七十六話 『机上の空論』
その白銀の獣は悠々と、まるで自分が世界の主人公であるかのように俺たちの前に立った。
何かの切り札を切ろうとしていたシンさえ、『キング』に意識を奪われる。
今までは闇のような、深淵のような黒さだった黒狼なだけにギャップが大きい。爪の先まで純白のアリスは、恋愛感情とかとは比較にならない、芸術品を見るような感じで、美しかった。
「……なぜ今になって姿を現してくれたのかしら? さっきまで自分の下の下の下の種族に擬態していたというのに」
「関係あるまい、貴様には」
少しの間、キング、いや、この呼び方はよそう、『餓狼の王』は『不死王』と睨み合っていた。
その瞳の間に交錯する感情は分からない。恐らくキングが魔王を裏切ったんだろうな、ってことしか。
「ちなみに――戻ってくる気は?」
「あると思うのか。我は誰の下にもつかない。たとえ魔王であってもな。我は、狼の王である」
「龍神は大層……怒られていたわ」
声の感じからしてキングに情を呼び掛けたのだろう。しかし、そんな戯言と鼻で笑う。
「だからどうしたというのか。まさかと思うが……我が優しい犬であるとでも錯覚していたのか?」
「随分な挑発ね。悪いけどここまで言ったらもう助けられないわよ?」
「誰が貴様に首を垂れるか」
そのとき、道路に一陣の風が舞った。そう表現するのが一番正しいだろう。速すぎた、俺たちの目では到底追えない。
「……なんでこの攻撃が防げるのかしら」
「舐めるな、屍」
餓狼の王が、不死王の一撃を軽く爪で止めている。
「逃げろ、貴様ら。貴様らには少々荷が重い。離れていろ、邪魔だ」
「な――!」
「人間と会話など、余裕ね!」
餓狼の王の周りを高速で回って攻撃してるのは分かる。だがそれらの全てをほとんど動きもせずに捌いている。すっご……! 俺たちはその剣舞のような戦闘に見入ってしまう。
だけど、何か変だ。こう、妙に気にかかることがある。うまく言葉にできないが。
「しゃあないわ、アーロン。ここは餓狼の王に任せて俺らは別んとこに――」
「待って」
「何やシン」
「なんか変だ」
シンもそうか。
「なんで餓狼の王は攻めてない? 俺の勝手な予測だけど、多分あいつはアリスの体じゃ全力が出せない。それを気遣っているから……この十分ぐらい攻めきれない」
「ちょっと俺も感じた。余裕の表情してるけど防戦一方だ」
「アホか自分ら! あの戦いの中足踏み入れたらホンマに邪魔や! 今は引っ込んどき」
キンとひときわ大きな音が響く。餓狼の王の爪に、いつの間にか作った剣のようなもので切りかかっている。
「加速魔法はそれで終わりか?」
「ええ、ですけどあなたも大変そう。完全体になればいいのに。魔力も使ったらどう?」
「……黙れ」
大きく爪を振りかぶる。だが、それを待っていたかのように不死王は動き出す。
「ッ――ッ!」
「残念ね」
不死王の手に持った長剣が煌めき、大きく隙のできた横腹を掻っ切ろうと、した。
する寸前、耳を劈く爆発音。それによって一瞬、ほんのコンマ一瞬だけ動きを阻害できた。ギリギリで餓狼の王は回避できる。
「……礼を言おう。シン」
「別に、アリスが傷つくのが嫌なだけだ」
「して、なんで貴様らも」
「いや、お前今死にかけてたじゃん」
「アリスを勝手に殺すなや。任せよ思てたけどやっぱやめた」
化け物共の横にただのA級冒険者三人が並び立つ。この二人からすれば微々たる戦力。だが――
「あまり人間を舐めるなよ。魔獣ども」
「静かにしてたら寿命が延びたのに。残念な子供たちね」
「……足は引っ張るなよ。貴様ら」
