第十九話 突然の別れ
ハイバリー号はオール・ハロウズ号を伴い、赤い大陸から旅立った。
予定通りに密林の国の片田舎の町に寄港し、数日間の滞在の後、二隻の海賊船は帝国領へと向かった。
別に特におかしなことも起こることはなく、航海は順調。二月余りが過ぎた。
このまま目的地の島へと辿り着くのは時間の問題だった。
そんなある夜のことだった。
スクードはいつものように、大部屋で皆と共にハンモックで仮眠をとっていた。
見張りは常に持ち回りで、二日に一度、一時間毎にひとりずつ担当することになっていた。
その夜は、彼の当番がくる日だった。
船医のイェンスがスクードのハンモックを揺すった。
彼はすぐに目を覚ますと、準備を整えた。
「かなり寒いぞ。完全防備していけよ」
「分かった」
他のクルーを起こさないように細心の注意を払いながらコートを着込むと、大部屋を後にした。
甲板に出た途端、身を切り裂くほどの冷気に襲われた。
スクードは身を震わせると、コートの襟を立ててから、マストを登り始めた。
高いところは更に風がよく通る。
目を開けているのも辛いほどの強風に辟易したスクードは、ゴーグルを下ろしてから見張りを開始した。
その日は曇りで、月もたまに顔を出すくらい。時折、雪なんかもちらつき始めていた。
彼が海賊の手下となってから、早いもので一年以上。今まで長いこと見張りをしてきたが、大体は何も起こらない。
ごく稀に夜行性の魔物に攻撃されることはあったが、ほとんどトラブルなどはなかった。
だからだろうか。
少し油断していたのかもしれない。
無心で暗闇の荒海を眺めていた。
その時だった。
視界の端に、光を捉えた。
次の瞬間、船体が大きく揺れた。
スクードは危うく見張り台から落ちそうになるものの、なんとか縁を掴んで体を繋ぎ止めた。
光が放たれた方に振り返ると、そこには真っ白い塊があった。
流氷にぶつかった?
一瞬そう思った。
だが違った。
暗闇に浮かび上がる白い塊は、船だった。
帆にはドクロの両脇に翼を広げたジョリーロジャー。
認識した瞬間、再び閃光が走ったかと思うと、海面から水柱が上がり、船体が大きく揺れた。
「砲撃だ!!」
スクードが伝令管に怒鳴りつけた頃には、既に甲板には海賊達が飛び出してきていた。
「なにやってんだ!? 見張りは誰でさぁ!」
暗闇からアンドレの怒号が聞こえた。
スクードは直ぐ様、マストのロープを滑り降りた。
「すまねぇ!」
「スクードか、バカ野郎が!」
アンドレの一喝が飛ぶと同時に、背後の扉からトマシュがコートを羽織りながら現れた。
「お頭! あれ!」
アンドレが指差した方向に向かってトマシュが身を乗り出した。
それは、これまでずっと連れ立っていた
「オール・ハロウズ号でさぁ!」
「ふざけんなよ? なんだっていきなり」
トマシュは目を疑った。
まさかユーゴーが裏切るなんて、思ってもみなかった。それほどまでに今のユーゴーは、トマシュの信用に足る人物となっていたはずなのに。
突然の攻撃砲撃だけではなかった。
巨大な船体がハイバリー号に向かってぐんぐんと近付いてくる。船上では、ビアンコパーシーのクルー達が武器を手にしている。
全員が真っ赤な瞳を輝かせ、今にも襲い掛からんといきり立っているのが見えた。
「……タコ共め。マジで戦るつもりかよ。野郎共! 総員戦闘準備! 迎え撃つぞ!!」
戦いは避けられない。トマシュの全力の号令がハイバリー号を駆け抜けた。
「あいあいさー!」
全員一斉に持ち場に向かって駆け出した。
「すまねぇ、本気で気が付けなかった。俺のせいだ」
早足で歩くトマシュの後を追いながら、スクードが謝罪を口にした。
「気にするな。気が付く訳がねぇ。ついさっきまでお手て繋いで航海してた連中が裏切るなんざ、海の女神でも分からねぇだろうよ」
「一体あいつらどうしたんだ? 様子もおかしいぞ?」
スクードはビアンコパーシーのクルー達へと視線を向けた。
