62 慰労会
王家が主催する『七カ国連携に関する慰労会』はアレシアを中心としている。アレシアの他には各国との提携に奔走した外務部の職員、護衛を務めた軍人、各地への水の配給の計画を進めた裏方業務の担当者たちが集められていた。
慰労会の冒頭で国王陛下からアレシアとその他の者たちにねぎらいの言葉が贈られた。
アレシアはいつもの通りに青緑色のローブと厚手のベールでマークスと共に挨拶に来る人たちの対応に追われていた。
参加している人たちの中にはこちらに配慮して顔から視線を外してくれる人もいれば、ベールの上から顔を見極めようとさりげなくこちらを何度も見る人もいた。そういう人はすぐにマークスの冷酷な視線と怒りのオーラで慌てて退散することになった。
「疲れたか?休憩にしようか?」
「大丈夫ですよ殿下。もう少し頑張りますよ。もう少ししたら退出しても失礼にならないでしょうから。え?あれ?私なにか変なことを言いました?」
「いや、変ではない。ただ、まるで何度もこういう場に参加したことがある人のような口ぶりだから不思議だと思ったんだ」
「そうかな、と思っただけです。このような華やかな場所はもちろん初めてですよ」
軍務大臣が寄ってきてアレシアに挨拶をした。
一番の脅威だったファリルを周辺六カ国との連携で抑え込めていることへの感謝を述べてから「少々殿下をお借りいたします」と、まるで婚約者か妻に断りを入れるような口調でマークス殿下を連れて行った。
(殿下とのこと、このままではいけないわよね)と思う。殿下のことは嫌いではない。むしろ好ましいと思う。どこまでも大切に扱ってくれる優しい人だ。
ただ前世で王に信じてもらえず処刑されたことが忘れられずに自分が足踏みしているだけだ。こんな状態を申し訳なく思っている。殿下には何ひとつ罪も責任もないのだ。
(王宮に足を踏み入れるのにも慣れたわ。以前はあんなに嫌だったのに。もう前世の嫌な記憶は克服しつつある、のよね?)
しばらくしてマークス殿下が戻ってきた。
「アレシア、もう十分だよ。退出しよう」
「はい。そういたします」
二人でそっと大広間を出た。護衛の兵士四人も同時に広間を出た。すると外で待っていたらしい美しい令嬢が足早に近寄ってきた。
「殿下!」
「オリエラ、久しいな。今日はどうした?ジブリルならまだ広間にいるぞ?」
オリエラと呼ばれた令嬢はアレシアの方に笑顔のまま視線を向けた。だが、殿下に向ける笑顔とは違って妙に視線が刺々しい気がした。
「魔法使い様、初めてお目にかかります。宰相補佐ジブリルの娘、オリエラでございます」
「オリエラ様。初めまして」
「お名前を教えてはいただけないのでしょうか?」
マークスがスッと間に半身を差し込んだ。
「オリエラ、魔法使い殿は名を明かしていないのだ」
「まあ、お顔も見せてもらえずお名前も教えてはいただけないのですか?」
「そうだ。すまないな。では失礼する」
そう言ってアレシアの肩に指先を置いて立ち去ろうとした時、オリエラが横からアレシアのベールに素早く手を伸ばした。護衛兵たちは宰相補佐の娘だったので腕を乱暴に払うことを避けて間に割って入るだけにとどめた。結果、指先でつかまれたベールはオリエラの手に。
「あっ」
「何をする!」
アレシアのベールを剥ぎ取られ、マークス殿下は怒りを滲ませてオリエラに詰め寄り、護衛たちはオリエラを取り囲んだ。この殺気立った声と気配が扉を全開にしたままの広間にも伝わった。なんだなんだと扉の近くにいた数名の参加者が通路に出てきた。
マークスは素早く自分の上着を脱いでアレシアの頭から被せた。そして
「オリエラを拘束せよ。あとで話を聞きに戻る」
と言ってアレシアを促してその場を離れた。
