28 アルさんからの手紙
ドナさん、アルさん、ギルさん、私の四人で農園を散歩している。
本当はドナさんと二人だけで歩きたかったけれど、「妹から離れるわけにいかないんだ。許してくれ」とアルさんが譲らなかったのだ。
「わあ鶏!」「ポンカがびっしり実ってる!」「ネクタで枝がしなってる!」「あっ!桑の実があんなに!」
ドナさんがはしゃいで走り出した。そしてポンカの木の根元の柔らかい土に足を取られて前のめりにドシャッと派手に転んだ。
「殿下っ!」
ギルさんが叫んでアルさんと二人で駆け寄り、アルさんが抱き起こした。
「えへへ。思い切り転んじゃった」
笑って起き上がるドナさん。
(殿下?今、殿下って言った?)
心臓はバクバクしていたけど聞こえなかったふりをしてドナさんの怪我を確認した。膝と手のひらにすり傷ができていた。うっすら血が滲んでいるけれど大したことにはなっていなくてホッとした。急いでドナさんを家に連れて行き、水で傷を洗い流して家で一番清潔そうな布を巻いた。
また農園を見てからたくさんの果物と自家製のジャムをお土産に渡して、三人が帰る時刻になった。
「今日はとても世話になったね」
「いえ。このくらい」
「ドナが迷惑をかけて申し訳なかった。後日お詫びをさせてくれ」
そうアルさんが言ったので、すかさず小声で答えた。
「いいえ。とんでもないことでございます殿下。知らなかったとはいえ、今まで大変失礼いたしました。お詫びなど恐れ多くて受け取れません」
深々とお辞儀をして顔を上げると、アルさん、いや、王子殿下が悲しそうな顔をして私を見下ろしていた。
「アレシア、身分を偽っていた。すまない」
「わかっております。殿下、今までありがとうございました」
それを聞くと殿下は何か言いたそうに口を開いたが、そのまま何も言わずに口を閉じ、もう一度「すまない」とだけ言って帰って行かれた。
・・・・・
エドナ王女の手のひらと膝の傷はすぐに侍女に見つかり、上に報告された。「王女殿下はお昼寝をなさっています」と嘘の報告をした侍女は侍女頭に呼び出された。
その後、マークス王子も王妃に呼び出された。
「マークス。呼ばれた理由はわかりますか」
「はい。エドナを連れて王宮の外へ出かけました。申し訳ありません」
「それだけではありません。あなたは逆らえない立場の侍女に嘘をつかせましたね」
「……はい」
エドナを赤ん坊の頃からお世話をしていた侍女は、今回のことで当分の間、部署変えとなった。
「あなたは情に流されたのです。『このくらいいいだろう』というあなたの判断でエドナに何かあったら、到底あなた一人では責任を負えないのですよ」
「……申し訳ございません」
「農園に行ったそうね。エドナが頼んだのでしょうし、あなたはあの子を楽しませたかったのでしょう。でも二人の王族が従者を一人しか連れずに出かけることなどあってはならないことです」
「はい」
「今後このようなことがあれば、あなたの行動を欠かさず監視する者を付けなければなりません。ギルも従者から外すことになります」
「……もうこのようなことは致しません。申し訳ございませんでした」
部屋に戻ったマークス王子はアレシアに手紙を書き、自分の正体を偽ったことを謝る手紙を書いた。そして『農園はとても楽しかった。食事も美味しかった。今までありがとう』と書かれた手紙がギルによって農園に届けられた。
マークスは農園に何度も通ったが、雨に関して取り調べを命じることはなかった。己の身分を明かして水の由来について彼らを取り調べたら、彼らは再びあの農園を捨てて消えてしまうだろうと思った。それは王族として「失敗」だと判断した。
逃げられないように監視して調べる方法もあっただろうが、それが正しい王族のやり方とは思えなかった。彼らは何ひとつ法を犯してはいなかったのだ。彼らは勤勉で優しく誠実な農民で、王家が守るべき大切な民だった。たとえあの中の誰かが魔法使いだったとしても届け出ないことは犯罪ではない。
「王子とわかった途端、アレシアは明らかに避けていた。あれは遠慮などではない。迷惑だと、来てくれるなと。民に避けられる王家、そんな王家であってはならないのに」
十五歳のマークスの心にこの時の思いは深く刻まれることになる。
・・・・・
その夜、私はアルさんことマークス王子殿下からの手紙の内容を両親に話した。両親はしばらく言葉が出なかった。
「驚いた……母さんはアルさんのことをお金持ちの坊ちゃんなんだろうと思っていたの。まさか王子様だったなんて」
「父さんはあの年の兵士があんな上等な馬を支給されるものかなとは思ったが。いや、こんなこと……」
「ねえお父さん、王子殿下がわざわざいらしたのはうちの農園を探ってたということかな」
「うーん、そうかもしれないが、あの笑顔は嘘じゃないと思ったがな。ただ、政をする側の方だから……」
「母さんはね、王子様ならみんなを逃げられないようにしてから雨のことを聞き出すことだってできたと思う。でもそうはなさらなかった。それに、怪しんでる場所に大切な王女殿下を連れてくるかしら。最初は何かを疑ったかもしれないけど、怪しいところは無いと判断なさったんじゃないかしらね」
しばしの沈黙の後、父がテーブルを見たまま言葉を絞り出した。
「アレシア。もし何かあったら父さんと母さんのことは考えずにお前だけで逃げろ。俺たちが時間を稼いでいる間に荒れ地を通って馬で逃げ出せ。イゼベルさんのところに行って、そこから先は様子を見てから遠くに逃げるといい。イゼベルさんにはそのための金を渡しておく」
「私たちの幸せはあなたが元気で幸せに暮らすことよ。それだけは忘れないで」
こんな善良な両親を見捨てることなんて私にはできない。私が兵士の追跡を振り切って馬で逃げられるとも思えない。
「お父さん、お母さん、もしかしたら今の王家は私たちが思うより怖い人たちじゃないのかもしれないわ。殿下は真面目で優しい人に見えたよ?慌てないで少し様子を見ましょうよ」
私が眠らないことには雨は降らない。私を利用したいのなら殺すことはないのだ。
しかしその後、何ヶ月も過ぎたが農園が取り調べを受けることはなかった。
今回のことがあってから万一に備えて私は一家で他国に逃げることも選択肢に入れるようになった。
(行き先は……ファリル王国は無しだわ)
北のファリル王国は前世の私が大量の水で押し流した兵たちの国だ。ファリルはここ二十年ほどの間に軍事大国になっている。逃げるとしたら東の隣国バルワラ王国だろうか。
だからバルワラの言葉を図書館で学び始めた。バルワラはラミンブ王国よりも雨が多いから不自然な雨がバレにくいかもしれない。
それともう一つ。この国には助けたい人々がたくさんいる。私は私の力を知られても逃げ出さずに済む手段を探すようになった。





