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七十四話 『餓狼の王』

 冷たい目でこちらを見下ろしてくる怪物を毅然と睨み返す。一瞬、気を抜いただけで死んでもおかしくない。


 一撃目はラルフが守ってくれたけど、多分あの威力じゃインビジブルソードは壊れてる。


 故に、自分を守るものは自分だけ。悪いがシン、アリス、ラルフ、俺にお前らを守る余裕はない。



 実時間にしたら数秒、しかし途轍もなく長い静寂のときは破られた。アリスの声によって。



「キングガ……絶対に逃げろと言っているんですガ……」



 その一言で現実に引き戻される。幸い声は小さく、あっちには聞こえてないようだ。全員視線すら変えなかったのも幸運だった。



「やけど、この状況やったら逃げられへんやろ。少なくとも、全員は」



 前をみたまま、微塵も話していることを悟らせないようにして話す。傍から見れば膠着状態に見えるはずだ。


 もしかしたら浅ましい抵抗を死にゆくものへの慈悲で見逃してくれているのかもしれないが。



「なんならアリスだけを逃がす?」

「出来ませン!」

「やろうな」



 ここで、思いついた唯一の策を提案する。これが心情的にも一番納得しやすいだろうし。



「ここで、時間稼ぎをしつつ、S級の助けを待つ。これが現状一番最善じゃないか?」

「時間稼ぎ? あの化け物にできると思ってんか?」

「出来る出来ないじゃない。やらなきゃ死ぬ。それ以外に道はない」

「……確かにな。せや、そうしよう」



 話は終わった。今の膠着状態はベスト。助けを呼ぶ手段もないからとにかく時間を掛けなきゃいけない。



「最期の話し合いは終わったかしら」

「わざわざご丁寧に待っててくれておおきに。俺らがあんたを倒す手段を講じてるって思わんかったん?」

「あなた……実力差って、知ってるかしら」



 ずん、と、比喩じゃなく空気が重くなった。恐怖、畏怖、それらの感情が体を動かすのを徹底的に拒否する。呼吸すら上手くできなくなる。まさに、格が違う。



「同格ならまだしも、圧倒的な差は小細工、工夫、増援なんかじゃ揺るがない。弱者が強者に勝つというのは奇跡じゃない――」



 音もたてず地面に降り立つ。隙だらけのように見えるその姿も、何故か攻撃が通るような気がしない。なまじ強くなればなるほど、見えなかった差が見え、ありえないほど天井だと理解してしまう。


 前言撤回だ、時間稼ぎ? 不可能に決まってるだろう。



「夢見がちな弱者の、幻想よ」



 隣から空気が吐き出される音がする。一番最初に体を動かせたのはラルフだった。



「ハッ! 自分より弱い者と戦ってこなかった奴の自論やな。よう分かったわ。……やけどな、あまり、人間を、舐めんな」



 ラルフが一歩を踏み出す。俺らのリーダーとして、恐怖に打ち勝ち怪物に牙をむく。



「来い! お前ら!」

「「「ああ!」」」



 ラルフの剣が肉薄する。一瞬遅れて俺の蹴りと、シンの爆弾が飛来する。視界の端ではアリスが裏を取ろうとしてるのが目に映る。緩慢になった世界の中で、奴は微動だにしていない。



 当たる、と確信した。





「ふっ、小賢しい」



 怪物が俺らの攻撃を鼻で笑った。恐怖に染まった心に怒り、という感情が生まれた瞬間。全身が焼けつくような痛みを感じた。


 視界が明滅する。尋常じゃない痛み、今まで、迷宮やホーンラビットに食われたとき、どれよりも激しい痛みが俺を襲う。


 脳が直接焼かれ、永遠と続くかのように蝕む。



「いだいっ! あっづいぃいぃ!」



 周囲の情報がシャットアウトされ、ただ苦しむ。必死に地面に肌をこすりつけ、何度も何度も搔きむしる。止まれ、あっづい! 痛い痛い痛い、死にたい! 殺せ! 


