54 水の配給とイゼベルの活躍
枯れつつある井戸を国の兵士たちが取り囲み、その周囲を平民たちが何重にも取り囲んでいる。
みんな何が起きるのか詳しくはわかっていないまま野次馬見物に出てきたのだ。兵士たちは民衆を追い払うことはしない。「押し寄せたりしないように」とだけ注意をしている。
やがてひときわ立派な馬車が到着して、中から青緑色のローブを着て頭からすっぽりベールを被った女性が降りてきた。女性は兵士に誘導されて人垣を割って作られた場所をスタスタと歩いてくる。
「今から魔法使い様に水を出してもらう。各自容器を家から持参するように」
そう兵士が告げるがほとんど誰も動かない。皆、魔法使いが水を出す所を見たいのだ。魔法使いは数十年生まれていないからほとんどの者が魔法を見たことがない。
それでも近所の何人かは走って水瓶を抱えて戻って来た。
「これにお願いします!」
「はい。では入れますね」
声が若い。最近登録されたという魔法使いは若い女性らしいとあちこちで囁かれる。
ローブの女性が水瓶に向かって手を差し伸べる。
「はいどうぞ」
手のひらから水が流れ出るのかと思ったが違った。水瓶の持ち主が中を覗き込む。すでに中は水で満たされていた。片手を差し込み、すくい上げてひと口飲んだ。驚きの表情で周りの人間に叫んだ。
「おい!とんでもなくうまい水だぞ!」
その声を聞いた民衆の多くが走って水瓶を取りに家へ向かった。
やがて水瓶を抱えて戻って来た人々は兵士たち数人を残して魔法使いが消えているのにガッカリしたが、山積みの樽を見て安堵した。
「魔法使い様はこの樽に水を入れてもう次の井戸に向かわれた。足りなければまた水を出してくださるから安心するように」
アレシアの出す水が治癒効果があることはしばらく伏せられた。水の取り合いになることを心配したのと、水に不自由していない地区の人間まで集まることを防ぐためだ。
それでも「魔法使い様が出す水はとんでもなく美味しい」という噂はたちまち広がり、日に日に水を貰いに井戸に集まる人数は増えた。
「あんまり集まると危ないな。王宮で樽に水を入れてもらって、それを運ぶことにしよう。水がたっぷり配られることと魔法使いが助けてくれることは十分民に伝わったはずだ」
マークスが役人たちにそう告げた。
アレシアは王宮でもベールを被っていてその顔を見られる者は限られている。
彼女は簡素な普段着でたくさんの出入り業者と共に野菜を積んで王宮に入り、用意された部屋でローブ姿に着替えてから水を樽に注ぐ。あっという間に膨大な数の樽に水を満たす作業は終わり、見守る王宮の人々は彼女の底なしの魔力に驚いていた。
魔法使いは毎朝王宮の中から現れてまたすぐいなくなる。「王宮の奥に住んでいらっしゃるのだろう」と使用人たちは噂していた。
農園では農園の柵の外側を取り囲むように国の手により桑の苗木が植えられつつある。雨の範囲は農園をかなりはみ出して降っていたので、雨を活用するためだ。
どうせ農園はこれ以上広げる予定はなかった、今の広さで手一杯だとセリオは笑った。
魔法が使えるようになってもアレシアが眠ると雨が降るのは変わらなかった。アレシアにもどうやって止めたらいいのかわからない。意識がない時のことだから魔力を操作できないのだ。魔力が有り余っているのだろうと思うしかない。
「私の雨で育った桑の葉で蚕を育てれば誰が織っても絹布の効果は同じはずです」とアレシアに言われ、マークスの指揮で養蚕の担い手と絹織物の織り手が募集された。農園の外側の桑の木を利用して織り上げられる絹は国の所有物である。アレシアにも異存はない。
農園を取り囲む桑畑は表向き「我が国初の絹織物に用いられる」とされて国の兵士が守ることになった。農園は結果的に多くの兵士に守られることになった。
イゼベルはたくさんの絹布と共にメダマバエの病が広がる地域に向かっていた。国の仕事に関わることだったがイゼベルは快諾した。
「貧しい人たちが苦しんでるんだろう?それならアタシの仕事だからね」
現地では絹本体に力があることを悟られないよう『これは魔法で作られた薬』とされた水に絹を浸してから目に使う方法を取った。
わずかな時間の湿布で爛れた目が綺麗に治っていくのを見た乳幼児の親たちはイゼベルを拝み礼を述べたが、イゼベルは毎回必ずそれをやめさせた。
「違う違う。アタシは魔法使い様の水薬を使っただけだよ。拝むのはやめとくれ!治ったのは魔法使い様のおかげだから!アタシじゃないから!」
・・・・・
「ごめんなさいねアレシアちゃん、水を出すのに忙しいんでしょ?でも短い時間でもこうして会えるのは嬉しいわ」
「私も殿下にお会いできて嬉しいです」
「エドナって呼んでったら。もうアレシアちゃんは国の大切な魔法使いなんだから!それにしても良かったわ。アレシアちゃんがファリルなんかに取られないで済んだもの」
「え?」
アレシアが驚いているのを見てエドナ王女が事情を察し、急ぎ人払いをする。
「ファリル王国がアレシアちゃんを渡せって言ってきたの、聞かされてないの?」
無言でうなずくアレシアにエドナの顔が少し険しくなる。
「まったく。お父様たちはどうして伝えないのかしら。本人には知らせるべきよ。あの人たち、とにかく女は守られていればいいと思ってるところがあるから……」
詳しく説明されてからのアレシアはエドナ殿下との会話が上の空になってしまった。
(大金貨五百枚?私を引き渡さない代わりにそんな大金がファリルに払われたの?そのお金は全部民が納めた税金では?私が水を出して絹を使ってもそんな大金が他国に渡るなんて、差し引きで大損をしてるんじゃないの?ああもう、悔しい!)
アレシアは自分の価値を正しく把握できていない。
短時間のお茶会を終えて平民用出入り口から馬車に乗り、平民に変装した護衛たちに守られながら農園に帰る。
近所の人たちは農園のことを「王妃様お気に入りの果物を育てる高級な農園」と思っている。最近は国の桑畑が周辺に作られて世話をする人が募集された。働き口が新たにできて貧民街の住人は潤っている。
アレシアは鶏に野菜屑を与えながら考え込んでいた。大金貨五百枚。途方もない額だ。あの男、本当に嫌なやつだったがファリル王国も大概だ。
「悔しい。アイツはイーサンに大怪我させたのに。こっちだって請求すべきじゃない?おかしいわよ」
その時、鶏が乗って休むように作られている棚板の陰に卵がひとつ転がっているのを見つけた。
「なんで巣箱で産まないかなぁ。隠したってどうせ見つけられちゃうのに…………ん?んんっ?」
誰かが同じこと言ってたような。
ふっと前世のある場面が思い出される。
細長く天井が低い部屋。何の装飾もなく、床も壁も石が剥き出しの寒々しい部屋を見せられている自分。
大洪水が起こる数年前。
自分の婚約者だったあの王がその部屋に入る方法を説明しながら同じことを言ってなかったか。
『こんな部屋を造ったって、いつまでも隠れていれば飢えて死ぬ。それに敵が王宮まで入ればどうせ見つけられるのに。だがまあ、宰相は心配性だからな』





