52 大金貨五百枚
注)文中の大金貨の価値は一枚百万円くらい。五百枚で五億円くらいの価値となっています。
アレシアが魔法使いの登録を済ませた一週間後。ファリル王国からラミンブ王国に書状が届いた。
『ラミンブ王国の人間が国境の関門を通らずにファリル王国に不法に入り込み、ファリルの農民の家々を襲って金品、食料などを強奪した』という内容だった。
王宮の文官が書状を届けたファリルの使者に「強奪した者がラミンブの民である証拠はあるのか」と尋ねると「捕まえた犯人が自白した」という。
すぐ国王陛下に伝えてほしいという相手の言葉を聞いた文官は(わざわざ陛下のお耳に入れる話か?)と思いながら書状を読み進め、文末に記されている被害総額を見て飛び上がらんばかりに驚いた。
「大金貨五百枚相当?農民の家を荒らしただけでどうしてそんな被害になるんだ!」
「その地区の農民の女は長い冬の農閑期に織物をするのです。ゴダール織りです。絹を使い精密な模様を描く超高級品です。それらの完成品を根こそぎ奪われただけでなく、織り手の名人が複数人、大怪我をさせられてゴダール織りの仕事ができなくなりました。よって損害額が大きくなりました」
文官は詳しく話を聞いてから返事を保留にし、数日後を指定してもう一度王宮に来るよう伝えた。そしてその足で外務次官に報告に行った。
報告を聞いた外務次官は
「またずいぶん大袈裟ないちゃもんを付けてきたな。どうせこれは嫌がらせで、別件の政治的な何かについて譲歩をねだるのが目的だろう」
と言いつつ書状を読んだ。
「政治的なことではないのですが、あちらが言うには『大金貨五百枚の代わりにとある少女を引き渡しても良い。ヘルード殿下が遊学中に農民の少女をお気に召したようだ』と申していました」
「はっ!農民の少女を欲しいからとこんな持って回ったことを?何を考えてるんだファリルの連中は!」
「少女本人と親には一応了承を得なければなりませんが、農家の娘がファリルの王族に気に入られたのなら大変な出世ですね」
これはもう少女を差し出すことで決定だろうと思いながら外務大臣に報告した次官だったが、報告を聞いていた大臣はなぜかギョッとした顔でこちらを見る。
「少女の名前は?」
「アレシアという者だそうです」
外務大臣は椅子を後ろに倒すような勢いで立ち上がり
「陛下にご報告申し上げてくる!」
と叫んで大臣室を出て行った。次官は口を半開きにしてそれを見送り(え?なんでだ?)と大臣が出て行ったドアを見た。
国王の執務室。
「なるほど。大金貨五百枚か。また絶妙に腹立たしい金額だな。出せなくはないが『はいそうですか』と差し出す金額でもない。外務大臣、減額できないか交渉だ。ヘルードの件は何かしら仕掛けてくるだろうとは思っていたが。まったくあの国は……」
イザヤル国王をげんなりさせたこの件は意外なルートでエドナ王女の耳に入った。
外務次官が文官に「お前、アレシアという農民の少女を知ってるか?何かで有名なのか?」と尋ねたのだが、近くで働いていた事務方の女官はアレシアの名前を知っていた。
彼女の従姉妹はエドナ殿下付きの侍女を務めていて、アレシアという少女のことを話してくれたことがあった。
従姉妹曰く
「王妃殿下のお気に入りの果物を納めている農園の娘でエドナ殿下の大変なお気に入り。王宮に呼び寄せて会うのを楽しみにしていらっしゃる少女」
だそうである。
女官は仕事をしているふりをしながら聞き耳を立てていた。その日の夕方に仕事を終えると彼女は従姉妹の所に向かい、事の次第を伝えた。
従姉妹の侍女はわずかな時間悩んだが、すぐにエドナ殿下に「噂で聞き及んだ事ですので不確かな事ではございますが」とその話を耳打ちした。
「なんですって!あの男が?そんなこと絶対に許さない!」
普段はにこやかで優しく愛らしいエドナ殿下が激怒したのを見て侍女は驚き怯えた。
「そういうことをしそうな男だと思ってたわ。よりによってアレシアちゃんを差し出せですって?くうううううっ!」
最後は怒りのやり場がなくてハンカチを噛みつつ地団駄を踏むエドナ殿下に侍女はオロオロする。
「お兄様の所に向います!」と部屋を出た殿下の後から慌てて侍女が付いて行った。
エドナは生まれた時から王宮の皆に心から敬愛されて育った。だからこそ相手の好意が本物か作り物かを見抜くことができた。ヘルードの愛想の良さは笑顔も声音も態度も全てが作り物だった。
作り物の愛想は王宮の外の人間からも向けられていたが、それは媚びへつらいだ。だがヘルードの愛想はほんのわずかな時間を一緒に過ごしただけでエドナの頭の中の警鐘が危険を知らせて盛大に鳴り響いたものだ。
エドナはヘルードが夜中に農園を探っていたことも農園でイーサンに大怪我させたことも知らされてなかった。
それでも(あの男はだめ。絶対にだめ。絶対にアレシアちゃんをあの男に渡してはだめ)と思いながら足早に兄の執務室へ向かった。
「マークス兄様!」
兄の執務室のドア前に立つ護衛を無視してドアを開け、ババン!と音がしそうな勢いで部屋に入ったエドナだったが、部屋には仕上がった書類を整理しているギルしかいなかった。
「ギル、お兄様は?」
「殿下は陛下の執務室に向かわれました」
「お父様の?ヘルードがアレシアちゃんを渡せって言ってきた件?」
「殿下、誰からそれを?」
常日頃政治的な話に参加させてもらえず悔しい思いをしていたエドナは
「フフン。わたくしとて王族の一人。そのくらいの情報を手に入れる手段を持ち合わせているのです」
と見栄を張った。
ギルは(おそらく口の軽い女官からでも聞いたんだろうな)と思ったが
「さすがでございます。感服いたしました」
と頭を下げた。エドナ殿下はすぐに体よくあしらわれたことに気づいた。
「ギル、あなた心にもないことを言う時、ほんの少し唇が歪む癖があることに気づいていますか?王太子殿下の従者としてはまだまだね」
エドナはそれだけ言うと今度は父の執務室を目指した。
残されたギルは思わず自分の口の周りを触って(ほんとに?歪んでる?)と心配そうな顔になった。
 





