36 メイール
セリオ農園の周囲は、敷地をはみ出して降る雨のおかげで牧草や雑草が茂っている。
水と食べ物に飢えている荒れ地の動物たちにとってここは豊かな食堂だ。トカゲ、蛇、ウサギ、ネズミ、キツネ、野生の馬やラクダまでが草と雨、または獲物を求めて夜に集まる。
あるオスのピューマは王都のはるか西の森の縄張り争いで怪我をした。身体の大きなそのピューマは怪我をしてからは縄張り争いに負け続けてここまで流れてきた。
今ではここがピューマの縄張りだ。ここでは水と獲物に不自由しない。
その日、獲物を求めてきた農園に、夜はいないはずの人間が何人もいた。ピューマは人間を恐れていたから最初の一人をやり過ごし、後から来た人間もやり過ごそうと草の中に伏せていた。なのに最後尾を歩いていた人間が自分に気がついた。
その人間は捕食者に目をつけられた動物独特の「恐怖の匂い」を撒き散らした。
ピューマはその匂いと自分から逃げようとした動きに誘われ、本能に突き動かされて飛びかかった。後ろから脚にガブリと噛み付いてその人間を押し倒した。
「うわああっ!」
メイールの悲鳴にマークスが振り返ると大きなピューマがメイールを組み伏せて脚に噛み付いていた。
「ヨアヒム、追え!」
走り出したヘルードらしい人物をヨアヒムが追いかけて行き、マークスは剣を抜いてピューマと向かい合った。
噛み付いたまま唸り声をあげていたピューマはやがて残念そうにメイールの脚から口を離して少しずつ距離を取り、やがて闇の中に消えて行った。
「メイール、大丈夫か!しっかりしろ!」
「殿下、申し訳ありません」
太い血管を傷つけたらしくわずかな月明かりの下でメイールのズボンはどんどんどす黒く色を変えている。血の匂いが強く辺りに漂う。マークスはシャツを引き裂いてメイールの膝下をきつく縛り、彼に肩に貸して励ましながら柵をくぐって農園の建物を目指した。
「誰か!手伝ってくれ!」
声が届く場所まで来て叫ぶと明かりがついてランプを掲げた人が走ってくる。メイールは出血が多過ぎたのかガタガタと震え始めた。
(まずいな)
「どうしました?」
「怪我人だ。ピューマにやられた」
「殿下ではありませんか!」
セリオとナタンが加わり男三人でメイールをセリオの家に担ぎ込んだ。メイールは意識が朦朧としていたが、ついにガクリと首を垂れて意識を失った。と、雨音が止んだ。
寝巻き姿のアレシアが出てきて長椅子に横たわっているメイールを見るとすぐに白い布を持ってきた。
「殿下、これを使います!」
「それは……頼む。すまない」
アレシアがメイールのズボンをまくり脚に白い絹布を巻きつけると白い布がみるみる赤く染まる。少ししてそっと布を外すと、傷ひとつない脚が現れた。
「すげえ!」と起きてきたイーサンが驚き、セリオは「ここまでとは」とつぶやく。女たちは一様にホッと安堵の息を吐いた。どうやら農園の人々は実際に絹布の効果を見るのは初めてのようだった。
「メイールになんと説明すべきか」
「あ、そうでしたね」
メイールは意識を手放したままだ。
ナタンが
「ピューマに襲われて失禁したことにしましょう」と言いながらメイールの血だらけのズボンを下着ごと脱がせ、「とりあえず今はそれしかないわね」
とイルダとベニータが手早くセリオのズボンにはき替えさせた。みんな迷いがない素早い動きだった。
「殿下も着替えないと。血が付いてます」
アレシアに言われて引き裂いてある上に血も付いているシャツを脱ぎ、セリオのシャツに着替えた。血の付いた布や衣類はアレシアによって手早く隠された。
少ししてドアが激しく叩かれた。
「殿下!ヨアヒムです!ご無事ですか!」
ドアの外から声がかけられてマークスが急いでドアに向かう。
「こちらは問題ない。メイールは無事だ。あいつはどうした?」
「逃げられました。申し訳ございません」
「そうか。ドアの外で見張っていてくれるか?アイツが来たらすぐに知らせろ。僕は農園の人たちと話がある」
「はっ」
「夜中に騒がせた。実はこの農園を探る者がいたんだ。僕たちは彼を追いかけてここまで来た。彼はとんでもなく厄介な人物なんだ。この布のことを探っていたのかもしれない。彼は……彼の父親が出てきたら我が国は抵抗できないくらいに厄介なんだ」
話を聞いたアレシアは少し首をかしげて
「おそらくその人物が探っていたのは布のことではないと思いますが」
と言う。
「なぜそう思う」
「こんな時間に外から探っていたのなら布のことは知らないんだと思いますよ。知っていたら昼間に来て私たちを探るはずですもの」
アレシアはずいぶん冷静だった。