まるで闇夜に潜む狼の群れの如く、燃える瞳がこちらを睨み付けている。
異常。そう言い切れる様相だ。
「そんなこと俺が聞きたいぜ。右舷、弾幕を張れ! これ以上近付けんなよ!!」
スクードには目もくれず、トマシュは歩き回りながら鋭い指示を飛ばしていた。
「すまねぇ! 俺も戦う!」
スクードがそう言った瞬間だった。
トマシュが不意に振り返った。
「スクード。ルチルを呼んでこい」
鋭く、しかし静かに、そう言った。
「ルチル? なんでだよ。戦闘じゃ足手まといだぞ?」
トマシュの意図が汲み取れない。スクードは異論を唱えた。
が、聞こえてないかの様にトマシュは続けた。
「救命挺を下ろせ。ここはもう目的の島の目と鼻の先。ここからなら小舟でも辿り着けるはずだ」
「いや、意味が分かんねぇぞ」
無論、スクードは抗議の声を上げた。
「分からないか? お前らはクビだっつってんだよ」
「は? ふざけんなよ!」
トマシュの言葉に、スクードは激昂して詰め寄った。
しかしトマシュは臆する様子もなく言い返した。
「海戦じゃあお前らは役立たずなんだよ! さっさと行っちまえよ!」
トマシュが怒声をあげた瞬間だった。
彼らのすぐ側に砲弾が着弾し、甲板の一部が吹き飛ばされた。
火の手があがり、二人を照らし出した。
「さっさと行け! お前らまでここで沈められたら、誰が魔族をやっつけるってんだ! 行け! 行けよ!」
トマシュの咆哮が闇夜に木霊した。
同時に船室の扉が勢いよく開き、中からルチルが駆け出してきた。
その手には、彼女とスクードの荷物がしっかりと抱えられていた。
「準備完了でさぁ!」
アンドレの声と共に、左舷から何かが水に叩きつけられる音が聞こえてきた。
「スクード! 行くよ!」
すれ違い様にルチルの腕がスクードの首を思い切り刈り取った。
あまりの勢いにスクードの体は派手に吹き飛ばされ、甲板から海へと放り出された。
「っざけんな」
宙を舞いながら、スクードは全力で毒突いた。
しばらく落下してからスクードが体を打ち付けられたのは、着水した救命艇の上だった。
小舟に倒れ込んだ彼の頭上から荷物が降ってきて、腹の上に直撃する。それに続いてルチル本人も海賊船から飛び降りると、華麗なまでの身のこなしで救命艇に着地した。
「せんちょー達の気持ちを無駄にしないの!」
文句のひとつでも言ってやろうかと頭をあげた途端、逆にルチルに叱責された。
「るせぇ!」
スクードは跳ね上がるように上体を起こすと、船を見上げた。
ハイバリー号の背後には、巨大な白いオール・ハロウズ号がもう目の前まで迫っていた。
凄まじい破砕音が響き渡った。
何か固いものが裂けるような激しい音。
ハイバリー号の横腹から、白い衝角が突き出してきた。
「スクード! ボーッとしないの! このままじゃ巻き込まれるよ!」
ルチルはそう言いながらのスクードの背中を叩いた。
今にも泣きだしそうな声をあげながら。
「くそっ!」
俺は腹を括った。
ルチルの言う通りだ。
目の前で炎を上げる船上では、トマシュが、アンドレが、アイザックが、イェンスが、シーマンが、苦楽を共にした皆が戦っている。
だけど、皆、俺達に手を振ってる。戦いながら、手を振ってるんだ。
俺は両手を胸の前で合わせると、全力でレイスを練り上げた。
「そうだよ!」
ルチルが俺の背中にしがみついた。
「せんちょー達は負けないから! また生きて、一緒に冒険するから!」
「あぁ、また一緒に冒険しようぜ!」
俺は力ある言葉を発した。
「ヴェルウィント!」
ぶっ飛んじまうほどの突風に押されながら、俺達を乗せた救命艇は真っ暗な大海に勢いよく飛び出した。
グングンと、グングンとスピードを上げていく。
振り返らない。
海面に映る赤い炎が遠ざかっていく。
俺は、俺達は振り返らない。
「いっけぇー! スクードぉー! 気力が尽きるまでぶっ飛ばせぇー!」
ルチルの声が、闇夜に吸い込まれていった。




