私のことを知っているのは
「入ってくれ」
シリル様に手を引かれて馬車を降りた私は、玄関の大きな扉に向かって手を引かれた。
緊張よりも困惑の方が大きい。
自宅で何を教えるというのだ。
「えっ、ええ……?」
「大丈夫だ」
目の前で、内側から扉が開いた。家人の帰宅に気付いた使用人が開けたのだ。
中には大勢の使用人が並んで頭を下げている。
「おかえりなさいませ」
その一糸乱れぬ姿に、私の背筋まで伸びた。この人達に侮られてはいけないと、貴族令嬢としての矜持が刺激される。
相手は使用人だが、社交界でするように背筋をぴんと伸ばした。
緊張している私に微笑ましげな目を向けた高齢の執事が、シリル様に向かって一礼する。それから、これでもかというほどににこやかな顔を私に向けた。
「おかえりなさいませ、シリル様。そちらが例のお姫様ですか」
「姫……?」
疑問を口の中で呟く私に構わず、シリル様はあっさりと頷いた。
「ああ。歓迎してあげてほしい」
「勿論でございます。いらっしゃいませ! ああ……実在していて本当に良かったです!!」
今にも泣き出しそうな表情で、執事は私を邸に迎え入れた。
「実在?」
「いると言っただろう。調べていたことは知っているが」
「どんなに書類を見ていても、この目で見るまでは信じられませんとも! ああ、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、サロンでお茶でも召し上がられてはいかがでしょう」
どうも今この執事は、調べたとか、書類とか、聞き逃してはいけないことを言っていたような気がする。
話の流れからして私のことだが、そうまでして調べたというのはまさかシリル様の妻候補にということか。
「……ありがとうございます」
まさかこの場で問い詰めるわけにもいかず、私は微笑みを浮かべて礼を言った。
移動した先のサロンは、やはり上品な華やかさのある部屋だった。
案内された窓際のソファはふわりと柔らかく疲れた身体を受け止めてくれる。
「疲れただろう? ……紅茶と菓子を」
シリル様が言うと、控えていた使用人がすぐに支度のために動き始めた。
気になることはたくさんあったが、相手が使用人であっても聞かれるのは恥ずかしく、私は口を噤んだ。
だって、人前で聞けるわけがない。『この邸の人達が私のことを知っているのは、貴方が私を好きだと公言していたからですか』なんて。
紅茶と焼き菓子がテーブルに置かれ、部屋の扉は開かれたまま、見える範囲から人がいなくなる。
私が話しやすいようにとの配慮で、大きな声を上げれば聞こえる位置には控えているらしい。
紅茶を一口飲んで喉を潤して、私は思いきって口を開いた。
「ありがとうございます。それで──」
どたどたどた。
私の言葉を遮ったのは、公爵邸には相応しくない派手な足音だった。
子供のような軽い音ではない。明らかに大人の人間のものだ。
一体誰がと腰を浮かせかけたが、シリル様の方が早かった。シリル様は私の前に左腕を出して制止して、庇うように立ち上がって扉を窺う。
足音が扉の前で止まり、ごくりと唾を飲んだところで、確認の声もかけられないまま勢い良く扉が開けられた。
そこに立っていたのは、美しい女性だった。
「──シリル、お姫様がいるわよね!?」
肩で息をしてサロンに入ってきたのは、フランシーヌ・ヴァイカート様だ。
私でもその顔と名前は知っている。
年齢を正しく重ねた人間だけが持つ深い微笑みを浮かべたこの方は、この邸の女主人であり、ヴァイカート公爵夫人であり、シリル様のお母様でもある人だ。
すぐに呼吸を整えたフランシーヌ様は、私とシリル様が向かい合って座っているテーブルから少し離れた場所にある椅子に迷いなく腰掛けた。
シリル様が私の前から腕を下ろして、元々座っていた椅子に戻っていく。
「母上、今日は王妃様と茶会ではなかったのですか」
「だって。お姫様とデートだって言うのだもの。出かけるわけにいかないじゃない? 後を付けようとしたらジョゼフ様に止められてしまったの。でもこうして会えたから、やっぱり家にいて正解だったわ」
私はフランシーヌ様が言う『お姫様』が自分だと気付いて驚いた。
だってフランシーヌ様こそ、先代国王陛下の娘──正真正銘のお姫様なのだ。
「すまない、いないと思っていたのだが。……私の母だ」
「フランシーヌ・ヴァイカートです。こんにちは、クラリスさん」
今日の私は、フランシーヌ様に会えるような服は着てきていない。街でのデートのつもりだったから、スカートの丈は短めだし、ドレスですらない。
どうしよう、と迷ったのは一瞬だった。
教え込まれた礼儀作法は、こういうときに使うためのものだ。
私は覚悟を決めて、その場に立ってしっかりと礼をした。
「──急にお邪魔して申し訳ございません。クラリス・ラブレーと申します。このような格好でのご挨拶になりまして、失礼いたしました」
腰を折る私に座るように言って、フランシーヌ様は用意された紅茶に口を付けた。
「ああ、良いの。どうせシリルが無理に連れてきたのでしょう? 私のことは、気軽におかあさまと呼んでくれて構いませんからね」
「えっと、その」
この家の人は皆押しが強すぎではないか。
私が苦笑して誤魔化すと、フランシーヌ様がかっと目を見開いてシリル様を見た。






