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第十六話 狂人

「せんちょぉー! 追っ掛けてきたぁ!! 追い付かれるぅ!!!」


 トマシュに担がれ、ルチルは大声を張り上げた。


「追い付かれるからぁ! 私を置いて逃げてぇー!!」


 喚くルチルにトマシュも必死で言い返した。


「タコ野郎だな! お前は! お前を置いて行けるか! それこそスクードに合わせる顔が無くなるわ!」

「でも、リオが、リオが!」

「後で必ず連れ戻しに行くから、今は自分のことだけを考えろ! スクードのことだけ考えときゃいいんだ!!」


 トマシュの怒声が洞窟に木霊した。

 その言葉が、ルチルの闇を取り払った。


「ならせんちょぉー早くぅ! 追っ掛けてきたぁ!! 追い付かれるぅ!!!」

「そう思うなら自分で走れ! タコ野郎!」


 ルチルの反応に安堵する暇は無い。

 トマシュは全力で駆け続けた。


「やばいぞ! トマシュ! とんでもねぇ速さだ!!」


 背後からユーゴーの怒鳴り声が浴びせ掛けられた。


「おめぇもうるせぇな! 分かってんなら全力で走れ! タコ!」


 まるでデカい子供を二人も相手してる気分になり、トマシュは絶叫していた。



 道幅が徐々に広がり始め、遠くに日の光が見え始めた。


 しかし、背後のゲルダの気配も徐々に、だが確実に強くなっていた。


「せんちょ、せんちょぉー! 来る! 来る! 来るよぉー!!」

「一体どうなっちまったんだ!? あいつは!」

「多分あの瓶だよ! あの瓶に、何かあいつを狂わせる何かが入ってたんだよぉ!」


 ゲルダが落とした、そして砕けたあの小瓶。

 確かに言われてみれば、それしか考えられないが、だが今はそんな考察をしてる暇は無いのだ。


「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」


 禍々しい、そして悲痛なまでの叫喚が、三人を飲み込まんと迫っていた。


「もう少しだ! 外に出るぞ!!」


 光が強くなる。もう少し、本当にもう少しだった。


 暗闇に慣れた彼らの瞳を、赤く輝く強い光が刺した。

 一瞬、目の前が真っ白になった。

 視界が閉じた。

 耳朶を突く喧騒。それだけが、未だに海賊達の戦闘が続いていることを示していた。

 視界はまだ戻らない。その中で、


「ヴェルウィント!」


 そんな声が届いてきた。

 

 ルチルの、トマシュの、閉ざされていた視界が一気に開かれた。


 その声。その声は……


「スクードぉ!!」


 ルチルがその名を叫んだ。


「ルチル!」


 いたのだ。目の前に。

 甲板の上。

 無数の海賊に取り囲まれ、そいつらを精霊術で吹っ飛ばし、得意の拳闘でぶん殴り、大立回りを繰り広げる、ルチルのスクードの姿が。 


 「スクゥドォォォォ!!!」


 未だかつて、この女性がこれほどまでの大声を出したことなどなかった。

 トマシュが知らないだけではない。

 ルチル自身だってそうだ。

 自分でも信じられないくらいに、彼女は感情を吐き出したのだ。



「あ"あ"あ"あ"あ"!! つ"か"ま"え"た"ぁ"!!」



 が、現実は無慈悲だった。


 ゲルダだったモノが、トマシュの背を押し倒し、その腕からルイーダの身体を奪い取った。


 勢いの余り二人は赤土の上を激しく転がり、もうもうとした土煙が上がった。


 土煙の中、仰向けに倒れたルチルに馬乗りになったゲルダだったモノが、大きく口を開いた。


 口角は顎まで裂け、口腔の中には鋭い牙が無数に並んでおり、粘りけの強い赤い液体が滴り落ちた。


「やめるんだ! ゲルダぁ!!」


 ユーゴーがゲルダだったモノに飛び掛かる。しかし、その細い身体はビクともしなかった。

 同時に、ルチルの視界の端は船を捉えていた。

 甲板から飛び降り、ブロードソードを抜き放つスクードの姿を。


「ごあ"あ"あ"ぁ"!!」


 身体にしがみつくユーゴーの腕を目掛けて、ゲルダだったモノが食らいつかんと首を振り下ろした。

 鋭い牙が腕を引き裂かんとするその間際、二人の下敷きになっていたルチルが身を捻り、辛うじて自由になった片腕と片足でユーゴーの身体を押し退けた。


 スクードが全速力で駆けて来るのが見えた。

 