通路には腕をつかまれたままブツブツとつぶやくオリエラが残された。見ていた人に知らされたか、宰相補佐ジブリルが走ってきた。
「オリエラ!なぜここにいる!」
だがオリエラは呆然とした顔で下を向いたまま返事をしない。
「オリエラ!どうした!」
ジブリルは娘が右手に握りしめている物に気づいて護衛兵に目を向けた。
「オリエラ様が魔法使い様から剥ぎ取りました」
「なんてことを。オリエラ、お前は病気なのだ。さあ、家に帰ろう」
「拘束せよとの殿下のご命令です。兵舎で殿下がお戻りになるまで拘束させていただきます」
「……そうか。娘は病人だ。できれば手荒なことはしないでほしい」
兵士たちはそれには返事をせずにオリエラを両側から腕をつかんで連行した。通路に出てきた大勢の人間がその一部始終を見ていた。
「アレシア、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。驚いただけで」
「オリエラがあんな無礼なことをするとは。必ず厳罰に処する。二度とアレシアには近づけない」
ベールを剥ぎ取られたこと自体はどうってことはない、とアレシアは思う。ただ、あのときのオリエラの必死な表情が気になった。馬車に乗ってからも忘れられない。
「殿下、私の覚悟が中途半端だったのです。隠すから見たくなるのでしょう。暴力を振るわれたわけではありませんし。もうベールはやめます。同じことが続いてまた別の誰かが同じように咎められるのは……」
「だが、顔を知られたら不自由になるだろう?」
「殿下は以前『つらいことも嬉しいことも僕の進む道の上にある』とおっしゃいましたね。ならば私も『不便なことも嬉しいことも私の進む道の上にある』と思って生きていこうと思います」
一年以上も前の自分の言葉を口にするアレシアをマークスが見る。その言葉が本音なのかどうかを見極めるように。
「そうか……アレシアがそう望むのなら。では今までは護衛を目立たないように配置していたが、今後は皆に見える形で守らせてもらう。煩わしいだろうが、安全のために堪えてくれ」
「ご配慮をありがとうございます。それと、オリエラ様への処罰は不要です」
「アレシア……」
「あの方は心を病んでいるのかもしれません。そんな気がしました。彼女の表情にあったのは憎しみよりも悲しみのようなものでした」
その悲しみの原因は自分と殿下の関係だろう。中途半端なまま毎日のように一緒に行動していることが、あんな行動を取らせた原因ではないか。
その頃、大広間では全員がヒソヒソ話をしていた。
「オリエラ様が連行されていたな?何をしたんだ?」
「見なかったのか?魔法使い様のベールを剥ぎ取ったんだよ」
「はあ?なぜそのような失礼なことを」
「失礼というより暴挙だろう。それより、チラリと横顔を拝見したが……」
「ああ、美しかったな。醜いなんて大嘘じゃないか」
「横顔だったが、柔らかな雰囲気の美しい方だった」
マークスはアレシアを農園まで送ってから王宮に戻った。
兵舎で待っていた宰相補佐とオリエラの親子に「オリエラの罪は問わない」とマークスが告げると、宰相補佐ジブリルは自分の耳が信じられないような顔をした。
「アレシアが『顔を隠せば見たくなるのが人情だから罪に問わないでほしい』というのだ。ただ、オリエラは医師の診察が必要だ」
「診察させ、病気と診断されました後は必ず人を付けて療養させます。二度とご迷惑はかけないことをお約束いたします。この御恩は決して忘れません」
「ジブリル、仕事を辞めることは許さん。引き続き我が王家と王国に仕えよ」
「殿下、全身全霊で仕えさせていただきます。ありがとうございます」
宰相補佐は父親の顔になって涙をこぼしていた。
診察の結果、オリエラはやはり心を病んでいると診断されて療養生活に入ることになった。