 人格が変わり、狂うほどの痛み。全身の血液が沸騰している。



 何十分、続いただろうか。荒い呼吸をしつつも、やっと周りが見えるぐらいに回復すると、周囲ものたうち回った後が広がっている。ボロ雑巾のようになった仲間が転がっていた。


 恐る恐る自分の肌を見てみると、焼け爛れたあとが何か所にも、広い範囲に渡って付けられている。異次元の攻撃だ。今でも筋肉がピクリと動くたびに叫び声をあげそうになる。



「この……」

「バケモンやな……」

「……死ね、くそったれ」



 その言葉と共に、突如、耳をつん裂くような連続した物凄い爆発音がする。



「「シン?!」」

「どうだよ、マシンガンの威力は」



 剣と魔法の世界に似つかわしくない轟音を立てながら重兵器が炸裂する。見たこともない魔導具だが、見た感じ弾を発射してるのか?



 すると、カチッと音がし、轟音が鳴り止んだ。怪物の周りの土をも抉り、土埃が舞っている。これは、どうだ?


 煙が晴れ、姿が露わになる。



 ……嫌な予想が当たったな。



「あらあら、初めて見る攻撃ね。新手の魔導具かしら?」

「…………なん……だと?」



 無傷で、なんの危機感も抱いてない化け物がそこにいた。あり得ない、半端じゃない威力のはずだ。



「切り札は切り終わったかしら?」

「……なんで……?」

「悪いわね。頑張ったんでしょうが、私に攻撃は通らないわ」



 大人しく死になさい、と奴は言う。


 俺たちの攻撃を羽虫のように振り払い、異次元の速度と威力、痛みの魔法を当ててくる。もはや、勝ち目は……ない。



「ちょー待てや。まだ俺は折れてへんで」

「あ? ラルフ……?」

「アーロン、勘違いすんなや。まだ、俺たちは死んでへん。まだ、生き足掻ける。まだ、勝ちの目は残ったんで」



 ボロボロの体に鞭打ってラルフは立ち上がった。信じられない、狂気の沙汰だ。俺なんて力を入れた瞬間倒れ込むぞ。



「あなた……正気じゃないわね」 



 怪物も戦慄した目を見せる。



「生憎と俺だけやない。ここにいる全員、正気やない」

「死ぬ気でやれば私を倒せると? それは自身の過大評価ね」

「やろうなぁ」



 言葉の時間稼ぎの間に、シンが苦しそうな声を上げながら立ち上がる。


 アリスも、黒狼の力を駆使して、痛みを堪えて立ち上がる。


 俺も、頑張れよ。限界を越えろ。



 力は入らない。ならば、重力を使え。

 全身を前に持ち上げるように調整する。ゆっくりと操り人形のように、ゆらりと起き上がる。



 対して、奴は一切の容赦なく魔力を集中させていく。足掻け。せめてもの抵抗で殺気を込めて睨みつける。



「あら? あなたは何をしているの?」



 チラリと後ろを向くと、シンが懐から懐中時計を取り出していた。時間? 何のために?



「ラルフ、ごめん、俺は先に離脱するや」

「……何やと?」

()は勝つぞ、化け物め」



 憎々しげに不思議なことを言い放つシン。

 奴が警戒レベルを上げ、シンに魔法の矛先を向ける。


 刹那。シンが何かをするのが先か、謎の強力な魔法が炸裂するのが先か。



 後者に決まってんだろ!



「『グラビ――」

「待て!」



 耳に響く大声。その声は全ての注意を惹きつけるようだった。結果、場が血みどろになるようなことにはならなかった。



「「「アリス?」」」



 いや、多分分かっていた。一切の訛りがないその声は、アリスのものではない。



「キング?!」



 こっちはアリスか。アリスは乗っ取られたのか……?



「キング?」

「その者たちを殺すのは待て、と言ったのだ。聞こえなかったのか愚者め」



 俺たち三人は、アリスの姿に呆気に取られた。


 いつもの黒い毛皮ではない。白銀の毛がアリスを包んでいる。



「ああ、ようやく会えたわね」



 戦いが始まってから初めて恍惚とした感情を露わにする。それは再会した恋人のようで――それが表すものは一択だ。





「『餓狼の王』、さん」

「虫唾が走るな、『不死王』」



 英都防衛戦終了まであと25時間。

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