「はっ、弾避け肉壁大歓迎だ」
それで勝てる可能性が少しでも増えるなら、な。
★ ★ ★
始まりの合図は、シンが持っている大型の魔導具からの爆発音だった。何かを高速で発射している、だけどそれはあんまり効いてない。だったら――
「『グラビオル』」
餓狼の王の重さを軽くし、不死王を重くする。まずはこれでデバフ、バフを掛ける。そして戦闘に参加だ。
始まって思ったのは、さっきの速さは恐らく加速魔法。素の速さはそんなに大したことじゃない。しかし使ってくる魔法が実に厄介極まりない。
風刃と炎を主に使ってくるのだが、これで中々近づけない。超高温だから近づくだけでもアウトだ。重力で避けたいけどその程度じゃ焼き尽くされる。
しかも離れたら風刃が襲ってくる。正直これを避けるだけで精一杯だ。
「まだ全然本気じゃないわよ」
そして不意に来る雷や土槍。これを食らってしまう。でも雷は何をさておき全力で避けなければ死ぬ。というか何かを食らって動きが止まった時点でアウト、コンボを叩きつけられる。
「ああ! ほんっと理不尽だなぁおい!」
シンの爆弾も混ざった魔導具攻め、ラルフの捨て身のような特攻、俺の重力に餓狼の王の猛攻を合わせても勝機が見えない。ダメージすら入らない、ジリ貧だ。
「シン! なんか策ないん!」
「あるわけないだろ! 強いて言うならこいつが周りに張ってる結界が軽減型ってだけだ!」
「……だろうな。魔法、物理、両方に結界を張っている。これで無効型じゃ無敵だ」
「それが分かってもどうしようもないんじゃない?」
ああそうだ! どうしようもない。このままだとラルフから順に脱落してく。今もラルフは風刃を何度も食らってやばいのに。戦線維持できてるのが不思議なくらいだ。
俺らも最初に受けたダメージが大きい。今こそ興奮で痛みを忘れてるけど動きに支障が多少出る。
何か、何か一発逆転の策を――!
どうしたら動きを止められる、これだけを考えろ。どれだけの犠牲を出しても、動きを止めたら餓狼の王が致命的な一撃を入れられるかもしれない。しかもこれしか勝ち筋がねぇ!
いや、待てよ? 動きを止めるだけ、ただそれだけを突き詰めるなら――!
「ラルフ、シン! 一旦戦線離脱だ!」
俺の全力の叫びに呼応して、素直に従ってくれる。今まで攻撃にも割いていた意識を完全に回避へとシフトし、範囲外へと逃げる。
「どしたん? なんか策でも思いついたんか?」
「ああ。今からそれを説明する。時間はないからよく聞け」
「ん」
今俺たちがギリギリでも生きていられるのは、四人の中での警戒度がマックスの、餓狼の王に意識が向いているからに他ならない。俺たち三人だけじゃ一分も持たないだろう。
「このままじゃ餓狼の王もいつか決壊する。その前に、警戒度の低い俺たちがアクションを起こすぞ」
回復しているように見せかけながら話を進める。
警戒度の低い俺たちなら、捨て身の作戦でも死にはしない。それを見越した逆転の目だ。
「あいつに近づいて、三人同時に飛び掛かるぞ。その一瞬で筋力強化を使われない限り餓狼の王が仕留めてくれる。そして奴なら、その一瞬を見逃さない」
「正気かアーロン?」
「飛び掛かるて……自殺行為やろ」
「だが! 今ここでアリスを見捨てて逃げない限り、俺たちに生き残る道はない! しかも、十中八九大丈夫だ」
その一瞬で、予想外の行為に対して反撃できるとは思わない。思いたくない。
「なら……やるか」
「ほな、死なんようにな」
「俺が合図する。絶対に合わせろ」
英都防衛戦終了まで残り24時間半。




