55 私、魔法使いなので
「アレシア、そろそろ火から下ろさないとお鍋が焦げそうよ」
「あっ!いけない!」
慌てて鍋を火から外した。
考え事をしていて危うく煮込みが焦げ臭くなるところだった。今夜は父の好物のスパイスたっぷりの羊肉の煮込みなのに。
「大丈夫か?水を入れる仕事がきついんじゃないのか?」
「ううん。あのくらい全然なんともないわよお父さん」
「殿下からもくれぐれも無理をしないように言われてるぞ」
「大丈夫大丈夫。あの倍だって余裕よ」
その夜「念のために早く寝るね」と言って自分の部屋のベッドに横になったものの、眠れない。
気になる。王宮の隠し部屋。今の王家の人々はその存在を知っているだろうか。反乱が起きた時、王宮に突入した民たちはあっという間に王族も上位貴族も処刑してしまったと図書館の本に書いてあった。
つまり、隠し部屋の存在を知っていた人たちは全員がある日突然殺されたはずだ。今の王家はあの部屋を知らないでいる可能性が高い。
万が一、反乱時にあの隠し部屋に逃げ込んだ人がいたら?遺体は見つけられることなく何十年も放置されてるとしたら?
今あの隠し部屋を知っている人間はおそらく自分だけだろう。隠し部屋を作った職人はおそらく寿命が尽きているはずだ。平民の寿命は長くない。
(もしかしたらあそこに忘れ去られた遺体が眠っているかも。私が知ってる人かも)と一度疑ってしまうともう、頭から離れない。しかし開けて中を確認したくても、なぜ自分が隠し部屋を知っているのか説明することができない。愚かな妄想とわかっていても気の毒な遺体を家族の元へ送り届けてやりたいと想像に想像を重ねてしまう。
最初は『もしかしたら』という思いつきだったのに、狭い隠し部屋で餓死した人が横たわる様子がどんどんはっきりと脳裏に描かれてくる。もはや隠し部屋を確認しないのは靴の中に入った小石を取り除かずに歩くくらい気になる。
なので翌朝、樽に水を入れた後でエドナ殿下に面会を申し込んだ。
「相談てなあに?アレシアちゃん」
「殿下、笑われることを覚悟で申し上げますが、王宮の中で時折り微かに良くない気配を感じることがあるのです。気配が微かなのでおそらく私が足を踏み入れたことのない場所だと思うのです。殿下に王宮内を見学させていただくという形で……」
「まあ!良くない気配?それはぜひ解明しないとならないわ!」
エドナ殿下は住み慣れた王宮を探検することに興味を持ったらしく、目をキラキラさせて私を見つめている。
ちょっと計画と違った。
怖がられるくらいで丁度いい計画なのに。
計画と違うけどやっぱり隠し部屋の中を確認したい。靴の中の小石は取り除きたいのだ。
私と殿下、侍女さんの三人で出発した。
まっすぐ隠し部屋には向かわず、わざと遠回りしたり引き返したりしながらジワジワと隠し部屋に向かった。今は西塔の三階だ。隠し部屋はもうすぐ、というところで通りかかった部屋の扉が開いてマークス殿下によく似た少年が出てきた。少年はちらりと私を見てから声をかけてきた。
「あれ?エドナ。どうした?」
「モーシェ兄様!今ね、アレシアちゃんが王宮内で悪い気配が……」
「エドナ殿下、私の気のせいかもしれませんので!」
「悪い気配?それは聞き捨てならないな。君があの魔法使いか。僕も参加していいか?」
私の計画とだいぶ違ってきた。どうしよう。
王子殿下王女殿下のお二人と侍女さんを引き連れて隠し部屋の捜索なんてするはずじゃなかった。私は靴の中の小石を我慢すべきだったか。
もし古い遺体が何体も転がっていたら、どうしよう。お二人に失神されてしまうかも。エドナ殿下お一人なら私が中を素早く確認して「殿下にはとてもお見せできません!」と言うつもりだったが、モーシェ殿下まで参加されてしまってはその方法が使えるかどうか。
モーシェ殿下のお顔を見つめながら頭の中であれこれ考えていたらモーシェ殿下が悲しそうな表情で「だめか?」とおっしゃる。……ええい、私の計画と違うが仕方ない。
「もちろん大丈夫でございます」
ここは西塔の三階の端。二つの扉がくっついて並んでいる。左の扉を指差して開けてもらう。そこは普段使われていないようだ。棚がいくつか並んでいて、椅子やテーブルが白い布をかけて置かれていた。入って左の、外壁に面した壁の中に隠し部屋があるのだが。
「アレシアちゃん、ここ?ここから悪い気配がするの?」
「はい」
私は覚悟を決めて左手の壁に近寄る。そしてじっと眺める。目的の隠し部屋の入り口の前には棚が置いてあった。殿下お二人のワクワクした表情と侍女さんの訝しむ視線を感じる。
「この本棚を動かします」
「僕がやろう」
私よりずっと大柄なモーシェ殿下が空っぽの棚を両手で持ち上げてどかしてくれる。
昨夜から記憶を何度も確認したから隠し部屋の扉の開け方は覚えている。開け方をなぜ知っていたと聞かれたら「私、魔法使いなので」、これで押し切るのみ。
下から三番目のごくわずかに色が違う壁の石をしゃがみこんでズズッと両手で押し込む。すると数歩右に位置する床板の一部が少し浮き上がる。その床板を持ち上げて外し、中の石を踏む。壁の中からゴトッという音がした。それから最初に押し込んだ石の上の方を全力で押すと、人一人がようやく入れるほどの面積の壁が奥に引っ込んだ。これを左にずらせば中に入ることができる。
「おお!アレシアはこんなことまでわかるのか!」
「はい。私、魔法使いなので」
私は体重をかけて引っ込んだ壁の一部を左に押した。
下に付いている戸車がゴロゴロと重い音を立てる。入り口が現れた。背後にいる三人の視線を遮るように私は上半身を入り口に入れて素早く中を見る。
が、自分の身体で入り口を塞いでいるせいで暗く、ほとんど何も見えない。
少し下がって光を入れようとしたら、なんということ。モーシェ殿下が素早く頭を突っ込むという事態。そして殿下の叫び声。
「うわあああっ!!」
ああ、計画と全然違う。





