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2 新しい住人

「ナタンじゃないか。こんな朝早くに突然どうしたんだ。どうしてここがわかった?」

「セリオ、助けてくれ。息子が、イーサンが死にそうなんだ」


 ドアを細く開けて隙間から対応していた父のセリオは、ここで初めてドアを大きく開いてナタンという男の人の背後を見た。ナタンの後ろに立っている彼の妻らしい人がぐったりした様子の子供を抱いていた。傍らには痩せこけたラクダが一頭立っていた。私はそれを物陰に隠れたまま見ていた。


「とりあえず中に入れ」


 父は三人を招き入れて子供を長椅子に寝かせ、銅のコップに水を汲んで子供の口に近づけた。イーサンの唇はひび割れていて張りのない肌をしていたらしい。イーサンの濃いめの茶髪は汚れ、緑の目には生気がなかった。


 上半身を起こされて水の入ったコップを口にあてがわれたイーサンは、パチリと目を開けると両手でコップを持ってゴクッゴクッと一気に水を飲み干した。


「今すぐにミルク粥を作るから」


 母イルダが部屋の隅にある台所に立って今朝絞ったラクダの乳を温め、そこに茹でてあった麦を加えてかき混ぜた。少しの塩と蜂蜜を加え、ボウルによそって運んだ。


 自分たちもまず水を飲ませてもらったナタンの妻ベニータが、ミルク粥をスプーンですくってフウフウと吹き冷ましてから口に近づけると、イーサンは母親からスプーンをもぎ取るようにして自分でミルク粥をガツガツと食べた。食べ終わるとイーサンは眠ってしまった。



「ありがとう。助かった。俺たち、もう何日もろくに飲み食いできてないんだ」

「イーサンにはなるべく食べさせるようにしていたけれど、ついに食べ物が底をついてしまって」


 それを聞いて母が素早く台所に立ち、たっぷりの食事をテーブルに並べた。


「アレシア、大丈夫だよ。出ておいで」

 

 人が来たら隠れるようにしつけられている私は、父に呼ばれてやっと食料棚の奥から姿を現した。



「やあ、君がアレシアだね?僕は君が生まれた時に隣に住んでいたナタンだよ。寝ているあの子はイーサン。君の二歳年下だ。こっちはイーサンのお母さんのベニータだ」


 私は両親以外の人を自宅で見たのは初めてで、こういう場合になんと答えればいいのかわからない。困って父の後ろに隠れた。


「アレシア、こういう時は『こんにちは』って言うんだよ」

「こ、こんにちは」

「こんにちはアレシア」


 ベニータさんに微笑まれて私はまた父の後ろに隠れてしまった。


「ナタン、ベニータ、まずは食べてくれ。それからなぜ君たちがここに来たのかを話してほしい」


 ナタンとベニータは最初こそ遠慮がちに食べていたが、やがて勢いよく食べ始めた。母は大人たちには胃に負担がかからないミルク粥とスープで柔らかく煮込んだ鳥肉と小麦団子、蜂蜜を入れたミルク茶を出していた。


 私は部屋の隅で母の手作りの人形を抱きながら、大人たちの会話をじっと聞いていた。


「実はしばらく前に市場に出かけた時、お前を見かけたんだ。お前はとても元気そうで、運んでいる野菜も立派だった。だから不思議で、その、どこに住んでいるのか知りたくて、お前の後をつけた。すまない。実は、俺達が住んでいた地区の井戸がしばらく前から枯れ始めてるんだ」


「つけたってお前なぁ。それに、弱ってる子供を連れてここまで来たのか?無茶をする。で、枯れてきてる井戸は一箇所だけか?」


「そうだ。あのあたりはもう、作物に与える水どころか最近では飲み水さえまともに手に入らない。汚れた水で病気になっている貧乏人は医者にもかかれないから、病気の子供や老人が増えている。だが他の地区は俺たちを受け入れてくれなかった」


「まあ……」


 母は両手の指先を口に当てて悲しげな声をあげた。


「あの地区はもう水が足りないから作物だってまともに育たない。だがお前が運んでくる野菜や果物は新鮮で水々しい。なあセリオ、隠し井戸があるんだろう?この家の周囲は青々とした野菜や果樹が元気に育ってるのに湧き水が見当たらない。ということは隠し井戸があるんだろう?」


「隠し井戸なんかない。井戸があることを隠したら打ち首だ。そんな恐ろしいことをするもんか。俺たちにはアレシアがいるんだぞ?」


「じゃあ、どうやって作物や果樹を育てているっていうんだ?」


 父は深く息を吐いた。

 恐れていた日がついにやってきたのだ。

 こうなることを恐れて父は人目につかない砂漠に住まいを移したのに。


(もっと早く水枯れの情報を手に入れていればなんとかごまかしたのに。なるべく人と関わらないようにしていたのが裏目に出て水涸れの話を聞き逃してしまった)


 父はこの時そう悔やんだらしい。



「あなた、ナタンさんたちにここで暮らしてもらいましょうよ」

「イルダ……」

「自分たちだけが幸せならいいなんて思っていたら、神の怒りに触れてしまうわ」


 母は私を育てるようになってから信心深くなっていたそうだ。

 固唾を呑んで自分たちを見つめているナタン夫妻に向かって、父は事実の一部だけを話した。


「ここに家を建てて住むか?信じてもらえるかどうかわからんが、ここには本当に泉も井戸も無い。ただ、ここは、この土地だけは、毎晩雨が降るんだ」


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書籍『砂漠の国の雨降らし姫1・2巻』
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