34 夜の追跡
本日2回目の更新です。
王妃が全快してから二ヶ月。
王宮内は雰囲気が明るい。
マークス王子は周辺諸国の最新の動きを報告する書類を読み終えて閉じた。父である陛下から「お前も頭に入れておくように」と言われて渡されたものだ。
「我が国があの国から見逃されているのは貧しさ故だろうな」
あの国とは北の大国であるファリル王国である。
ファリル王国は豊かな森林資源と水資源を持つ国だ。ここ二十年ほどのファリル王国は軍の増強に力を入れていて、今の国王の代になってからは周辺諸国を次々と従えて巨大な国となっていた。
国が巨大化すれば目が行き届かない場所が出てきそうなものだが、ファリル王国は四人の王子がいて、王子たちは皆優秀らしい。今は国を四つに分割して国王と三人の王子がそれぞれ自分の地区を治める磐石の布陣だ。
「四番目が我が国に遊学に来たのはどういう目的か」
大国から「第四王子がしばし滞在するのでよろしく頼む」と言われれば弱小国の我が国が断る選択肢は無い。
わずか八名の護衛と共に我が国にヘルード第四王子が来たのは先週である。ヘルード王子は入国初日から市井の見学に出歩いている。王宮内ではあまり人付き合いをしていないようだ。遊学の意図が今もわからないのが不安だ。
彼は十八歳で自分と同い年だが、大柄なせいか三つ四つ自分より年上に見えた。北のファリル王国に多いとされる金髪に青い目で顔は華やか。王宮内で働く女たちは彼の見た目のことで騒いでいるようだ。
「あれ?」
窓の外に動くものが見えた。目を凝らすと庭の木が植えられている場所を縫うように動いて闇に紛れ込んだのは大柄な男である。かがり火にほんの一瞬照らされたのは濃い灰色のフード付きのコートのような。おそらくヘルード王子だ。
「こんな夜中に護衛も付けずにどこへ行くんだ?」
単なる散歩ならいいが、そうではない場合は厄介だ。マークス王子は素早く立ち上がって部屋を出た。
部屋の外に立っていた不寝番の護衛が二人、無言でこちらを見る。
「一緒に来い」
「はっ」
走って一階に降り、最短距離で庭に出るために広間の窓から外に出た。護衛たちも無言で付いてくる。足音を消して早歩きでヘルードを追っていると、前方に大柄なヘルードの姿が見えた。
一定の距離を保って追跡する。真夜中の人けのない街の中をヘルードは確たる目的地があるように進んで行く。貴族たちの住宅街を抜け、商業地区を抜け、平民たちの居住地も抜けてヘルードは今、家賃の安いいわゆる貧困地区を歩いている。
マークスの心の中に嫌な予感がし始めた。
この先はあの農園だ。もしやヘルードはあの農園を目指しているのではないだろうか。
「いや、この国に来たばかりの他国の王子があそこに行くはずは……ないと思いたいが」
そう思っていたがヘルードの足は速く、貧困地区を抜ければもうあの農園である。
夜の雨が降ってきた。細かい優しい雨だ。この辺りに雨が降ることは何年も前から知られていて、あの農園もそれを利用していると農園の者たちは言っていた。雨のことが話題になった時に国の調査が行われたが、雨の原因ははっきりしなかった。範囲が広すぎて人為的な物とは誰も思わなかった。
「やや窪んでいる地形のせいで淀んで冷えた空気が空中で結露を作り弱い雨を降らせているのでしょう」
と学者は言っていた。
魔法の可能性を尋ねたが「前代未聞の実力者だったアウーラでさえ、あんなことができたかどうか」「あれだけの面積に毎晩魔法で雨を降らせたら寿命を削ることになる」「貧民街や貴族街、商業地区にも降っている。寿命を削ってまで魔法で雨を降らせる理由がない」という答えだった。
マークスは砂に埋もれた農園もアレシアたちの農園も雨樋を利用している点に注目していたが、周辺の貧民街や農家もいつのまにか当たり前に雨樋を利用して水を溜めていた。砂に埋もれたあの農園とセリオ農園に共通性を感じているのは自分だけのようだ。
やがてヘルードは農園の門の前に立っていた。あの農園の門は手作りの簡単な木の門で、内側からかんぬきがかけてあるだけだ。外から手を伸ばせば誰でも開けて入ることができる。
「あれは不用心だな。作り直すよう注意しなくては」
真夜中にここに来ているヘルードを見てそう思う。しかし農園を囲っている柵も大らかな作りで、悪いことを考えている奴が入ろうと思えばどこからでも入れそうだ。
(なんとか手を打たないと危ないな。農園にはあの絹布があるのだろうし)
ヘルードは農園を眺めただけで少し引き返す。マークスと護衛たちは見つからないように辺りの民家の陰に隠れた。
ヘルードはそのまま農園の柵から距離を取り、農園を回り込むように歩く。そのうち荒れ地に出た。左手は農園、それ以外は乾燥した荒れ地だ。ヘルードは進むがマークスはためらった。この先は身を隠す物がない。暗い夜だが振り返られたらおそらく見つかる。
(荒れ地に入り込んでどうするつもりだ?)
最後の民家の陰に立ったまま見ていると、ヘルードは農園から一定の距離を取ったまま農園の柵に沿って歩いている。次第に彼の姿が小さくなる。
「行くぞ」
「しかし、丸見えになりますが」
「それでもいい。彼が農園に入り込むようなことがあったら困る」
今夜の月は糸のように細い三日月だ。月明かりが頼りにならない暗い中を一人で歩くヘルード。今歩いている辺りは雨の境界線なのではなかろうか。
(やっぱりあいつ……)





