにかなってしまいそうだ。
「──可愛いな」
シリル様がゆるりと微笑んだ。
これまでで一番甘い微笑みに、溶けてしまいそうだった。
俯きそうになったところで、シリル様の右手が私の頬に触れる。
「あ……」
導かれるままに顔を上げると、シリル様の顔が近付いてくる。
これが何かを私は知っている。二回目だから、どのタイミングで目を閉じたら良いのかもなんとなく分かっていた。
優しく触れた自分のものとは違う温度の唇は柔らかい。
ほんの短い時間の触れ合いなのに、まるごと包み込まれたような幸福感に包まれる。心が軽くて、今ならなんだってできそうな気持ちだ。
それより何より、この幸福な場所にずっといたいと思ってしまった。
どこからか風が吹いて、薔薇の花弁が舞い上がる。
風から庇うようにまたしっかりと抱き締められた。
「あの邸で会ったときに、クラリス嬢から好きだって言ってくれたような気はしていたんだ」
「嘘……!? それなら聞き返してくれれば良かったのに」
「あんな状況では、聞けるものも聞けない」
「──……それはそうですね」
互いに顔を見合わせて、笑う。
薔薇の花の影に隠れて何匹もの精霊から見られていることに気付くのは、まだずっと先のこと。






