46 侍女頭エイタナ(1)
侍女頭のエイタナはその日の予定を書き込んである手帳を眺めて眉をわずかに寄せた。今日はエドナ殿下のご友人が王宮にいらっしゃる。王妃殿下のお気に入りの農園の娘だそうな。
エドナ殿下と平民が親しくされるのは悪影響があるのではないかとやんわり意見を申し上げたが、王妃殿下は「全く問題ない。賢い娘さんよ」と笑っておっしゃる。だがエイタナは今日の接客は本日のエドナ殿下担当のミミルには任せず侍女頭の自分が取り仕切ることにした。
(賢いと言っても農民は農民。エドナ殿下に失礼なことをするかもしれない)
そう構えていたエイタナだったが野菜や果物と一緒に厨房脇の出入り口に降り立ったアレシアを見て考えを改めた。十四歳と聞いていたが、表情と物腰に品がある。エイタナが挨拶すると上品に腰をかがめ、伏し目がちで挨拶する所作が美しい。
「本日はお招きいただきまして感謝しております。アレシアと申します。殿下に失礼の無いよう務めさせていただきます」
挨拶する声を聞いてエイタナの心の池に小石が放り込まれたような気がした。小さな石が心の池に波紋を広げる。はるか昔にどこかで全く同じ声を聞いたことがなかったか?
(そんなわけはない。この娘はどう見ても十代。はるか昔に会話したことなどあるはずがない)
そう思い直して仕事上の笑顔を作り、アレシアをエドナ殿下のお部屋まで案内する。
案内しながら角を曲がるたびにさりげなく後ろを歩くアレシアなる少女を観察するが、姿形に全く見覚えはなかった。部屋に案内すると駆け寄って抱きつくようになさるエドナ殿下はとても嬉しそうだった。こんな笑顔は滅多に見ない。
同年代の令嬢との会話ではいつもは受ける側に立つエドナ殿下なのに、はしゃいであれこれとアレシアに話しかけている。アレシアは少し低めの声でゆったりと返事をしていて同い年の友人と言うより姉と妹のようだった。声はやはり聞き覚えがあるような気がするが、勘違いと決めつけて気にしないことにした。
「お茶でございます」
最高級のお茶は香り高く王宮か高位貴族の家でしか口にできない高価な茶葉だ。その美味しさにきっと驚くだろうと思って見ていたが、アレシアは優雅にお茶を楽しんでいるだけだった。そのアレシアがこちらの視線に気づいたのか、チラリと自分の方に顔を向け、また伏し目がちに「とても美味しいです」と言って微笑んだ。
「でもアレシアちゃんのおうちで飲んだお茶のほうが美味しかったわ」
「そんな、あれは庶民が飲むごく普通のお茶ですから。このような高級品とは違いますよ」
「ううん。アレシアちゃんの家のお茶は本当に美味しかったの。まろやかで色も綺麗だったし香りも良かった。茶葉を分けてもらいたいと思ったくらいよ」
アレシアは苦笑している。
そんなことがあるわけがない。農民の家の飲み慣れないお茶だから珍しかっただけだろう。
壁際で控えて視線を外し、耳だけで二人の会話を追っていたが、ふと視線を感じてそちらを見る。しかしお二人は楽しげにおしゃべりをしている。気のせいだったか。
殿下がアレシアの好みの宝石を尋ねて、アレシアは「宝石なんてひとつも持っていませんので好みもありません」と答えている。
「ひとつも?じゃあ、私のをひとつ贈らせて!こうやって仕事の時間に来てもらってるんだもの」
それはまずい。それはだめだ。平民に王女殿下がご自分のアクセサリーを与えるなど。慌てて止めしようとしたが、その前にアレシアがきっぱり断った。
「殿下、お気持ちだけ頂きます。宝石を頂いてしまえば私はもうこちらにお邪魔することが出来なくなります。宝石欲しさに来るのだろうと考える人が出るかもしれません」
「そんな人、放っておけばいいのよ」
殿下が珍しく怒ったような口調だ。
「いいえ。そんな者と親しくしているのかと殿下が陰口を言われたら嫌でございます。それに、宝石を頂いても身につけて行く場所がありません。私は市場か図書館しか出かけませんので」
ほほう。
王妃殿下がおっしゃるように賢い娘のようだ。宝石に目がくらんで喜んで受け取るかと思ったが。
エイタナはそろそろ二杯目のお茶を淹れて差し上げようとティーポットを持って二人に近づき、そこで初めて正面からアレシアの顔を見た。自分をじっと見上げるアレシアの目を見つめ返して思わずポットを落としそうになった。しかしそこはこの道数十年のベテランの体が意識しなくともティーポットを支えて落とすことはなかった。
「ありがとうございますエイタナさん。とても美味しいお茶ですね」
この声。そして忘れるわけがないあの不思議な瞳。夏の空のような青い瞳に散らばる金の星。
なぜ過去にこの声を聞いたことがあるような気がしたか、今わかった。あのアウーラ様と全く同じ声だった。低目の落ち着いた柔らかな声。
同じ声。同じ瞳……。
顔も体つきも髪の色も全く違うけど、この人はアウーラ様だ。直感がそう告げていた。
エイタナは集中していないと震え出しそうな己の手指に力を入れて内心の動揺を隠した。壁際に引き下がり、膝までがガクガクしそうになるのを必死に隠した。
(ああ、神様。あなたは全てご存知なのでしょうか。ご存知の上で私をお試しになっていらっしゃるのでしょうか)
誠実であることを誇りとして生きてきた我が人生の、唯一にして巨大な汚点。親兄弟にも決して言えず、何十年が過ぎても己の心を締め上げてくる記憶。いまも時折り夜中に脂汗をかいて飛び起きる悪夢の源。そのアウーラ様にそっくりな声と瞳の娘が数十年を経て自分の前に現れるなんて。
意識してないとグズグズと座り込んでしまいそうな恐怖を堪えている間にも二人の少女の会話が続いている。
「じゃあ、何か他のものでもいいわ」
「では、お許しいただけるのなら王宮の図書室で本が読みたいのですが」
「ええー?それじゃアレシアちゃんとおしゃべりできないじゃない」
「あ、そうでしたね」
既に話題は変わっていた。