 間一髪、鋭い牙の一本が腕を掠めたものの、ゲルダだったモノの首は宙を切り、ユーゴーは大きく背後に倒れ込んだ。


「来ちゃダメぇぇぇ!!」


 ルチルが吼えた。

 大剣を振りかざすスクードに向かい、ルチルは吼えた。

 きっとスクードはゲルダを殺すだろう。ゲルダを人間とは知らずに、スクードはゲルダを殺す。

 それだけは、それだけはさせてはならない。

 彼に望まぬ人殺しをさせてはならない。

 それは、ルチルが守るべき最期の愛だった。


 ユーゴーには目もくれず、ゲルダだったモノは再びルチルに深く覆い被さった。


「る"う"ぅ"ぅ"ぢい"ぃ"ぃ"る"ぅ"ぅ"ぅ"!!

だ、 だ、 だ、 だ、い"、ず、き"!!」



 ルチルの鼻先。

 赤い液体がポタポタとルチルの顔を汚していく。ルチルは表情ひとつ変えず、真顔でゲルダだったモノを見つめていた。


 一瞬の静寂。



 フッ……



 倒れこんだトマシュ。


 仰向けにひっくり返ったユーゴー。


 二人の脇を風が通り抜けた。




 ゲルダだったモノが、全力で食らいつく為の反動をつけるかのように、大きく身体をのけ反らせた。



 (ザン)っ!



 大きくのけ反ったまま、首だけが身体から切り離された。


 そして、


 …………ボト。


 地面に転がり落ちた。




 ルチルが渇いた声を絞り出すように、その名を呼んだ。


「……リオ」


 首からおびただしい量の血を垂れ流しながら、そこに立っていた。


 それは一瞬の出来事だった。


 しかし、この一瞬の出来事は、海賊達に下らぬ争いを止めさせるに相応しいだけの異彩を放っていた。


 その場に居合わせた海賊達の全員が、見守っていた。



 リオの手に握られていた剣が、軽い音をたてて地面に転げ落ちた。


 俯いたまま、無言でゲルダだったモノの身体を担ぐと、空いた方の片手で首を拾い上げ、そのままゆらゆらと歩き始めた。


 呆気に取られ、武器を取り落とす者までいる、皆が一様にリオとゲルダを注視している船とは逆方向。

赤い岩盤の河下側に向かい、一歩、また一歩、ゆっくりと進んでいく。ルチル達はゆっくりと起き上がり、その後を追った。

 河縁に辿り着いた時、ようやくリオは振り返った。


「これから僕は、姉さんと二人で暮らします。誰も来ないところで。ルチルさん。トマシュ船長。皆さん。

僕達に、良くしてくれて、ありがとうございました」


 それだけを言い残すと、揺らめくように、リオとゲルダの身体は水面へと吸い込まれていった。




 ―――戦闘は終わった。

 両海賊団は腰を落とし、互いに笑い合っていた。

 なんでこんな下らない争いをしたのか。

 彼らにゲルダの野望は関係ない。

 彼らに遺恨など残るはずもなかった。


 そんな中トマシュは一人、歩いていた。


 リオとゲルダ。

 歯車の狂った運命に振り回された姉弟が消えていった場所へ。


 そこにはルチルの姿があった。


 長い時間、ルチルは膝を抱えて河縁に座り込んだまま、絶え間なく流れる大河の水面(みなも)を見つめ続けていた。


「あいつ、バカだよね……」


 背後から近付いたトマシュに振り返ることもなく、ルチルが呟いた。


「復讐なんてさぁ……」


 トマシュは黙ったまま、ルチルと同じ様に水面を見つめた。


「復讐なんてさぁ。そんなの、教えてくれれば、いくらでも手伝うのにさぁ。あいつ、何で言ってくれなかったんだろうねぇ。

言ってくれたらさ、復讐なんて忘れちゃうくらい、楽しいこといっぱい、一緒にやってあげたのにさぁ」


 その言葉に、トマシュは思わず声を上げて笑っていた。

 ひとしきり笑った後、振り向きもせずに言った。


「だからきっと、お前のことが好きだったんだろうな」


 空は、今日も抜ける様に高く、そして青かった。

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